第15話 ジャパニーズトラディショナルスタイル

「おーはよ」

「ん……ああ、おはよ」


 アイリスがこの世界に来てから、1ヶ月以上が経った。

 彼女は毎日好きなアニメを見て、ゲームをして過ごしている。

 その成果か、アイリスの日本語は信じられないほどの上達をみせた。


「きょうはサンドウィッチをつくったの!」


 眠たい目を擦りながらベッドを降りると、テーブルには三角に切られたサンドウィッチが並んでいる。

 レタスや、ハムが挟まっていてとても美味しそうだ。


「アイリスが来て、朝からちゃんとしたものが食べられるようになったな。ありがとう」

「なんていうんだっけ?」

「どういたしまして、かな?」

「わかったー」


 頷きながら、以前あげたメモに何やら書き込んでいる。

 100ページ以上あるだろうメモ帳も、そろそろ全て使い切ってしまいそうだ。

 渡したメモ帳は仕事用の簡素なものなので、いつか可愛いメモ帳をプレゼントしてあげよう。


 いただきます、と食べ始めると可愛らしいエプロンをしたアイリスがコーヒーを淹れてきてくれた。

 初めてのカフェで飲んだ甘いコーヒーが気に入ったようだったので、ネットであのベージュの可愛らしいエプロンと一緒に、コーヒーメーカーを注文したのだ。

 今ではアイリスが手ずから淹れてくれるようになっていた。


「おいしー?」

「うん、美味しいよ。座って一緒に食べよ」

「はーい」


 今日は、早い時間に風呂のカーテンレールを修理する人が来てくれる予定だ。

 これで悩みだったトイレットペーパー濡れ濡れ問題が解決できる。

 気を付けていても飛んでしまうから喫緊きっきんの悩みだった。


 朝食を食べてしばらくすると、玄関のチャイムがなった。

 このマンションはインターフォンなんて代物がない古い建物なので、直接ドアへと向かう。

 それからスコープを覗いて誰何することもなく、そのまま開け放つ。


「ユニットバスの修理に来ました。空野さんのお宅で間違いありませんか?」

「ええ、そうです。どうぞ」


 知らない人が、家の中で作業するのは苦手だ。

 なんだか、ずっと気を張っていていないといけないからな。

 アイリスを隠しておく場所もないので、彼女にはいつもどおりアニメを見ていてもらっている。


「あらら、これは天井部分まで破損しちゃってますね」


 工事業者は、手際よくカーテンレールを外すとそう口にした。

 

「え……直りますか?」

「もちろん直りますけど、今日は部材がないので早くても明日になっちゃいますね」

「明日ですか……」


 明日は日曜なので、アイリスと聖地にでも行こうかと思っていたが、仕方ないか。


「分かりました。じゃあ明日で大丈夫です」

「じゃあ取り外したカーテンレールは持ち帰らせてもらいます。あと室内を乾燥させておきたいので、今日はシャワーを使わないで頂けると助かるのですが……」

「あー、はい。分かりました」

 

 鬱の時は数日シャワーを浴びないこともざらにあったが、アイリスが来てからは毎日シャワーを浴びていた。

 なんだかそうしないと気持ち悪くて。でも今日は使えないらしい。


「ちなみに修繕費とかはかかりそうですか?」

「いやー、経年劣化でなんとかなると思いますけどね。ここ古いでしょう?」

「そうみたいですね。それなら良かったです」


 貴志がそう答えると、ユニットバスから出てきた工事業者の男が、チラリと部屋の奥に視線をやった。

 釣られるように振り返ると、アイリスが真剣に勇者パーティから追放された男を応援している。

 どうせ最強なんだから大丈夫だぞ、と思いながら視線を戻すと男が口を開いた。


「彼女さんですか? 可愛らしいですね」

「いえ。と、友達です……たまたま遊びに来ていて……」

「たまたま……そうですか、すみません。お邪魔してしまって」

「いえ、ありがとうございます」

「それじゃ明日も同じ時間に来ますんで」


 男はそういうと、長いカーテンレールを小脇に抱えて部屋を出ていった。

 しまった……そういえば、ここは単身用のマンションだ。

 たまに人を泊めるくらいならまだしも、ずっとここで一緒に暮らしていることがバレたら追い出されるかもしれない。


「引っ越そっかなー……」

「タカシ! ほらみて! ケモミミ!」

「ほんとだーうわぁ可愛いなー」


 とりあえず、この付近の賃貸情報でも調べておくか。

 気持ちがこもってないと頬を膨らますアイリスを撫でながらスマホを開いた。



「ふーごちそうさまでした」

「ごちそーさまー。ハンバーグおいしかったー」


 竹屋で買ってきた弁当で簡単に夕食を済ますと、着替えを持って立ち上がった。


「それじゃ行こうか」

「うん!」


 今日はシャワーが使えないので、銭湯へ行くことにしたのだ。

 貴志は引っ越してきた直後に、一度だけそこを利用したことがあった。

 都心とほど近いこの場所に、昔ながらの銭湯が存在していることにはじめは驚いたもんだ。


 アイリスと手を繋いで、エレベーターを降りる。

 もう彼女もエレベーターに驚いたりはしなくなってしまった。

 マンションを出ると、アイリスがキョロキョロと辺りに視線を彷徨わせる。


「んー」

「どうした?」

「わかんなーい」

「……? まあいいや、行こう」


 銭湯は駅の向こう側なので、家を出て左側に歩いていく。

 踏切を渡ろうとしたら警報機が鳴りだしたので、アイリスの手を軽く引いた。


「でんしゃくる!」

「うん、危ないからあんまり身を乗り出さないでね」

「はーい」


 アイリスはキラキラした目で電車が通りすぎるのを眺めている。

 ただ音は苦手らしく、耳をしっかり塞いではいた。


 踏切を渡ると、駅の反対側に出ることができる。

 こっち側には飲食店や、100円ショップ、惣菜屋など小さな店が軒を連ねていた。

 銭湯はその商店街の中にあるのだ。


 店構えからして趣を感じる店に足を踏み入れる。

 番頭さんがちらりとこちらを見たのは、アイリスが珍しかったからだろうか。


「ちゃんと体を洗ってからお湯に入るんだぞ?」

「わかってるー」

 

 家を出る前に、しっかり銭湯の入り方をレクチャーしたが大丈夫だろうか。

 でも一緒に入るわけにもいかないしな、と考えつつ番台で2人分の入浴料を支払う。

 建物は随分古そうなのに、BuyBuy決済に対応しているのがまた凄い。

 柔軟な考え方じゃないと、この時代を生き残っていけないのかもしれないな。

 

 アイリスと別れると、更衣室で服を脱ぎ風呂場に入る。

 滑らないように気を付けながら、シャワーの前に座ると水を出した。


「わー、ひろーい!」

「…………」


 アイリスさん、あなたの感動が隣の男子風呂まで伝わっているよ……。

 はぁ、とひとつため息を吐いた貴志は、手早く体を洗って大きな浴槽に体を沈めた。



「ふー、気持ちよかった……」

 

 風呂から上がって、待合スペースで涼んでいるとアイリスが出てきた。

 おばちゃんたちに囲まれて、まるでアイドルのようだ。


「タカシいたー!」


 アイリスはおばちゃんたちに手を降って、こちらへ駆け寄ってくる。

 お湯に浸かって血行が良くなったのか、白い肌がピンクがかっているのが可愛らしい。


「大丈夫だった?」

「うん! おばさま方みんながおしえてくれたのー!」

「そっか、それはありがたいな。さて……」


 貴志は備え付けの冷蔵庫を開けると、牛乳とコーヒー牛乳を取り出した。

 コーヒーといっても牛乳瓶に入った甘いやつなので、たぶんアイリスが好きなやつだ。

 番台でお金を払ってから、茶色の方をアイリスに手渡す。


「やっぱ風呂上がりはこれだよ」


 そういうと、貴志は手本を見せるように腰に手を当てて牛乳を飲む。

 これは古より伝わる銭湯の儀礼だからな。

 アイリスもそれに倣って、腰に手を当ててコーヒーを飲んでいた。


「ふぃーおいしーい!」


 

 ポカポカの体で家路に着くと、駅前に貼ってあるビラが目に入った。


「お、例大祭か……もう来週なんだな」

「れいたいさい?」

「うん、おまつりだぞ! 来週らしいから、連れて行ってあげるね」

「おまつりー? しってる! りんごあめでしょー、ちょこばななでしょー、それからーフランク——」


 ワクワクした顔で食べ物の屋台ばかりを指折り数えていたアイリスだったが、ふと言葉を詰まらせる。

 そして首を傾げてから、しきりに周囲を見回した。


「どした?」

「ん……。だれかに、みられてる……ようなー?」

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