第19話 わたーめ
「どうもこんばんは、管理会社の者です」
「お待ちしていました」
貴志は、一連の流れをうまいことぼかしながら話した。
窓は
割れ方を調べれば中から割れたことがバレてしまう。
そうするとアイリスの存在を説明せざるを得なくなってしまうから。
仕掛けられていた機械を見せると、被害届を出すことを勧められた。
当然そうなるだろうな。でもやっぱり警察に通報するのは無理なので曖昧に頷いておいた。
「ふー、こんなことになるなら管理会社に連絡しない方が良かったな」
そもそもアイリスの存在がコトをややこしくしている。
自分ひとりであれば即通報しているところだ。
だからといってアイリスが邪魔だとは思わない。
けどいつか隠し続けることに限界が来るのではないか、貴志の頭の中にはそんな考えが浮かんでくる。
「おわった?」
「うん、終わったよ。出ておいで」
「はーい」
念の為、アイリスには布団に隠れておいてもらった。
どうやら頭から被っていたので暑かったらしく、前髪が汗で額に張り付いている。
「もうネバネバは平気だから、シャワー入って来ていいよ」
「やったー!」
アイリスは喜んで、汗を流しにシャワーへと向かった。
「その間に物件でも見てみるか」
やっぱり単身向けのマンションにいつまでも住んでいるわけにはいかない。
今回のようなことがあった時、隠しきれるものでもないからな。
貴志はアイリスがシャワーを浴びている間、パソコンを開いて物件情報を検索し始めた。
「もう少し広くて、セキュリティもしっかりした場所がいいよな」
心の中でそう呟きながら、いくつかの候補を絞り込んでいく。
場所は、住み慣れていて交通の便も良いこのマンションの周辺だ。
「お、ここは結構いいな。でもオートロックの方がいいか……」
アイリスがシャワーから戻る前に、いくつかの物件を見繕い、不動産屋に予約メールを送っておく。
それからついでにもうひとつ探したいものがあった。
「案外安いんだな……うーん、どの色が似合うかな?」
貴志がブラウザとにらめっこしていると、アイリスがシャワーから出てきた。
最近はちゃんと着替えてから出てきてくれるから、嬉しいやら寂しいやら。
「あーそれ、しってる」
アイリスはパソコンの画面を指さしてそう言った。
まあラブコメのアニメを見てたらそれなりの頻度で出てくるだろうし、知っていてもおかしくはない。
「えっとねー、ゆたか!」
「惜しいっ! それは小学生時代の友達の名前だ」
「むー……じゃ、ゆかた?」
「そう、浴衣だよ。アイリスはこの中でどれが着たい?」
「タカシがいいのがいい」
どうやらアイリスは貴志に選んで欲しいようだった。
それならば、と画面に向き合い選んだのは——彼女の瞳と同じ、水色の浴衣だ。
とはいっても浴衣の方はどちらかといえばグレー系だ。だけど、それがいい味を出している。
「この花柄のやつはどうかな?」
貴志が画面を指し示すと、アイリスは後ろから画面を覗き込んで大きく頷いた。
「きれるの?」
「うん、来週のお祭りで一緒に着よう」
「やったー!」
どうやらアニメで目にしてから浴衣に憧れがあったらしく、そのアニメの話を延々としてくれた。
作中では『わたーめ』というものを食べていたらしい。
きっとふわふわで甘いあれのことだろう。
「……そういえば最近、食べてないな」
最後にお祭りへ行ったのは幸花とだった。
あの時は『わたーめ』がキャラクターの袋に入っていて、ちょっと買いづらかったことを思い出す。
アイリスならむしろ嬉々としてアニメのキャラクターが描かれたものを選ぶんだろうな。なんて思ったらちょっと笑えた。
「よし、寝る前に窓でも塞ぐか。手伝ってくれる?」
「おー!」
貴志は、玄関の横に重ねてある段ボールを解体して広げた。
それから窓枠に押し付けるようアイリスに頼むと、すかさず四方をガムテープで貼り付けた。
「まあ突貫工事にしては上出来だろ」
「じょーずにできましたー!」
田上とか言っていたあの男は明後日ガラス修理に来るらしいから、それまでならこれくらいで十分だ。
本来ならガラス交換程度でも管理会社を通さなければいけないものらしい。
が、今回は指定業者が修理で使うものと全く同じものを用意できるそうなので大きな問題にはならないだろう。
「さて、寝るぞ」
貴志がそう宣言してベッドに入るも、アイリスはテレビの前から動かない。
「これみるのー!」
どうやら、これから見たいアニメが始まるらしい。
それなら仕方がない、寂しいけど一人で寝るとしよう。
横たわりながら目をつぶり、部屋に響くテレビの音に耳を傾ける。
アイリスが観ているアニメの元気な声が静かな夜に紛れ込んできた。騒がしいのになぜか心地が良い。
「こんな日々がずっと続けばいいな。でも、アイリスはいずれ自分の世界に——」
アイリスの存在は、確かに日常へ厄介な問題を引き起こしている。
けど彼女がいてくれることで、貴志は生きていく元気を貰っているのだ。それは間違いなかった。
アイリスがいなくなったら、きっとまた灰色の毎日が続いて、そして死にたくなるだろう。
彼女がいなくなった後のことを想像していたら、それを拒否するように眠気が襲ってきて、貴志はぼんやりとした意識の中に沈んでいく。
しばらくするとテレビの音が止まり、軽い足音がベッドに近づいてきた。
「おやすみ、タカシ」
アイリスの静かな声が耳元で囁かれ、彼女がそっとベッドに入ってきた。
貴志は半分夢の中でその言葉を聞きながら、安らかに眠りに落ちた。
ま、なるようにしかならないか……と思いながら。
次の日、会社に向かっていると幸花からメッセージが届いた。
『今週末ヒマ?』
「うーん、今週末はアイリスとお祭りに行くから無理だな……」
この前、下着の買い物に付き合ってもらった手前断るのも忍びないが仕方がない。
『今週末はちょっと出掛ける用事があるんだ』
『そっかそっか! おっけ〜、じゃあまた今度誘うね♪』
『すまん!』
「そういえば去年の例大祭は幸花と行ったんだったか。あの時は既に仕事でグロッキーだったんだよな」
楽しそうな大勢の人たちを見ていたら、無性に腹が立ったのを覚えている。
あれはきっとただの八つ当たりだった。
アイリスと行く予定の今年は、きっとあの時とは違う感情になるんだろうな。
そう考えると貴志は無性に週末が楽しみになって、仕事の前だというのに心が弾んでいた。
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