#6 手料理
キィ、キィとゆっくりブランコの鎖が軋む音が響き、大空を見上げると沈みかけた太陽が街を赤く染め上げる美しい夕陽が浮かんでいる。
こうしていると童心に返るな……なんて子どもの頃の記憶の断片を思い出しながら、街灯に明かりが点くのを見上げた。
仲のいい友達は元々片手で数えられる程だ。いつもこの公園で遊び、時には誰かの家で遊び話し込んだりお泊り会をしたり。あの頃は毎日がきらきらとしていて本当に楽しかった。
小中とそうして過ごし、高校時代にはそれぞれの道を歩み始めてバラバラになり、兎月――坂上椿(さかがみつばき)と出会い、そのまま大学も同じ道に進んで今に至る。
私の歩んだ道の上には愛だの恋だのなんていう甘酸っぱい青春なんてものは無かった。故に愛も分からないし、人間に恋をした経験も無いのだ。
気付けば時の流れに身を任せてアラサーと呼ばれる世代になり、周りはどんどん結婚していく。結婚式に呼ばれる度にきらきらとした幸せそうな笑顔の新郎新婦を見て私の世界には無いものだ、と何処か別次元の話の様にすら思えた。
仕事が恋人なんて言い訳はもう通用する歳じゃない、わかってる。わかっていても今のこの何もない平穏を過ごしている方がよっぽどマシだった。
「お待たせ、しました」
仄かな甘い香りがふわりと風に乗って周囲を包み、まるで異世界に迷い込んだ様な錯覚を起こす。
顔を声の主に向ければ、デニムジャケットにふわふわと裾が舞う長い白のスカートを合わせたオシャレな美人がそこに立っていた。
「……本当に来たんですね」
「昨日約束したので。待ってて下さってありがとうございます」
そんな数言のやりとりをして笑い合った後、彼女は隣のブランコに座り鞄を膝の上に乗せてから中身を漁ったかと思えば可愛らしいチェック模様のランチトートを出して差し出して来る。
「これは……?」
「約束したじゃないですか、栄養たっぷりのおかず作って来ますって」
「律儀だなぁ……」
差し出されたランチトートを受け取り、半ば呆れの様な、一周回って尊敬の様な感情が浮かんでくる。どこか不安そうに見つめて来る夏鈴さんに感情が揺れ動くままに微笑みかけた。
「お口に合うと良いんですけど」
「折角作って頂いたんで美味しく頂きます」
「あの、その……桃色団子さんに食べて貰えると思うと、何だか嬉しくて……本当に来てくれたのも、嬉しくて嬉しくて。ありがとうございます」
「そんなに大袈裟な事じゃないですよ、それに桃色呼びで良いですし。というか寧ろ感謝する側って私の方じゃないです?」
「あ。それも……そうですね。ファンなものでつい」
あたふたと慌てる夏鈴さんを見ているだけで黙っていればとびきりの美人なのにと笑いが込み上げる。趣味の時間じゃない私生活の中で楽しいなんて感情が芽生えたのは久々の事だった。
「これ返すの、また明日のこの場所でこの時間でいいですか?」
「っ……はい!!!明日もおかず作って来ます!!!」
そういう事じゃないんだけど……とは思いつつ笑いが込み上げてどうしようもなかった。こんなに笑えるんだ私、なんて感慨深い気持ちになる。
「ほんっと面白い人だなぁ」
「これからはコンビニ飯は食べさせませんので!」
「自信はあるんだ……」
「す、すみません勢いで」
「ありがとうございます、気を使って頂いて」
「いいえ!お気になさらず!好きでやっているので!」
鞄を持ってザッと立ち上がりこちらに力説する様なやたらと力強い語尾にクスクスと笑いが浮かんで仕方がない。世の中には面白い人も居るものだ。
「それじゃこれはありがたくご馳走になります」
「はい!……はい!召し上がって下さい!」
「また明日、この場所で」
「はい、また明日……!お疲れ様です桃色さん」
ブランコから立ち上がり、受け取ったランチトートを確りと持って夏鈴さんに軽く一礼する。顔を上げた時には彼女は深々とお辞儀をしていた。
すっかり日も沈み、部屋の電気を灯せば鏡の様に室内がベランダの窓に映り込む。瞬く星と浮かぶ月を一瞬眺めてから遮光カーテンを閉めて一息吐く。
一体夏鈴さんは何を作ってくれたのだろうかと気になり、ランチトートを手にキッチンへと向かう。その小さな袋の中からは落ち着いた色使いのランチボックスが出て来た。その蓋を開けると食べやすそうなサイズにカットされたいんげん豆と人参が彩りを添え、味が染み込み確り火の通っていそうなじゃがいもに白滝と豚肉が絡んだ見目も鮮やかな肉じゃがが姿を現す。
「うわ……美味しそ」
正直言ってこの出来栄えの料理が出されるとは想像の上だった。見た目だけで既に美味しいのが分かる。早速食器棚から取り出した程よいサイズの器に移し替えて電子レンジに入れると自動温めモードでスイッチを入れ、炊いておいた白米を炊飯器から茶碗に盛り付ける。
棚の引き出しから箸を取り出しグラスに水を汲んで茶碗と共にリビングのローテーブルに並べる。準備をしている内に電子レンジから温め終わった音が鳴り響き、それを取りに向かうとキッチンはすっかり良い匂いに包まれていた。
電子レンジを開けるとその香りもより濃く漂い、立ち昇る湯気と共に心が弾む。
温かい内に食べなくてはと何となく軽い足取りで器を持ちリビングに再び向かうとテーブルに置いて絨毯の上のふかふかな長座布団に座った。
「頂きます」
いざご立派な手料理を目の前にしてみるとゴクリ、と喉が鳴る。両手を合わせて呟くと箸を持ち恐る恐る肉じゃがのじゃがいもを掴む。なるようになれ、と一思いに息を吹きかけてから口を開けて頬張ると程よい甘味と染み込んだしょうゆベースの煮汁が沁み込んだ具材が舌の上でハーモニーを奏でた。
「……美味しい、これ」
それはコンビニ飯に飽きた時にたまに買うスーパーの値引きされた肉じゃがとは全くの別物だった。総菜も美味いには美味いのだが、味の染み込み方も、具材の美しさも、何もかもがこちらに軍配を上げる。
「こんな料理、毎日作ってくれるっていうの?」
明日もおかずを作って来ると意気込んでいた夏鈴さんを思い浮かべる。SNSで繋がった位で実際に連絡先を交換した訳でもない。ただの同人作家とそれを読んでくれるファンでしかないのに、偶然とはいえこんなに良い思いをさせて貰ってしまって良いのだろうかと脳裏を過る。
料理だって手の掛かるものだし簡単では無いだろうに、彼女はあんなにも嬉しそうにしていた。本当に不思議な人だ、と肉じゃがの味を噛み締めながら明日のおかずは何かとそんな期待が膨らんでいく。
「手料理って……こんなに美味しいんだな」
母が作ってくれたごはんを思い浮かべて実家に居た頃を思い出す。すっかり寂しい独り暮らしに慣れ切ってしまったが故に手料理というものが余計に心に染みるのだ。
白米と肉じゃがを交互に頬張り、感動を覚えながらいつもより少しだけ寂しくない夜を過ごした。
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