第20話 例大祭①

 ようやく待ちに待った土曜日がきた。


「長かった……」

 

 休日出勤を避けるため、貴志は平日に必死の残業をして仕事を調整したのだ。

 アイリスには寂しい思いをさせてしまうな……と思っていたが、彼女は毎日ゲームをしたり、アニメを見て楽しく過ごしていたらしい。

 複雑な気持ちではあるが、とにかくようやくの休みで、ようやくの浴衣ってわけだ。

 

「はい、じゃあまずは浴衣を羽織って」


 貴志は購入した浴衣セットについていた『着付けマニュアル』を見ながらアイリスに指示を送る。


「そしたら袖を引っ張って中央を背骨に合わせてから着丈を決める……と」

「これかわいいねー」

「ちょ、動かないで」


 ブラウザ上で見ていたものよりも、色が薄いからか花柄の模様が引き立っていて確かに可愛い。けど着付けの途中に動いてもらっては困る。

 

「上前と下前を合わせて、腰紐を巻く……と。ちょっと浴衣抑えててね」

「はーい」


 せっかく合わせた位置がずれないように、アイリスに抑えてもらっている間に腰紐を……。


「腰骨のあたりに、か。えっと……」


 貴志は何気なくアイリスの腰辺りに手を這わせる。


「ひゃっ!」

「ああ、すまん」

 

 マニュアルを追うことに必死で、断りもせずに体を触ってしまった。

 アイリスは顔を恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 平気で裸を見せるような子なのに、ちょっとした接触は恥ずかしいものなのか。


「ううん、タカシならへーき!」


 アイリスはきゅっと口を結んで、なぜか覚悟を決めたような顔をしている。


「そ、そうか……じゃあ失礼して」

「ん……」


 軽く腰あたりを触っただけで上がるなまめかしい声を聞きながら、なんとか腰紐を結ぶ。


「次はおはしょりを整える……おはしょりってなんだ? んー……ああ、腰紐でたくし上げた部分ってことか」


 他人ヒトに浴衣を着せるのは初めてなので、なかなかに難しい。

 よく着付けをやっている美容院を見かけるから、次に機会があればお願いしてもいいかもしれないな。


「それから衣紋を抜いて襟の位置を合わせる、と。衣紋ってのは後ろ襟の部分なのか……」


 伝える気があるのか怪しいマニュアルを、どうにか解読して実践していく。


「次は胸の下で腰紐を結ぶ? 胸紐だろそれじゃ」


 文句を言いながらアイリスの豊満なバストの下に腰紐を通す。

 小さな声で「あっ」と吐息混じりの声を上げるのはやめて欲しい。

 こっちは真剣にやっているんだ。だからちょっと触っちゃったのは、勘弁してほしい。

 紐を胸の下で結ぶと、大きさがより強調されたように見える。


「最後に兵児帯へこおびを締めれば終わりか」


 柔らかいオーガンジーのような素材の帯を何周か巻いて、後ろで蝶のように結んでやる。

 なぜか蝶が縦になってしまうので何回かやり直すと、ようやく綺麗な形に整えることができた。


「はい、完成っ!」

「わーい、ありがと」


 アイリスはその場でくるりと回り、満足気な顔をしている。


「ついでにかんざしも買ったけど、こんな一本の棒でどうやって髪を留めるんだろ?」


 スマホで動画を開いて手本を見てみるが、自分では全く出来る気がしない。

 ピンなども使っていたので、かんざしだけ買ってもダメそうだった。


「髪はこのままでもいいか……?」


 いや……やっぱりせっかくだからアップにして、うなじも楽しみたい。

 そんな変態的な貴志の欲望は、検索力を150%増しにさせた。

 といってもホットチリビューティで、近所の店を探しただけだが。

 ほどなくして、家からほど近い美容院に当日の空きを見つけた。

 

「着付け込みで5000円か……なら着付けもやってもらえばよかったか。まあいい」


 30分後の枠はTELとなっていたので、即座に電話をする。

 その結果、『空いている』とのことだったので予約を取った。



「あら、綺麗な髪ね」


 近所の美容院は小さなお店で、家族経営のようだ。

 そこでおばちゃんがアイリスの髪を手にとって、感嘆の息を漏らした。


「このピンクの髪はどこで染めているの?」

「んー?」

「ああ、そうね……日本語じゃ分からないわよね」

「わかるよー? かみ、そめてないの!」

「あら、地毛なのね……ってそんなことある? それとも外国にはいるのかしら……」


 いや、恐らくいないと思う……が、否定してもやぶ蛇になるだろう。

 貴志は口を閉ざして、手際よく整えられていく彼女の姿を見つめていた。


「はい、完成!」

「わぁ……すごいっ! ありがと」

「まぁ、本当に日本語が上手なのね」

「タカシ、見てー」


 アイリスは椅子をぴょんと降りると、貴志の元へ駆け寄ってきてくるりと回った。

 彼女の長い髪は綺麗にまとめられていて、購入したかんざしが刺さっている。

 つるりとしたうなじは……やっぱり最高だ。これだけでもわざわざ美容院に来た甲斐があった。


「さあ、じゃあお祭りに行こうか」


 少し緩んでいたらしい浴衣もきっちり直して貰って、いざ出発だ。

 踏切を渡って駅の反対側に出ると、多くの人でごった返していた。

 まだ6月になったばかりと時期が早いからか、浴衣姿の人は思ったよりも少なめだ。

 それもあって、アイリスの姿はよく目立つ。周囲からの視線を大いに集めていた。

 彼女はそんなことを気にも止めず、小さな子供のようにはしゃいでいる。


「人が多いからはぐれないようにな」

「はーい。て、つなご」


 そういってアイリスは貴志の手を取った。

 お祭りの中心地、水山神社に近づいていくと道の端に屋台が増えていく。


「みてー、ちょこばなな! あと、やきそばー!」

「おお、そうだな。1つずつ見ていこうな」


 強めに手を引かれ、バランスを崩しながらアイリスに着いていく。

 輝く笑顔で楽しんでくている姿を見ていたら、連れてきて良かったなと自然に頬が緩んだ。


「あ、わたーめあったよ!」

「ほんとだな……ってやっぱりキャラの袋に入ってるのな」

「あれたべたーい! ちびかわのがいーの!」

「わかった、袋は選べんのかな? 聞いてみようか」


 列に並び、順番が来たので屋台の店主に聞くと、好きなものを選べるようだった。


「じゃあちびかわのヤツで」

「はいよー」


 こういう場所にあるキャラ物のライセンスはどうなっているのか、とふと調べてみたことがある。

 どうやら袋は問屋でまとめて購入するらしく、ライセンス問題はそっち側でクリアされているそうだ。

 そのおかげで、綿あめよりも袋の原価のほうが何倍も高いらしい。

 まあこんな場所で原価の話をしようもんなら、興ざめもいいところだけど。

 アイリスはそんな数十円の袋をとると、大事に折りたたんで——。


「はい、あーん」


 不意打ちだった。

 アイリスが綿あめを指でつまんで食べさせてくれたのだ。

 思わず指ごとぱくっ、といってしまったのも仕方がないだろう。


「おいし? あにめでね、こうやってたの!」

「そ、そうなんだ……。次はアイリスが食べてごらん」

「はーい!」


 アイリスはどうやって食べようかと少し悩んで、それから思い切ってぱくりとかじりついた。


「わぁ、とけた! きえたっ!」

「お気に召したなら良かった、良かった」

「ええ、それは本当に良かったわね」


 貴志の後ろから、冷たい声が聞こえた。

 それはカミソリを想起させるような、あまりも鋭いもので。

 慌てて振り返ると、そこにはじとっとした目でこちらを睨む元カノ——幸花が立っていた。

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