発展

「あーお腹すいた。」


 会社での短い昼休憩の時間が始まった。

 社員たちは、おいしそうな愛妻弁当を食べたり、仲の良い社員たちと談笑しながら食事をしている。彼らにとっては恐らく至福の時間だろう。


 一方、俺にとっては、一日の中でもっとも孤独を感じる時間となっている。

 結婚もしていないわけで、当然愛妻弁当は無い。社内では孤立している。昼ご飯は朝通勤の途中、急いで買ったおにぎり二つ。


 給料が少ないため、そこまで食料を買い込むことなどできない。自炊でもしたら良いと言うが、朝っぱらから早く起きしてまで作るのも面倒くさい。それに、会社が始まるまでの、憂鬱な時間が延びるのも嫌なのだ。よって、午後を乗り切るための最低限のエネルギー補給ができる分だけで、毎日を耐えのしのいでいる。


(うまい……。)


 一口一口かみしめながら、寂しさを紛らわすように噛み締めた。


 喧騒の中で孤独感を紛らわそうと考え事をしながら黙々と食べ続ける。


「……くん。錦戸君!」


 はっと顔を上げる。


「か、課長。どうかしましたか?」


「ずっと前から呼びかけていたのに、何をボーっとしてるんだ。」


「すいません。少し考えごとをしていて。それで、どうしましたか?」


「あの女性は、君の知り合いか?」


「はい?」


 課長が指差した方向にはなんと、妖艶な雰囲気を漂わせる黒髪ロング美少女、夕闇茜が立っていた。


「し、知り合いですけど。なんでこんなところに?」


「錦戸君に用があるとか言っているらしいんだが、君があんな子と関係を持っているとは、さっぱり信じられなくてな。」


「い、いえ、顔見知り程度の中ですよ。一度、お話しに行きます。」


「それにしても別嬪さんだなぁ。」


 課長は話を聞かず、独り言をぼやいていた。


 オフィスの男たちの目線は、彼女に釘付けにされている。



 彼女を生で見るのは初めてだった。画面越しでしかわからなかった蠱惑的な魅力を生で体感し少したじろぐ。


「すいません、お食事を中断させちゃって。」


「ああ、良いんですよ。もうほとんど食べ終わってましたから。それで、いったい?」


「実は、私、風見新聞社のものではないんです。」


「え?」


「大橋が倒壊した事件覚えていますか?」


「はい、覚えてますけど。」


「私、あの時に錦戸さんと同じ車両に乗車していたんですよ。」


「あ、そうなんですか。だから、僕が大橋倒壊を見ていたことを。」


「ええ、そうです。その時、私錦戸さんに興味が出てきちゃって。」


「興味、それはどういう意味ですか?」


「自分でもよくわからないですけど、とにかく知りたいと思ってしまったんです。それで、何とかお近づきになれないものかと風見新聞社と偽って錦戸さんお家を尋ねました。」


「はァ。それで、どうやって俺の家を突き止めたんですか?」


「つけちゃいました。」


「ははは。」


(要するにストーカーじゃねえか。)


「そ、そうだったんですか。しかし、新聞社を偽るとは随分と回りくどいことをされますね。どうせなら、乗車の時にでも声をかけてくだされば良かったのに。」


「人間にアプローチした経験が初めてだったもので、勝手がわからなかったんです。」


(人間って、かなり独特な言い回しだな……。)


「ですから、つい変な行動に出ちゃいました。申し訳ないです。」


「い、いや別に良いんですけどね。何か迷惑をこうむったというわけでもないですし。どうして今日は会社まで来られたんですか?」


(会社の場所が突き止められたのも、ずっとつけられてたからってことか……。)


「その方が、断られにくいと思ったからです。あの、良かったら夜、お食事に行きませんか?」


(断られにくい?)


 彼女がいった言葉にはてなが浮かんだが、さらに面倒くさい言葉で思考が上書きされた。


「ご飯ですか……。」


「はい。ぜひお近づきになりたくて。」


 りりりん。


 仕事開始5分前の音楽が鳴り響く。


「その、じゃあ考えときますね。そろそろ仕事始まるので。」


「あ、すいません。じゃあ、また夜にお会いしましょう。」


「ははは。」


 苦笑いで返すことしかできなかった。


(もうディナーすることは確定なのかよ。)


 オフィスに戻ると男たちのにやにやとした気色の悪い顔が、俺へと向けられていた。


「ど、どうかしましたか?」


「錦戸、見直したぞ?まさかお前みたいなやつに、あんな可愛い彼女さんがいたなんてな。」


「なんの取柄もないと思っていたが、可愛い彼女がいることで釣り合いが取れていたってわけか。なるほど納得だ。」


「いやいや、その……。」


「特別に今日は、早く上がって良いぞ?夜のディナーを楽しんで来い。」


(ディナーは聞こえてたのかよ。)


 係長は初めてといっても良い程の寛大な優しさを見せてくれた。


 態度の悪い後輩は、嫉妬に目を歪めにらみつけてきている。


(もしかして、彼女の言っていた断りづらくなるというのは、こういうことなのか?すべてを見越しての発言だったのなら、あまりにも策士すぎるだろ?)


(どうしよう……。)


仕事を早く上がれるという餌をぶら下げられた俺は、悩んでしまった。


 もし、俺が勘違いを解かなければ、すぐに帰ることはできる。ただ、嘘がばれた時がまずい……。


(しかし、なあ。疲れも溜まってるし……)


 万が一、彼女のことを尋ねられれば別れたとそういえば良い。

 疲れやストレスの温床である、終電間際まで終わらない残業。今日だけは、これらから解放されるのだ。本来であれば、面倒くさい仕事にもだえ苦しんでいる時間が、ただのディナーに変わる。


 俺には、断るという選択肢が浮かんでこなかった。


「すいません、今日は早く上がらせていただきます。」


(やっちゃった。)


 そういった手前、ストーカの彼女とのディナーは断れない。

 監禁でもされたりしないだろうか?不安だ。


(ていうか、待ち合わせ場所決めてなくね?)


☆☆☆☆☆


 俺たちは、近場にあった少しお洒落な雰囲気の飲食店で食事することになった。


「いや、ほんとにすいません。まさか、ずっと会社の前で待機していたなんて。」


「良いんです。待ち合わせ場所を言い忘れていたのも、私ですし。」


「いや、早く切り上げるように促したは俺ですから。お詫びついでに、おごらせてください。」


「いえいえ、誘った私が、全額お支払いしますよ。」


「え、でも、それは、流石にちょっと……。」


「じゃあ、せめて割り勘にしましょう。」


「あ、はい……。」


 終始彼女のペースで会話が進められている。こんな時ですら押し切ることができず、恥ずかしくなった。


 俺はメニューをとった。


「茜さんは何頼みますか?」


「えっと、キノコのソテーで。」


「え!俺もキノコのソテー好きなんですよ。」


「ほんとですか?何かうれしいです。」


「いや、少ないですよね。キノコのソテーを頼む人。」


「ええ。」


 メニューが運ばれてくると、お互い黙々と食べ始めた。

 俺は沈黙を気まずく感じ、話を振ることにした。


「どうして俺に興味を持ってくださったんですか?」


 俺は、ずっと気になっていたことだ。


「……匂い、でしょうかね。」


「匂い?」


「匂いというか、雰囲気というか。根元にあるものが私と似ている気がしたからです。」


「あー確かにそれはなんとなく分かります。言い方が悪いけど似てますよね、日の当たらない人生を歩んで来た感というか。」


「ええ、ほんとにその言葉通りです。」


 そう言って、彼女はにこっと笑った。


 俺は、そんな彼女の屈託のない眩しい笑顔を見て、少し目を逸らしてしまう。


 ストーカの彼女は意外にも話せば普通だった。というか、かなり気が合う。初対面にも関わらず、安心感のようなものすら感じるのだ。


「なんだか、安心しました。」


「何がですか?」


「話してみると思っていたより普通の人だなと思たので。」


「すいません、ストーカなんて非常識なことしちゃって……。」


「あ、いえいえ別に咎めるつもりで言ったんじゃありませんから。」


 むしろ、ストーカーでマイナススタートから、常識人であったことで印象が一気にプラスに変わった。もっとも、やんちゃなヤンキーが真面目になったら好感を持ってしまう現象と同じようなものかもしれないが。


「良かったら、なんですけど……。」


 彼女は気恥ずかしそうに何かを言おうとした。


「はい、なんでしょう?」


「お互い敬語やめませんか?」


 敬語でなくなるというのは、心と心の垣根を一つ突き破るという行為に他ならない。いわば、顔見知り程度という仲から、顔見知り以上友達未満という関係ステップアップさせるということだ。

 特に陰気な人間にとってはこの壁が高い。陰気×陰気で全く関係に進展がない、という事態もざらに存在するだろう。だが、そういった壁を乗り越え、こちらに歩みよろうと能動的に彼女は動いてくれた。ここで答えない人間がどこにいるのだろう。


「そう、だな。そうしよう。なんか硬い感じもするしな。」


「あ、ありがとうご、じゃなくてありがとう。」


 お互いぎこちないながらも、敬語から脱却することに成功した。


 そして、この彼女との初ディナーの日から、俺たちは距離を縮めていくことになる。


☆☆☆☆☆


 ご飯を食べたのち、連絡先を交換し合った。

 そして、頻繁にメッセージを送りあうこととなる。

 どうやら彼女の本当の職業は事務職のようだ。ただ、彼女の仕事に関する話はほとんど聞けなかったが。

 メッセージでは悩みだとか、苦しみだとか、そういったことはお互い触れない。

 趣味などの話や食事の話など、とにかく当たりざわりのないような会話だ。

 まるで、つながりあっているのかどうか確認を取り合うかのようだった。


 そして、気が付けば、ディナーから一か月が経っていた。

 既に、スクロールしても中々巻き戻れないくらいには語り合っている。


 しかし、その間一度も彼女と対面で会ってはいない。あくまでも、メッセージ上のやり取りだけだ。

 俺は再び会おうとする勇気が出なかった。彼女のことを意識しだしていたからだ。そのため、一度目にあった時のように気楽に会話することが難しくなるかもと危惧した。


(送るか、送らないか……。)


 だが、数日悩んでいる内に俺はとうとう(今度、一緒に出掛けませんか)というメッセージを送ると決心した。


 しかし、ボタンを押すだけにも関わらずその一歩が届かない。


(もし、断られたら?)


 それは恐らくありえないだろう。彼女から俺に興味を抱いていると声をかけてくれたのだ。

 いや、もしかしたら俺の見た目を見てそう思っただけで、実際に会って話してみて、失望されたかもしれない。今までがそうだったように。

 というかよく考えてみれば、そもそも、40の男に興味が出てくるというのもおかしな話だ。見た目すら若い時と比べて、かなり劣化している。もしかしたら彼女は詐欺師で、俺から金を搾り取ろうとしている可能性だって……。

 いや、そんなことは考えたところで、分かりようがないのだ。疑心暗鬼になっていたって仕方ない。

 

(もう、どうにでもなれ。)


 俺はメッセージを送信した。


 すると一瞬で既読が付いた。


 なぜなら彼女も同じように同じタイミングで出かけませんかというメッセージを送信して来ていたからだ。


(マジかよ。こんなことってあるんだな……。)


 俺は、心の中でガッツポーズを決めた。


☆☆☆☆☆


 俺は最寄りの駅構内で、彼女と待ち合わせをしていた。


(時間は5分前っと。茜さんはまだかな?)


 俺はきょろきょろと落ち着きのない様子で、彼女を探す。


(あ、いた!)


 彼女だとすぐにわかった。彼女の纏うオーラは、一線を画している。このまえみたときよりも、美しく見えた。久しぶりに彼女の姿を見たからだろうか。


 俺は、彼女に手を振る。


 すると彼女はぱっと明るい顔になり、こちらに近づいてきた。その様子を見て、今まで何を悩んでいたのだと過去の自分を腹立たしく思った。


「錦戸さん!」


「久しぶり、夕闇さん。」


「やっと、会えた。」


 終始、彼女は嬉しそうだった。

 そんな彼女の嬉しそうな顔が、目に焼き付く。


 俺たちは、まず最初の目的地、海星大橋へ電車と徒歩で向かうことになった。海星大橋とは、絶景スポットとしても有名な場所だ。橋から一望できる海と島のコントラストがそれはもう壮麗なのだとか。


「私、一度誰かと一緒に海星大橋に行きたいと思っていたのよ。」


「いや、びっくりした。出かけるにしても橋って珍しいからさ。」


「橋から眺める景色が好きなの。たまに一人で、ぼんやり眺めたりしていると、凄く心が落ち着くから。」


「確かに、俺も昔は海を眺めて鬱憤を晴らしてたな。」


「今日はきっと、それまで見てきたどの海にも負けないくらい綺麗だと思うわ。」


「それは、楽しみだな。」


 実際、橋について、見えてきた景色は想像以上だった。


(すげえ)


 感動により言葉も出せない。


 天気が良く、空も海も青々と澄み渡っている。きらきらと太陽を反射する光が、眩しく照り付けてきていた。浮かんでいる小さな島々によって、海の雄大さが強調されている。潮の匂いが鼻を刺激し、時折、カモメの鳴き声が響く。


「この世界がどれだけ穢れた心も持っている人たちばかりでも、景色だけは私達を肯定してくれるのよ。」


「どれだけ社会がめんどくさくても、それだけは救いだな。」


 そういって俺たちは苦笑しあった。


 お互い臭いセリフを吐きつつも、恥ずかしさは無かった。それに負けないくらいの景色がそこにあったからだ。


 しばらく談笑しながら、景色へと浸っていると、いつのまにか夕暮れ時が差し迫ってきた。潮風により髪の毛がワックスをつけたかのようにべたついている。


「結局、ほかに組んでた予定とかも全部おじゃんになっちゃったな。」


「でも、その方が良かったかもしれないわ。」


「ああ、ほんとにそうだ。ここ最近で一番心が休まる時間だったよ。」


「……ねえ、また来年もここへ来ない?」


「俺も、行きたい。絶対、また一緒に見に来よう。」


「8月18日、この日を忘れないでね。」

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