フクロウの森

「今日は、どっちがご飯を作る日だっけ?」


「私よ。だから、ゆっくり休んで音楽でも聴いたら?」


「あ、そうだったか。じゃあ、お願い。」


「ええ、任せて。」


 俺たちは、日本からドイツへ亡命した。

 今は、ドイツのシュバルツバルト、黒い森の中に住んでいる。あの海星大橋の事件以来、俺たちは一切の人とのかかわりを絶った。自給自足を掲げ、二人で慎ましい暮らしを送っている。住処は自分たちで材料を集め作り上げたログハウスだ。

 意外に堅牢で、崩れる気配はない。

 ネットとも縁を切った。茜の精神に悪影響を与えると考えたからだ。


 茜は今でも犠牲になった人々のことを深く悔やんでいる。

 それは、一人で処理しきれる問題の大きさを超えていた。

 そのため、この森ですみ始めたばかりの頃、彼女の心はガラスのように脆かった。


 ((あれだけ大勢の人を犠牲にしてきたのに、何事もなかったみたに今こうしてる。こんなことしていて、正しいはずないわ。))


 ((その正しさってのは、だれが決めたんだ?それは、君の脳みそをフクロウへ移植させた人間達だ。なのに彼らは罪を償っていない。そんな社会が、正しさなんて言えた口じゃないさ。))


 それから数年。今は俺の支えもあり、茜は何とか立ち直ることができた。最近、彼女の破壊衝動が現れたことは、一度もない。


 俺は、スピッツのありがとさん、をスピーカで流す。


 しばらく聞き続けていると、あるフレーズが耳に留まった。


「「いつか常識的な形を失ったら。」」


 (後で、茜にこの意味を尋ねてみよう。)


 ご飯ができ上がった。

 今日はカレーらしい。


「おいしそうだな。早速いただこうか。」


「うん、食べて食べて。」


 彼女は笑顔で両手に顎を乗せ、俺が一口目を運ぶ様子を眺めている。


「どう?」


「めちゃくちゃおいしい。辛みが丁度良い感じだ。」


「良かった!私も早く食べよ。」


 そういって、彼女も食べ始めた。


「なあ、茜。人が常識的な形を失うってどういうことだと思う?」


「え?何だろ?」


 彼女は首を傾げた。そして、はっと顔を息をのむ。


「死んじゃうってこと?」


「多分、そうだと思う。もしかしたら、ほかにも解釈できるかもしれないけど。」


「凄い言葉ね。何かの歌詞?」


「ああ、スピッツの歌詞だ。」


「そうなのね。後で聞いてみようかな。」


「茜は常識的な形じゃなくなるその日まで、一緒にいてくれるか?」


「なによ、急にそんなこと。」


「いや、思ったんだよ。形で見えるつながりが、何も無いって。結婚しているわけでもないし。」


「形なんて、必要ないと思うけど。」


「まあ、そうなんだけど。でも、お互い気持ちを言葉にすることすら滅多にないだろ?」


「そりゃあ、気恥ずかしいから……。」


「じゃあ、今日はせっかくだし、言葉にしてみるわ。」


「え?」


「茜、常識的な形じゃなくなるまで、俺とずっと一緒に居てくれ。」


「そ、そんな口説き文句聞いたことないわ。」


と苦笑しつつも、彼女は満更でもなさそうだった。


「俺も、自分で言ってて恥ずかしくなってきた……。それで、茜は……?」


「もう、言わなきゃわからないの?私も、ずっと一緒に居たいに決まってるじゃない。」


彼女は顔を赤らめながら、もじもじとそう言った。


「……ありがとう。」


 俺は少し涙目になる。


「な、泣くほどのこと?」


 彼女はおろおろとしている。


「そうだよ。茜の口から、直接聞けたことが大事なんだ。」


 しんみりとした空気感が、食卓に漂った。


「二人で、ずっと幸せに生きましょうね。」


 彼女はぽつりとそう言った。


「茜……。」


 心配していた彼女はいつの間にかすっかり立ち直り、強かになっていた。

 彼女の成長に感動しながら、俺は言う。


「ああ、これからも俺たちは、ずっと一緒だ。」

 

☆☆☆☆☆


 その日、日本中が震撼した。


 海星大橋にいるモスマンの姿が、日本中のテレビに生中継で放映されたのだ。


 未確認生物モスマン専門ハンターである私は、その光景に驚愕していた。


 その場には、彼がいた。錦戸悠馬、モスマンと恋人関係にあった男性だ。

 ただ、以前彼は彼女の正体をモスマンだと知らなかったために、彼女の前でモスマンを糾弾してしまったのだ。


 はっきり言って仕方のないことだと思う。誰があの風貌の生き物を見て、擁護に回ろうと考えるのだ。それに、ただでさえよからぬ都市伝説も出回っていた。事情を知らなければ、そういってしまうのも無理はないだろう。それを、彼は自身が悪かったと深く反省し、後悔していた。澄んだ心の持ち主なのだろう。

 彼女の正体が、モスマンだと分かった後でも、彼は彼女に対する思いを変えることはなく、一途に思い続ける健気さには感動してしまった。


(だが、何故、彼はモスマンの居場所を特定できた?)


 テレビが付いている時から、彼はモスマンの近くで映っていた。

 もしかすると、彼らが分かれる前に大橋で何かしらの約束をしていたのかもしれない。


 野次馬達からは、散々な言葉の暴力を投げつけられていた。彼らには腹が立ってしっまった。だが、そもそもの種をまいたのは自分だ。あの時、研究を止められなかった自分に腹を立てる資格はない。


 そうして、しばらく画面に目を凝らしていると、とんでもない場面を目にした。


 錦戸悠馬が、モスマンを抱いたのだ。


 私はそれを見た時、驚きと同時にホットしたような温かい気持ちが、心の中に広がった。


「そうか、やっと……。」


 彼女はついに見つけたのだ。支えてくれる人を。


 錦戸悠馬、彼には感謝しかない。私の人生の悲願が、彼のおかげでついに達成された。


 そうして、固唾をのみながら画面を見つめていた時だった。


 唐突に画面が揺れ始める。


「「なんだ?」」


 カメラマンとキャスターは困惑の声を上げた。


 そして見る見るうちに、画面が粉塵により何も見えなくなる。


「まさか……。」


 橋は倒壊を始めていた。

 中継は中断され、ヘリコプター上空からの画面へと切り替わる。


 上空から見ると橋は、灰塵へと変わり果てていた。


「そんな……。」


 せっかく、希望を見つけ出すことができたというのに、こんなにも早く終わりを迎えてしまうというのか。あまりにも、残酷すぎる。


 しかし、そう思っていたのもつかの間、粉塵の中から上空へ飛び立っていく影を見つけた。ヘリのカメラマンは気が付いておらず、橋の様子を映し続けている。


(無事だったか!)


 人生でこんなにも感情が揺れ動く日は、初めてだった。

 これまでと今回の事件も合わせて犠牲者は多く、決して美談などでは終わらない話だろう。


 だが、それでも私は彼らを肯定したい。


「強く生きてくれ。」


 私は、彼らの幸せを心から願った。

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記録:未確認生物モスマンを目撃し、恋に発展した。 クロネコ太郎 @ahotarou1024

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