#10 パンケーキ
パンケーキの有名店は既に店の前に列が形成されていた。余程の人気店なのだろう、主に女性客達とカップルがぞろぞろと一列に並んでいる。その列の最後尾に辿り着くと立ち止まって辺りの様子を伺う。手前の女性達が振り向いた気がしたが「モデルみたいな人来た……」「えっうそ……」とひそひそ話している。まだバレてはいないがこれは目立つ。明らかに目立つ。しかし一度決めた事を曲げるのは信念に反する為何とか誤魔化して目的を達成してやると一人密かに意気込んだ。
「そういえば、夏鈴さんってこういうとこ来るんですか?」
「い、いえ……滅多に来ない、です」
「そっか、それじゃ今日は思い切り楽しみましょう」
「……デート、みたいで嬉しい……です」
「じゃあデートって事にしちゃいましょ、夏鈴さんみたいな美人と一緒に遊べるなんて光栄過ぎますし」
悪戯っぽく口角を上げて返答するとサングラスをしているとはいえ明らかに表情がまるで花が咲いた様に嬉しそうに変わる。
恐る恐るといった感じで触れ合った手をこっそり握られて、悪い気はしなかった為にその手を優しく握り返す。彼女はまさか握り返されると思っていなかったのか驚いた様子で二度見され、思わず吹き出すと同時に列が一歩前に進んだ。
「ちょっと進みましたね。パンケーキ美味しいって有名なんですよここ。楽しみだなぁ」
「心臓が、破裂しそう……」
「ほんと大袈裟だな!?」
「……その位好き、なんです」
「パンケーキが?」
「…………は、い」
夏鈴さんの言葉の歯切れが悪いがまぁいつもとそう変わりないかと結論付け、首を捻りつつも会話をしている内にお構いなしに列は徐々に前に進んでいく。
いよいよ店先のウィンドウから店内が見られる位置まで近付くと覗き込んだ店の中は大層賑わっていた。色とりどりのフルーツが乗ったものやシンプルにクリームが添えられバターとハチミツをかけただけの物まで様々見受けられる。あのベリーが沢山乗ったパンケーキが美味しそうだな……と思いながら横目に夏鈴さんを見ると彼女は店ではなく私を見ていた。自然と目が合う形になり再度首を捻る。
「何かついてました?」
「あっ、い、いえ……パンケーキ眺めてる桃色さんが、その、可愛くて……」
「褒めても何も出ませんよー」
「だっ大丈夫です、居て貰えるだけで……良いので」
どこか必死な夏鈴さんに本当面白い人だなぁと笑いが込み上げる。握った手をそのまま軽く振ってちゃんとここに居ますよとアピールして見せた。
「あ、そうだ。今日の夜、実は兎月と飲む予定があって」
「……兎月さん、とですか?」
ぎゅ、と握られた手が心なしか力強くなる。高校からの親友でもある兎月とはSNSでも良く絡む程には仲が良い。それは勿論周知の事実だ。当然夏鈴さんも目にしたことがあるのだろう。誰の事かはすぐに分かった様子だった。
「そう、それでどうせだから夏鈴さんも一緒にどうかなって思いまして」
「……ん?え?わたしも……?です?」
「あ、もしかして嫌でした?お酒飲まないとか……?」
「いっ、いいえ!行きます!桃色さんの居る所ならどこでも!行きます!」
「やたら力強いな……?でも良かった。折角のみきつば仲間ですし、それにわたしも夏鈴さんの事良く知りたかったんで」
語尾が強いのが妙に気になったが色良い返事にほっと胸を撫で下ろして夏鈴さんを正面から見る。先程一瞬曇った様にも見えた表情がまた明るくなる。
「その……桃色さんと、兎月さん……仲が良い、ですよね」
「まぁ高校からの親友なんで」
「親友……」
「夏鈴さんは居ないんですか?仲の良い友達」
「友達って呼べる人、昔から少なくて……今はモデル仲間とか、居るんですけど……頻繁に合う訳でも、無いし」
夏鈴さんが苦虫を嚙み潰した様な表情になり、あーこの話は辞めだ辞め、と次の話題を振るべく何かないかと模索した。
「じゃあ、そうだな……前言ってた好きな人の話、聞かせて下さい。こういうのが女子トークっぽいってよく言うでしょう?」
「……まだ中学生の時、なんですけど……わたしこんな風に、話すの苦手……だし、教室の陰に居る様な人間……だったんです」
「それは意外」
「でも……ある時、体育で二人組のペアを作れ……って言われて、でも……わたしの相手してくれる人なんて、最初は居なくて」
「ああーそういうの良くありますよね……」
「そんな時……声を掛けてくれた子が、居たんです」
「その人が初恋?」
「……はい。その子は、わたしと違って、友達も居て……勉強も出来て、優しくて……笑顔が、可愛くて。一緒にやろうって、手を繋いでくれた瞬間から、ずっと……わたしの光だったんです」
昔を懐かしむ様にぽつぽつと話し出す夏鈴さんはとても嬉しそうで、本当にその人が好きなんだなと思わされた。こんな美人に一途に想われるってどんな気持ちなんだろうか、とぼんやり考える。
「今でも、好きなんですよね?」
「好き……大好き、です。……その頃、本当に人と接するのが、その……嫌で、顔見えない様に前髪伸ばしてた……んです。でもそれを掻き分けられて、綺麗な顔してるのに勿体無いって……」
「……それって……」
「だから……今のわたしがあるのは、その人のお陰……なんです」
「お待たせしました、次のお客様どうぞー」
ふと気が付けば楽し気なカップルが丁度店を出て行き、自分達の順番が回って来ていた。繋いでいた手を解き、店員に案内されるまま二人掛けのテーブルに向かい合って座る。メニューの説明を受け注文が決まり次第呼び鈴を鳴らして下さいと告げられて早速メニュー表を開いた。
「意外と早かったですね、店に入れるの」
「な、慣れない……」
「大丈夫ですって、皆パンケーキに夢中で夏鈴さんに気付きませんよ」
おどおどとし始める夏鈴さんを宥めてメニュー表と別添えのラミネートされた限定メニューをどちらも見せる。限定メニューの季節のパンケーキはマロンクリームを絞ったものらしい事が書いてあった。夏鈴さんがサングラスをそっと外してメニューをじっと見つめる。
「じ、じゃあ……わたしは、この季節のパンケーキと、アイスティー……にします」
「それも美味しそうですよね!?でも私はベリーのやつにしたくて……飲み物はホットティーにしよ。店員さん呼びますね」
テーブルに置いてある呼び鈴を鳴らすとピンポン、と電子音が鳴り間も無くして店員が現れる。
「お待たせしました、ご注文お伺いいたします」
「えっと、季節のパンケーキとベリーパンケーキひとつずつ。あとアイスティーとホットティー下さい。砂糖はここにあるから大丈夫で……あ、ガムシロ要ります?」
「あっ、あの……ガムシロップ、ひとつ下さい」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
テーブルの上にスティックシュガーがあるのは確認したがガムシロップが無いのを見て夏鈴さんに視線を向けると、慌てて人差し指を立てて店員にアピールしていた。見ていて本当に飽きない。
「夏鈴さんの話聞いてて中学の時、私も似た様な記憶があったなぁって」
「……はい」
「いつも一人で教室の端に居て、暗くて大人しい子が居たんです。きっとどのクラスでも一人は居ただろうなって子が」
「…………」
「んで、さっきの話みたいに二人組作れーって言われた時、男子より女子の方が多かったから自然と女子同士で組む必要があって。友達に誘われたけど一人でぽつんとしてるその子を放っておけなかったんですよ」
「……桃色さんは、本当に優しい……ですね」
いつもより穏やかな声で夏鈴さんが呟く。懐かしい気持ちが溢れてつい語りすぎてしまいそうになった。
「だからその子と組んで、それから少しだけ喋る様になったんですけど実際はよく見たら凄く綺麗な子でびっくりして」
「……うん」
「こんな似た話あるんだーって、なんか昔を思い出しました」
「その、あのっ……」
「お待たせしましたー、ホットティーのお客様」
夏鈴さんが何か言おうとした所で店員が飲み物が乗せられたトレーを手に現われる。その拍子に夏鈴さんは口を噤んだ。
「あ、はい私です」
「ではこちらホットティーと、アイスティーになります。失礼致します」
ソーサーに乗ったティーカップとスプーンを目の前に置かれ、夏鈴さんの前にはガムシロップ一つとアイスティーのグラス、そしてストローが届けられた。店員は一礼してすぐに去り、先程の続きを視線で促すが夏鈴さんは口を噤んだままだった。
「さっき何か言おうとしてませんでした?」
「……なんでも、ない……です」
「そうです?でも懐かしいなー久々に中学の卒アル見たくなりました。確か家に仕舞ってあった筈」
「あっ、それは……えっと」
「ん?どうかしました?」
突然あわあわとし出した夏鈴さんを疑問に思いつつスティックシュガーを手に取って封を切りティーカップへと注ぎ入れる。スプーンでくるりと回して飽和させ空になったスティックシュガーの紙とスプーンをソーサーに置いてからカップの取っ手を持ちふうふうと息を吹きかけて一口啜ると茶葉の香りが広がり笑みが零れた。
夏鈴さんもそれに倣う様にガムシロップとストローの封を開けてアイスティーのグラスに注ぎ入れてくるくると掻き混ぜる。カラリと氷の音がした。
「それより、その……兎月さんとは、本当に親友……なんです、よね?」
「ハハ、当たり前じゃないですか。兎月は優しい奴だし顔も良いんですけどお互い独り身で慰め合ってますよ」
「そっか……良かった」
「兎月の事気になります?界隈じゃそこそこ凄いレイヤーだし、夜ゆっくり話せると思うんで楽しみにしてて下さい」
「わたしは……桃色さんが、その」
「うん?」
一拍置いた後夏鈴さんがハッとしてアイスティーのグラスに挿したストローを吸う。続きを聞き損ねたが「お待たせしましたー」と店員が現れて話の流れが掻き消される。テーブルに置かれた見るからにふわふわな二段のパンケーキの上にはイチゴやブルーベリーが沢山乗っており、赤いベリーソースがふんだんに掛けられホイップクリームが添えられていた。夏鈴さんの前に出されたマロンクリームパンケーキもたっぷりのクリームが使われていて美味しそうだ。最後にカトラリーセットをテーブルに置き「失礼致します」と店員が去って行く。
「よし、それじゃ食べましょうか!」
「はい!……いただきます」
「いただきまーす」
カトラリーセットからお互いにナイフとフォークを取り出して両手に持ち、フォークを添えてパンケーキにナイフを入れる。スッと切れる柔らかさにごくりと唾を飲み込んで、一口サイズにカットしたパンケーキをフォークで刺して口に運ぶ。
「うっっま!」
「おい、しい……」
口の中に広がるベリーソースとふわふわなパンケーキの相性は抜群で幸せな気分に浸る。夏鈴さんもほぼ同時にマロンクリームのパンケーキを一口頬張って目を輝かせていた。
「その、桃色さん……一口、食べます……か?」
「えっ、良いんです?」
「……口、開けて下さい」
あーん、と言われるままに開くとそっと優しく口の中にフォークに刺さったマロンクリームパンケーキを運ばれる。ぱくりとそれに食い付きフォークを引き抜かれると流石季節のパンケーキを謳うだけあって栗の甘さと美味しさが口一杯に広がった。
「おいし……!ありがとうございますめっちゃくちゃ美味しい!」
「良かった……」
「あ、私のも食べてみます?ベリーソースが凄く合いますよ」
同じ様に一口サイズにパンケーキをカットしてからフォークでブルーベリーと共に刺し、夏鈴さんの口元に運ぶとおずおずと口を開きそれに食らい付いたのを見て笑みが浮かぶ。フォークを引き抜いて様子を伺うととても嬉しそうに彼女の表情が綻んだ。
「ありがとうございます……すごく、美味しい、です」
「何だか本当にデートしてるみたいですね」
「……嬉しい、です。桃色さんとデート出来て」
「来て良かったですか?」
「はい。……ありがとう、ございます。連れ出して頂いて」
本当に心から嬉しそうに夏鈴さんが優しい眼で私を見つめそう伝えて来る。世間を虜にする程の美人に見つめられて何だか照れ臭くなり、それを隠す様にパンケーキを頬張った。
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