第2話 少女をお持ち帰りした
目の前の少女は、相変わらず必死に何かを喋っている。
喋ってはいるのだが——。
貴志にはどうしても聞き取ることができず、思わず眉をひそめてしまう。
英語、フランス語、スペイン語、イタリア語……そういったメジャーな言語であれば、文章こそ聞き取れないにしても、何となく言葉の端々に耳にしたことのある単語が引っかかるはず。
しかし、少女の口が紡ぎ出す言語は全くの未知だった。
宇宙人の言語と言われれば、なるほど、しっくりくるかもしれない。
そもそも見た目だって、ちょっと普通じゃない。
まず、目がアクアマリンのような水色。
それでいて髪は薄めのピンク、ホワイトピンクとでもいえばいいか。
カラーコンタクトとウィッグなのかもしれないが、それにしてはどうも馴染みすぎている。
じっくりと少女の姿を眺めていると、ふと散歩中の老婦人と目が合う。
そうだった。ここは利用者が少ないエリアとはいえ、曲がりなりにも公園の中だ。
全く人が通らないわけじゃない。
男の上に半裸の少女が跨っているのを目にした老婦人は「破廉恥よ!」などと叫びだすことなく、慌てて目を逸らしてくれた。
それはありがたいが、後でこっそり通報されでもしたらかなわない。
「なあ、お前なんか色々とワケありっぽいし、いったんウチに来ないか? ……まあ無理に、とは言わないけど」
言葉が通じないのは分かっていたが、貴志は少女の目をしっかり見て、心で伝えようと試みる。
すると少女は理解しているのかしていないのか、すぐにぶんぶんと首を縦に振った。
「じゃ、とりあえず降りてくれ」
知らない少女をむやみやたらに触るわけにもいかず、両手を横にずらすジェスチャーでなんとか伝えようとする。
最初こそ首を傾げていた少女だったが、何度か同じ動きを繰り返すと、理解してくれたのか、頷いて貴志の上から降りた。
その時にチラリと見えてしまったのは仕方がなかった。
貴志はそう自分に言い聞かせる。
ようやく馬乗りから開放され、立ち上がった貴志は改めて少女に目をやった。
身長は173センチの自分より20センチほど低く見える。
その体で貴志のカーディガンを羽織れば当然オーバーサイズなわけで。
袖からちょこんと覗いた指先がなんだかとても可愛らしく見え、顔が熱くなった。
「ウチ、こっち。着いてきて」
照れていると思われたくなくて、貴志はあえてぶっきらぼうにそう告げると背を向ける。
歩き出そうとした貴志の体は、意思に反して前に進まず、思わず転びそうになった。なんだ、と振り返ると、少女が貴志の服をその細い指先でつまんでいる。
「ど、どした?」
貴志がどもりながら聞くと、少女は服から手を離し、おずおずとその手を貴志へ向けて伸ばした。
「握手……じゃないよな。手、繋ごうってこと?」
もちろんこの会話は通じていないのだろう。
そんなことは分かっていても聞かないわけにはいかない。
ナイーブで傷つきやすい心の持ち主である貴志は、勘違いで手を握って少女に嫌がられたくなかったのだ。
そんな貴志の態度に焦れたのか、少女は数歩前に進むと、自ら貴志の手を掴んだ。
「あっ……」
しまった、変な声が出たな……。貴志は自分でそう思った。
きっと赤くなってしまっているであろう顔を隠しながら、ぐいと少女の手を引いて歩き出す。
貴志の家はこの公園から歩いて5分ほどなので歩いてもすぐに着いてしまうが、それだけあれば顔の熱もきっと引くだろう。
公園から出たところで、少女は小さな声を漏らした。
「縺医√↑縺ォ縺薙%……」
それから、キョロキョロと周りを物珍しそうに見回している。
まるで初めて文明に触れた原始人のようだ、と貴志はわずかに口角を緩ませた。
後ろから車が来たので、気をつけるよう促すために、少女の手を軽く引っぱる。
それに気づいた少女が後ろを振り向き、車を視界に捉えたのだろう、その体がびくりと大きく跳ねた。
慌てて貴志の後ろに隠れて、ぴたりと体を寄せる。
車が完全に通り過ぎるまで、少女はずっとそうしていた。
——まさか、車を知らない?
貴志はそんなことを思ったが、今の時代、車がない場所を探すほうが難しい。
ということは、もしかして……。いや、そんな訳がないだろう。
貴志は頭に浮かんだ考えを否定するように、頭を振った。
小さな川に架かる橋ともいえないような橋を渡ると、道の反対側には交番がある。
目立つ少女の手を引いているのを見咎められやしないか、とビクビクしながらその横を通り過ぎ、その際にちらりと横目で中を覗いた。
どうやら交番にはパトロール中の札がかかっていて、誰も居ないようだった。
ほう、と息を吐いて、警ら中のお巡りさんに見つからないよう自分の住むマンションへ急いだ。
貴志が住んでいるのは、五階建てのやや古いマンションだった。
一階がコンビニになっているのと、駅から徒歩一分というのが契約の決め手である。
駅前の喧騒に目を丸くしている少女を引きずって、コンビニの横側から滑り込むようにマンション内へ入る。
エントランスでエレベーターの呼び出しボタンを押すと、しばしの静寂が訪れた。
「縺ヲ繧薙○縺�@縺溘▲縺ヲ縺薙→……?」
少女は何かぶつぶつと口にしているが、どうやらそれは貴志に向けられた言葉ではないようだった。
それなら殊更触れる必要もない、と貴志は壁にもたれかかる。
しばらくしてエレベーターがやってきたので、乗り込むように少女を促した。
目的の三階を押すと扉が閉まり、上へ向かって動き出し——。
「———ヒィッ!」
少女が短く叫んだ。悲鳴はちゃんと悲鳴に聞こえるんだな、なんて貴志は冷静にそう思った。
どうやら少女は、エレベーター独特の床が動く感覚に驚いたらしい。
でも実はこうなるんじゃないか、と貴志は予想していた。
まず瞳と髪の色でそう疑った。それから未知の言語で疑いが濃くなり、車に驚いたところを見てほぼ確信していたのだ。
もちろんその一方で有り得ないだろう、とも考えてはいたが。
ただ、それ以外に納得できる答えが見つからないのもまた事実で。
だからエレベーターを降りた貴志は、後に続いて降りてきた少女へ問いかけた。
「なぁ、もしかしてお前って異世界の人じゃない?」
もちろん少女にこの言葉は伝わらない。貴志もそんなことは分かっている。
だけどあえて聞いた。自分のその突拍子もない考えを言葉にしたくて。
そうして改めて口に出したら、もうそうだとしか思えなくなった。
貴志は急いでポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
わずかに手が震えていたのでまごついたが、どうにか鍵を開けると、扉を開く。
「どうぞ、狭くて汚い家だけど」
何となく言いたいことが伝わったのか、こくりとわずかに頷いて、少女は貴志の家に足を踏み入れた。
「ちょちょ……ちょっと待ったぁぁぁ! いくら汚いっていってもウチは土足厳禁だから!」
少女はこてん、と可愛らしく首を傾げる。
まあ今まで家に入る時に靴を脱ぐ、なんて習慣はなかったのだろうから当然ともいえるか。
それならば、と貴志が玄関で靴を脱いで見せると、少女もそれに倣って玄関へ戻り、サンダルに似た履き物を脱いだ。
_______________
フォロー&評価(☆☆☆⇒★★★)して頂けると、嬉しいです♪
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます