月下

谷樹里

第1話

 昔の人は言ったそうだ。

 「月が綺麗ですね」

 本人のものだというのは嘘らしいが、ロマンチックな告白だという。

 月は確かに綺麗だ。

 普通に見上げるだけで、巨大なクレーターや海がよくわかる。

 巨大なその姿は虹を纏い、地平線から半球を浮き上がらせていた。

 月が急接近してから、どれぐらい経つのか。

 高校生の俺には、よくわからない。

 ろくに学校にも行かずに勉強など、とうに放り投げている俺は、バイトがメインの生活になっていた。

 勉学もいいが、その前に生活だ。

 親が離婚してから、俺は独立して部屋を借りていた。

 頑なに援助を拒んでいるため、生活費も学費も自力で稼がなければならないのだ。

 俺がやっている仕事は、IT企業でも特殊な分野といえる。

 市の嘱託で公共工事入札をしないままに、仕事が降りてくる。

 急接近した月は、本来、地球に衝突するはずの隕石からその体で守るという役目もあったが、今や重力が二重になり、むしろ隕石を呼び込む存在となっていた。

 嗚室宇宙対策株式会社は、その隕石が市に落ちてこないように成層圏で破壊するのを常務としている。

 主にロケットミサイルと、巨大ガトリング砲を使ってだ。

 それは市内各所に設けられ、人工衛星で察知しすると、俺たちは秒単位の判断と処理に追われる訳だ。

 なぜ、十代半ばのガキでしかない俺がそんな職場にいられるかというと、単純に援助を拒んだ父親のコネである。強引に、この仕事を承諾しなければ一人暮らしはさせないと、言い張ってきたので、最終的に折れざるをえなかったのだ。

 朝十時に出社し、警戒を怠らずに退社時間の八時をすぎると、緊張が解かれてほっとする。

 休憩時間もあるが、緊急の場合が有ればすぐに動かねばならず、油断ができない。

 なにしろ、市の安全が嗚室という会社に掛かっているのだ。

 俺のシフトは週三を通しで、残りの三日を夜の監視で埋めていた。

 よって、夜勤の日にだけ、学校にいくことになる。

 連勤の通しが十時が終わり、俺は会社を出た。

 空は異様輝く三日月で、星々はその光に邪魔されて見える数が減っている。

 傘を差して、道路にでて今晩の夕食を買うために、コンビニに寄ろうと思う。

 傘は、タングステン繊維で出来ており、処理仕切れない小粒の隕石がまばらに振ってきたとき身を守るため、人には必須な存在だった。

 月が綺麗ですねは、今や緊急事態の隠語と化している。

 俺は、通勤帰りの男女に紛れ、街の中心からバス停まで歩く。

 タクシーも大量に止まるロータリーには、硬質の屋根が着いた停留所が幾つか並んでいる。

 人々がその下に集まって、バスを待つ。

 俺もその中に入った。

 十分も待たないままに、バスが窓から夜の道を照らしてやってきた。 

 疲れている俺は何も考えず、目の前のサラリーマンの背が進むままに着いてゆく。

 ステップを上がり、余裕で窓際の席に座る。

 何しろ、向かう先は田舎で、この路線の客は決して多いとは言えない。

 座席の隣に座る客はおらず、バスは出発した。

 俺はすぐに、前の席の背もたれに付いている手すりに、一本の傘がぶら下がっているのを発見していた。

 誰かの忘れ物なのは当然として、構うこともないかと思い、無視することに決めていたが、その造形は傘の製造にも関わっている俺には特殊だとわかった。

 青く塗られたそれは、タングステン製とは思えない、特殊な布で出来ている。

 手にとって触ってみるが、正体は見当も付かない。

 好奇心が沸いて出る。

 誰のものかは知らないが、このまま持って帰ってしまおう。

 持ち主の安全は、降車駅の近くに必ずある傘屋が保証してくれるだろう。

 罪悪感の一遍もなく、俺は珍しいものを手に入れた気分で、浮き足立っていた。

 車内だというのに、傘を軽く開いてみる。

 すると、内側はまた違った様相を見せた。

 不思議な色あいで、昔、月がまだ遙か遠くにあった頃の夜空を模した絵が描かれているようだった。

 俺は停車駅までくると、自分のものとは代わりに、拾った傘を差して歩いてみた。

 不思議と気分が高揚する。

 「手にしてくれたんですね?」

 どこからとも無く声がする。

 俺は当たりを見回した。

 畑と田んぼが続く田園風景。

 深夜十一時半の夜道には、人影などなかった。

 「失礼しました。驚かせましたね。この傘からですよ」

 声は申し訳なさそうに言った。 

 「なんだ、通信装置か」

 「はい」

 「それで、俺に何の用だ?」

 予感はある。

 今学校では、恋人同士で傘を交換したり、好きな相手に渡してメッセージを送ったりするのが流行っているのだ。

 「二年三組の櫛深さんですよね?」

 「そうだけど。おれ、誰ともわからない相手とこういうの、好きじゃないんだ」

 はっきりと拒絶の意を伝えると、しばしの沈黙があった。

 「ごめんなさい。あたしは、野々瀬萌衣といいます。あの、ずっと前から好きでした」

 突然言われても正直困る。

 繰り返すが、どこの誰だかわからないのだ。

 「わるいけど……」

 断ろうとした時、すさまじい衝撃が頭上にたたきつけられ、傘が肩までずり落ちた。

 背中に痛みが走り、足腰が耐え切れずにその場に崩れ落ちてしまう。

 隕石だ。

 見ると、ドッチボール大の巨大ともいえるものが、この傘の上から、路上に転がっていた。

 「大丈夫ですか!?」

 傘はから声が伝う。

 「……ああ、なんとか……」

 俺は答えて、ゆっくりと立ち上がった。

 落ちてきたのは、通常の傘ではとても耐えられないであろう大きさのものだ。

 それでも、この傘は布を半分破れながら、俺を守ってくれていた。

 「通信機は無事か?」

 事務的に気遣ってみる。

 「ええ、まだ動いてます。それで、急がすようですが……」

 「ああ、悪いが今は断るよ。告白したいなら、直に会ってからにしてくれないか?」

 「それが、出来ないんです」

 「どうして?」

 「あたしは、今いるところから動けないので……」

 「今いるところ?病院かどこかか?」

 俺は単純に思い浮かぶ場所を口にした。

 「いえ……」

 相手は口ごもる。

 「信じてもらえないかもしれませんが……あたし、地球の人間じゃないんです」

 俺は呆然とした。

 「地球じゃない?なら……」

 「月に住んでいるんです」

 アメリカの航空局は、月に人がいる可能性をはるか昔に発表していた。

 だが、その話はそこで煙のように消えて行っていた。

 「まさか、本当にいたのか?」

 「はい」

 俺は思わず、頭上を見上げた。

 黄色く輝く七色の輪を縁に彩らせた月が、そこにはあった。

 「どうして俺を?」

 「それは……地球を眺めている時に……」

 「俺を見たというのか?」

 「はい……」

 俺は興味が沸いた。

 「……わかった。俺は君を知らない。だから、俺から探す」

 「はい」

 「すべてはそれからだ」

 「はい、それでいいです」

 少女の声は嬉しそうな色を必死に抑えているようだった。

 「期待してます。あたし、ほかの子にまけないように頑張ってますから」

 「わかったよ」

 俺は、いつの間にか好奇心から変わった、淡い期待を抱いているのが分かった。

 月まで行く用意でもしようか。何年たつかわからないけど。

 

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月下 谷樹里 @ronmei

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