第16話 シークヮーサーの発音は難しい
アイリスは、家に帰りつくまで何度も止まり、何度も振り返っている。
不安と、不快と、困惑がないまぜになったような顔をしていた。
「もう大丈夫か?」
「うーん。でもタカシ……きもいよ」
「キモい!? なんだか突然、悪口を言われた気分だ」
きっと気持ち悪いよ、といいたかったんだろう。
頼むからそうであって欲しい。
「誰かがアイリスを見ていたんだよな?」
「かなー? ねばねば?」
「良くは分からないけど、ネバネバは嫌だな」
蜘蛛の巣に絡みつかれる想像をすると……まさに『キモい』だ。
「アイリスの見た目が珍しくて見てた、ってだけならいいけど……」
「ちっがう! ねばねばー!!」
どうやらネバネバとした視線を感じたらしい。
となると、卑猥な感じで見ていたってのか?俺のアイリスを。
「許せんな……」
「ですなー」
「とりあえず、次に外出する時は気をつけよう」
そう決めると、貴志は一足先にベッドへ入った。
アイリスは、この前買ってあげた乳液をペタペタしている。
あれが終わったらモチモチになった肌でベッドに潜り込んでくるだろう。
「本日もよろしくお願いします」
朝食を終えて、フルーツをくっつけるゲームを楽しんでいると工事業者が訪ねてきた。
昨日よりはちょっと遅いけど、まあ気にするほどじゃないか。
「作業にはちょっと時間がかかりますので、部屋でくつろいでいて下さい」
業者の男は、ちらりと部屋の奥へ視線を向けながらそう言った。
「分かりました。じゃあお願いします」
貴志は業者の男にそう対応して、ゲームをしているアイリスの隣に戻った。
すると、さっきまで「シークヮーサーとんだの!」と楽しそうに騒いでいた子の顔色が悪い。
アイリスは無言でコントローラーを貴志に押し付けると、逃げるようにベッドに入って掛け布団にくるまった。
「うー、ねばねば。やだー」
「え?」
ねばねばって昨日、口にしていたやつじゃないか。
ネバネバした視線で見られていた、って言っていたあれだろう。
「もしかして、昨日もあの人が見ていたってこと?」
「わかんなーい」
分からない、か。
確実じゃないのに、いきなり問い詰める訳にもいかないしな……。
とりあえず工事が終わるまではベッドの中にいてもらうか。
「じゃあこれでアメマTVでも見てな」
貴志はスマホを掛け布団の中に差し込んだ。
これで工事が終わるまで、退屈しないだろう。
「いやー時間がかかってしまってすみません」
「いえ……もう今日からシャワーを使って大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。ぜひ今日から使ってもらって……あれ、彼女さんは?」
「ああ、ちょっと体調が悪いみたいで寝ています」
「そうですか、そりゃ残念。では作業終了のサインをお願いします」
貴志がサインをすると、男は家を出ていった。
ささっと鍵を閉めてからアイリスに声をかける。
「もう終わったから出てきて大丈夫だよ」
「……」
返事がないので掛け布団をそっとめくってみると、アイリスはすぅすぅと小さな寝息を立てていた。
「寝ちゃったのか……起こすのも悪いな」
しばらく技術的な本を読んで勉強をしていると、アイリスがのそっと起きてきた。
「おはよ、あさー?」
「いや、全然朝じゃない。昼過ぎだよ」
「そっかー」
伸びをしながらベッドから降りて、トイレにいったアイリス。
ついでに顔を洗ったらしい彼女は、顔を濡らながら出てきた。
「ほら、ちゃんと拭かないと」
貴志はそういってタオルを投げ渡した。
顔でキャッチしたアイリスは、拭きながら礼を述べる。
「ありがと」
「どうだ、カーテン直ってただろ?」
うん……と、返事はしたものの、アイリスはなんだか晴れない顔をしている。
彼女はいつも元気一杯なので、ちょっと元気がないだけでついつい心配になってしまう。
「どうしたの?」
「うーん。あそこのなか、ねばねばするー」
「ユニットバスの中が?」
貴志が指をさすと、アイリスはこくこくと頷いた。
真剣な顔をしているので、嘘やデタラメじゃないんだろう。
「じゃあ一緒に行ってみよう。どんな感じでねばねば?」
「みる? みられてる?」
「見られている感じがするのか……まさか覗き穴でもあるのか?」
そう思って、ユニットバスの室内を調べてみるもそれらしい穴は見当たらなかった。
そもそも穴が開いてたところでどうやって覗くというのか。
やっぱり気の所為じゃないか、そう思った。
けど、不安そうなアイリスにそんな冷たいことを言うわけにもいかない。
「じゃあ、今日も銭湯に行こっか」
「いいの?」
「もちろん。ねばねば嫌だろ?」
「いやー」
ということで、今日も銭湯へ行くことになった。
ささっと用意をしてお店まで行くと、店頭になにやら貼り出されている。
「お、今日はお楽しみ湯をやってるんだって」
「おたのしみー?」
「うん。シークヮーサー風呂だってさ」
「しーかーさーしってる!」
朝にゲーム内で見かけたフルーツの名前を聞くと、アイリスは目を輝かせた。
まあ入浴剤が入ってるってだけだとは思うが、きっと匂いくらいは楽しめるだろう。
「タカシみて、しーかーさー!」
風呂から上がったアイリスが、緑色の果実を手にして出てきた。
確かに入浴剤じゃなく本物の果実が風呂に浮いてはいたが、まさか持ってくるとは。それにあれは網に入っていたずだ。
「そと、でてたのー」
「それでも持ってきちゃダメでしょ」
貴志はアイリスからシークヮーサーを取り上げると、番台の女将さんに謝罪をして手渡した。
後ろではアイリスも「ごめんねー」と頭を下げている。
「いいよいいよ。それにしても仲がいいね、昨日も来てくれてなかった?」
「ええ、自宅の風呂を修理してまして……まあもう直ったんですけど」
「あら、そうだったの。直ったならもう来る必要はなくなっちゃったかな。おばちゃん寂し〜」
「いえ……。この子が風呂場を覗かれてる気がするなんていってるんで、また来させてもらうかもしれません」
そういうと、女将さんの顔色が変わった。
なにやら真剣な顔で、声を潜めて語りかけてくる。
「それって、もしかすると盗撮ってやつじゃないの? そういうのに敏感な子っているんだよ」
「えっと……工事業者さんが?」
「それは知らないよ。ただウチの脱衣所にカメラ仕掛けようとしたバカもいたしね。気をつけなよってこと」
「わ、分かりました……気を付けます。ありがとうございました」
礼を述べて、そのまま店を出ようとする。
そんな貴志を引き止めるように、アイリスが袖を引っ張ってきた。
「どした?」
「んー! んー!」
アイリスは腰に手を当てて、何かを飲むジェスチャーをしている。
「ああ……そっか、忘れてた。今日は俺もコーヒーにしようかな」
それにしても盗撮か……有り得ない話でもない、のか?
帰ったらもうちょっと細かい所まで確認してみよう。貴志はそんな事を考えながら、腰に手を当てた。
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