半裸が空から降ってきた
空野貴志(そらのたかし)は、ボーっと空を見つめていた。
近所にある大きな公園の、外周にポツリと置かれたベンチに腰掛けて。
少年たちがサッカーに興じている楽しそうな声を聞きながら、ただ心を無にしている。
いや、よく見ると腰掛けているのはただのベンチではなかった。
どうも腹筋をするための器具のようで、ベンチの端に足を引っ掛けるためのバーがついている。
周囲には他にも体を捻る器具だとか、伸ばす器具だとかがあるが、残念ながら誰も利用していない。
しかし、いくら他の利用者がいないからといって、何もせずにこの場所を長時間占拠しているわけにもいかない。
貴志はそう考え、正しくこの器具を使ってみることにする。そう、腹筋をするのだ。
正直なところ、貴志はここのところ全然運動をしていなかった。
新卒でIT系の会社へ入ってもうすぐ丸三年ともなると、新規の案件を振られることも増えてきた。
その割に、スキルはそこそこ程度のままで。
だから納期に間に合わせるため無理をすることが多く、寝不足が続いている。
そんな中で運動なんて、とても無理だと自分に言い訳をした。
「ふー、これで10回……っと」
ぼんやりと決めていた目標を達成すると、貴志は深い息を吐いてばたりと仰向けに寝転がる。
そのままの体勢で目を開けば、嫌でも空が目に入った。
ああ、お前は今日も憎いほど青いのか。
毎日同じ事の繰り返しで、ただ老いていって、そして死んでいく。
社会に出ると、そんな無味無乾燥な自分の未来が容易に想像出来るようになった。
そうなると、なんだか世界が灰色に見えるようになってしまって。
人生を終わらせるのが、今日でも明日でも変わらないんじゃないか、そう思う日が増えていった。
それでも空だけは相変わらず青くて。だから嫌になる。
軽度の鬱だと診断されたのは二ヶ月ほど前のこと。
仕事に疲れ果て、すれ違いがちになった彼女と別れた頃だった。
まず風呂に入るのが億劫になった。
それから新しい事への興味が薄れて、積みゲーは増えていく一方で。
上司に毎日が辛いと相談をすると、やる気がないだけだと笑われて、尻を叩かれた。
なんだ、こんなに頑張ってるのにやる気がないように見られていたのか。
そう思ったら、やる気は出るどころか削がれていく一方だった。
心療内科を予約しよう、そう思ってから電話をするまでに一ヶ月かかった。
そんな自分に呆れながら、ようやく電話したっていうのに、どこも半年は待つらしい。
そりゃこんな息苦しい世の中じゃそうもなるよ、なんて乾いた笑いが出た。
それでもようやく見つけた〝なんとかメンタルクリニック〟で、貴志はとうとう鬱と診断されたのだ。
まあそうだろうな。貴志は自分の状態を鑑みてそう納得していた。
じゃあ薬を出しておきますね、と貰った薬はすぐさま〝お薬119〟というサイトで調べてみる。
これは貴志の癖だった。
出されたものを何も知らないままにただ飲むのは嫌だ、という妙な意地。
無駄な労力を使って調べた結果、手元の錠剤は向精神薬と、あとは胃薬に睡眠薬らしいと分かった。
もちろん薬局で説明されたとおりなのだから、やっぱり調べたのは無駄な労力だったが。
処方される組み合わせとしてもポピュラーなものらしいので、それなら大丈夫かと安心して薬を飲む。
言われた通りに飲んで寝ただけなのに、次に起きたのは——昼もとうに過ぎて、夕方に差し掛かろうという時間だった。
恐る恐る覗き込んだスマホの画面には、見たこともない量の着信が残っていた。
メッセージも数時間おきに送られてきていたが、内容は叱責しているものばかりで、その中に貴志を心配しているものはひとつもなかった。
大型の案件が焦げ付きそうになっていた時期だったので、次の日に大目玉を食らったのも仕方がないことではあった。
だから貴志は薬を飲まなくなった。そうするしかなかったのだ。
「あーあ、生きるのって面倒だな。今死んだらこの前読んだラノベみたいに異世界転生とかしたりしねえもんかな」
ついぼやいてしまったのは、一人暮らしをはじめてから独り言が増えてしまったから。
「—————縺薙l豁サ縺ャ繧�ッ!」
そんな空耳が聞こえてきたのは、ついに幻聴が始まったから——ではなかったらしい。
青空が広がっていたはずの貴志の視界に、突然少女が出現したのだ。
それはまさに空から落ちてきた、としか表現できないほど急だった。
驚いた瞬間にはもう強い衝撃を感じていて、それと同時にむにゅ、という暴力的な柔らかさが襲ってくる。
それは今まで味わったことがないほど、至福の柔らかさで。
ただ鼻と口を豊かに実った〝それ〟で塞がれ、息ができないのは少々問題だった。
「むぐぐ。ぐるじい……」
下敷きのままジタバタと暴れると、貴志に抱きつくような格好をしていた少女が慌てて体を起こす。
「ほえぇ……っ?」
貴志は思わず素っ頓狂な声を出した。
なぜかって、自分の体に跨っている少女がとんでもない美人だったから。
いや、それだけじゃない。
着ている服がボロボロで、見せてはいけない部分が見えてしまいそうだったからだ。
「縺斐a繧薙↑縺輔>縺」
少女は、半裸に近い姿で知らない男に跨ってるというのに、何故か逃げようとしない。
それどころか、困ったような表情で何かを呟いている。
貴志は聞き取れなかっただけか、と思い聞き返した。
「なんて言ったんだ?」
「縺薙%縺ッ縺ゥ縺薙〒縺吶°��……?」
何かを尋ねていることは語尾のニュアンスでなんとなく感じ取れたが、それ以外はさっぱり理解できない。
けれど分かることもある。それは、このままじゃまずいってことだ。
どういうわけか彼女は半裸で、今にも泣き出しそうな顔をしている。
つまりこのまま大声で泣かれでもしたら、きっと貴志が悪者にされるだろう。
そんなニュースを聞いたことがあった。
貴志は慌てて自分のカーディガンを脱いで、少女に手渡した。
彼女は意味が分からないとでもいうように、こてんと首を傾げた。
しかし自分が半裸なことに気がついたのか、押し付けられたカーディガンを受け取ると、破れかけた服の上から羽織ってくれた。
それから貴志の目を真っ直ぐに見つめ、柔らかそうな桃色の唇で言葉を紡ぐ。
「隕九◆�? 溯イャ莉サ蜿悶▲縺ヲ繧医�!」
申し訳ないが、やっぱり何を言っているのか分からない。
けれど貴志は、その必死な表情に魅入られたように、気づけばこくりと頷いていた。
すると彼女はパッと花が開いたような笑顔で笑う。
そのあまりの可愛らしさに、思わず貴志の心臓は高鳴ってしまって。
灰色だった毎日が色づき始める。貴志にはなぜかそんな予感があった。
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