第8話 提訴までの出来事その3

本来の構成では、この第8話には〈カルテの差し押さえ〉が来るはずであったが、タイトルの〈耳原病院が謝罪し、一千万を支払った理由〉との関連では出番が遅きに失し、読者の皆さんの興味をそぐ結果ともなりかねないとの判断から、順序を入れ替えそれを第4話の位置に移動させた。ただ、時間的には本話の〈相続放棄書偽造事件〉は、〈カルテの差し押さえ〉の後で発覚した事件であったことから、時系列的にはさして問題が生じる余地はないと思われる。

 さて、わが友・丹ちゃんが言うように、私はブラックホールならぬ、トラブルホールであろうか。何故か、この時期、トラブルが私や家族のもとへ信じがたい確率で引き寄せられてくるのだ。

 大学の講座が忙しくなってきたのは、初年度からの講座の受講生が国家Ⅱ種や地方上級職でかなりの合格者を出したことと、私作成の公務員講座のテキスト〈行政法の徹底整理〉が分かりやすく、六十八ページのこれ一冊で行政法の体系が容易に頭に入り、量的にもこれ一冊で十分。しかも無料であることから、受講生の評価が得られたことが影響したのであろう。翌年や翌々年から立命館大学や関西学院大学等の公務員講座まで任されることになってしまった。

 受講生の数が二百五十名を超える立命館のエクステンションセンターでの講義は、テレビカメラの撮影で、学生たちが頭上のモニターで視聴するという大層なものだった。当然、講義案の作成にも手間がかかった。

 そんな講義と講義案作成の合間に、信じがたい出来事が起こった、というか、二十数年前に起こされていたことを知らされてしまった。両親の離婚により、南埜宏・フジヱ夫妻の養子となったことは〈第1話 プロローグ〉の中で既に述べたが、私の実父母が各々再婚し、新たに家庭を築いていたことは風の噂でしか知らされていなかった。そもそも私が養子であることは、小学校五年の時に初めて知ったことであった。父宏は親族会社である西埜植織物(株)の工場長の地位を離れ、三宝織物(株)を設立して百人近い従業員を雇って会社経営に勤しんでいたが、悪徳貸金業者に手形を詐取され、会社倒産という憂き目を見てしまった。先祖伝来の屋敷や土地をすべて無くしてしまったのだ。こうなると世間は現金なもので、私が養子であることを知らされないよう掛けられていた両親の圧力が、いとも簡単に外されてしまい、十一歳のときに私は貰い子であると知ってしまった。

 実父母に話を戻すと、実父は実は二十数年前に亡くなっていることが、自宅を訪れた異母妹と異母弟によって知らされた。妹は小学校の教師、弟は中学校の教師をしていた。八月第二週の日曜日に訪れた用向きは、祖父名義のままの土地が未だ残されていて、それを国に放棄したいので、相続放棄書に署名をしてくれとのことだった。

「所有権移転の仮登記がついていて、使い勝手の悪い土地なので、国に放棄しようと思っているんです。名義は祖父のままなので、ここへお兄さんが署名をしてくれれば、国へ放棄できますんで」

 中学教師をしている弟が差し出す書面を見て、私は呆れてしまった。被相続人欄が白紙なのだ。つまり私が署名することによって、白紙欄に誰の名前を書いても、私のその人物に対する権利が放棄されるという内容の書面であるのだ。当然、私としては、これに署名することによって、実父の権利を放棄させる意図であろうとの判断が働く。

「私も大学で法律を教えているので、こんな書面に署名することはできないよ。顔を洗って出直してきなさい」

 そういって、二人を帰させたのだが、どうも様子がおかしく、話がかみ合わなかったので、司法書士をしている南埜紀秀さんの事務所を訪れ、

「紀ちゃん。異母妹と異母弟がいきなりやって来てな、ちょっとおかしな話になってんねん。ここへ署名してくれって言うてんねんやけど、ぼく、大学の講座、忙しいてな。時間ないんで、調査してもらえるとありがたいんやけど」

 丹ちゃんに頼んでもいいのだが、堺市中区の深井で司法書士事務所を開いている紀ちゃんに頼む方が、土地勘があり、また八歳上で我が家とのつながりの深い専門家に委ねた方が良いとの判断で、面倒をかけることにしたのだった。

 一週間もしない内に調査は終わったが、内容は意外というか、驚嘆すべきものだった。

「純ちゃん。えらいこっちゃわ。あんたの実のお父さんに対する相続権、二十五年前に放棄されてたで」

「そんなアホな!」

 紀ちゃんの事務所で、彼を前に発した第一声が、これだった。後妻に入った女性が私の相続権をなくすため、財産などほとんど無いと偽り、養父である宏をそそのかして相続放棄書に偽造署名させたのだった。養子であることを知られたくないという父の心理を利用した汚いやり方だった。私は十一歳の時に既に養子であることを知っていたというのに、父は何とも愚かな行為に加担したものである。

「素人は、ホンマに怖いな。後妻に入ったおばちゃんは、私文書偽造罪の教唆なんやけどな。時効が完成してるから罪には問われへんけど、完成してなかったら、俺は確実に告訴してたのに‥‥‥。いずれにしても実父が亡くなって二十年以上経ってるんで、時効による土地取得を言い出しかねんな。相続放棄書は偽造で、僕の相続放棄は無効なんやけど、後妻のおばちゃんと、異母妹と異母弟が、相続財産を時効取得したと言いよる可能性があるな」

 テーブルをはさんで紀ちゃんと向かい合いながら、私は顔をしかめた。実際、異母弟の口から弁護士に相談しているようなことが告げられていた。他人の土地を他人のものと知って(悪意)、二十年間占有すると時効でその土地を取得することが、民法で認められている。既に二十五年も経過しているので、期間の点では時効取得の要件を満たすが、共同相続人が偽造に関与していたような場合、最高裁は時効援用権(時効の利益を受けるとの権利主張)の行使を信義則違反として認めないのではないか、というのが私の考えで、時効の主張があれば裁判で争うつもりだった。ただ、裁判にかけずに権利が回復できればそれに越したことはなく、異母弟が一人で訪れたときに、簡単な相続財産の分割協議書を作り、これに署名させた。印を持っていなかったが、拇印で良いといって記名捺印に代えさせたのである。これで、異母弟は裁判になっても、時効完成後の債務承認という最高裁の打ち立てた論理によって、時効の援用は許されなくなった(最高裁昭和四十五年判決)。少し溜飲が下がった。

 結局、南埜紀秀司法書士事務所で遺産の再分割協議書を作成してもらい、私は実父の相続財産として、堺市中区深井の土地五百坪ほどを実父死亡時に遡って相続することになった(遺産分割の遡及効)。そして、この土地に区画整理が入り、戦後日本最低の区画整理が行われ、それに反対した私に様々な脅し嫌がらせが降りかかってくるのは、時を追って展開するので、読者の皆さんは不正がどのようなからくりで行われ、バッドマンたちが税金をどのように吸い尽くすかを知っていただきたい。

 以上が紙本で出版した〈耳原病院が謝罪し、一千万を支払った理由〉の第8話に加筆したものであるが、ここに新たに、二つの出来事を記述させて戴くことにする。一つは残念な出来事で、実父の遺産再分割協議の登記への反映を依頼した、南埜紀秀さんが亡くなったことである。彼の実家は、私の近所で呉服店を営んでいたが、やんごとなき事情で、我が家より三年前に所有土地と家を処分して鳳へ引っ越した。頭の良い人だったが、家計の助けにと工業高校へ入学して、大学進学をあきらめたと、当時の心境を苦渋に満ちた表情で語ってくれた。家庭環境も私とよく似ていて話しやすかったのであろう。子供のころの、少し斜に構えた紀ちゃんの印象が、親しく付き合いだして納得させられるとともに、もっともっと話したかったのにと、残念でならない。同じカクヨムに掲載している【ハウステンボス~箸墓オバケGame受験生は、妖怪と卑弥呼がお好き】で、主人公・稲垣のぞみの父の出身高校を紀ちゃんの母校・堺工科高等学校にしよう。書く前から決めていたことだった。この紀ちゃんの家族が渡哲也さんの大ファンで、渡さんが大阪を訪れた折に食事をご一緒させて貰ったと、嬉しそうに語っていたが、その紀ちゃんの笑顔が昨日のことのように蘇ってくる。本書と並行してカクヨムに掲載する、耳原病院の医療事故がテーマの【堺の鳳が舞台のジパング通信局】、これは題名にある如く堺の鳳を舞台にした作品で、渡さんの弟・渡瀬恒彦さんをイメージして書き上げたが、読み直す度に、紀ちゃんの印象が色濃く投影されているのを感じてしまう。渡瀬さんも紀ちゃんもほぼ同じ年齢で亡くなられたが、何とも惜しまれる若い死だった。改めてここにご冥福を祈りたい。

 

 さて、本話に書くことに全く気乗りのしない、最後に記載する出来事の順番がとうとうまわってきたが、記載すべきかどうか、実は今も悩んでいるありさまで、この点は素直に、読んで戴く読者の皆さんの判断に委ねたいと思う。実は三年前、我が家へいきなり、

「宮崎さんのお宅ですか!」

 と、息せき切った声で電話がかかってきた。異父妹とはずいぶん以前に五回、短く話しただけだが、私には声で電話の主が彼女であるとすぐ分かった。実母に緊急事態が訪れたことは声の調子から伺えたが、南埜ではなく宮崎との呼びかけに私は迷ってしまった。命に係わる真の緊急事態であれば、信頼のおける人物からの連絡があるはずなので、それがないことから少し安心していたことも事実だった。いずれにしても、何かあれば、私のここへ電話するようにと実母には電話番号を伝えてあったので、そのメモ書きを見つけて私の自宅へ電話をしてきたのであろうとの判断がついた。が、南埜と書かず宮崎と書いたことに実母の悩みを読み取ったのだった。読者の皆さんで、〈堺を食い物悪人〉と呼ばれる人物の脅しに対抗して、私がネット上で彼の悪事を告発していることはご存知の方も多いと思うが、実はこの男は実母の親族であるのだ。ネットで〈堺を食い物悪人の脅し〉を検索してもらえば、最後の箇所で、「泣いて震えてら」とふてぶてしく実母を脅す声が入っているのがお分かりいただけると思うが、このような調子で、弱い者を責め立てるのを得意とする男なのだ。警察署長との人脈を自慢げに語り、堺市から巨利を貪ってきた人物。実母の親族がそんな悪事を働いて来たとは思いもよらなかったが、実像を知ってしまうとネットの脅しで自ら語っているように「悪やったら悪で行け! 俺みたいに!」のワルそのものであった。実母に累が及ばないようにとの配慮から、実母とは全く付き合いがないと、問われれば応えることにしているが、では、ここに書くことで、知られてしまうではないか! とのご指摘があろうが、まさにその通りである。ただ、事情の変化が生じていて、実母が介護施設へ入っていて守られているとの情報を戴いている。それに、〈堺を食い物悪人〉が私との闘争の中で、極端に弱体化してしまっていて、もはや実母に危害を加えられる威力も失ってしまっていることも分かっている。もっとも私への攻撃意欲は未だ旺盛で、恨み骨髄に徹するの体をなしていて、実母に「あいつ(私のこと)はお前の財産を狙っているんや」とのあらぬ事実を彼女に語り、その妹を通して実母の被害妄想を掻き立てているとの知らせも私に伝わってきている。このような状況下で、先の異父妹の電話がかかってきたのだった。

「いや、違いますが」

 宮崎と問われて、はいそうですと答えるわけにもいかず、実母の思いも察し、すぐ親しい人物に実母の様子を探ってもらおうと、取り敢えずこの場を収めるべく、そう答えた。しかし、電話の主は執拗であった。すぐにまた「宮崎さんのお宅ですか!」と電話を入れてきたが、私の答えは今回も同じ。半血(血が半分の関係)だが、兄の声くらいは気づけよ、と言いたかったが、相手は気づかないまま電話を切った。これで終わりかと思っていたら、すぐ三度目の電話がかかって来て、また同じ「宮崎さんのお宅ですか!」の問いかけであった。さすがに今回は、「どちらへおかけですか?」と問い返してみると、案の定、私の自宅の電話番号を受話器にもらしたのだった。仕方なく今回は、「南埜ですが」と答えて相手の反応を見ると、これも予想通りで、相手はすぐに電話を切ってしまった。彼女はそのあとどのような行動に勤しんだのかは、丹ちゃんや菊ちゃんの言を待つまでもなく、遺言書その他の自己に不利な書面の捜索に励んだであろうことは想像に難くないが、何とも後味の悪い対応だった。我が家へは脅迫まがいの電話が頻繁にかかって来ることで、警察や弁護士の勧めで電話は録音されているが、異父妹からの電話は、三度も四度も聞いてみようという気持ちは容易に生まれないもので、後味の悪さだけが残っている。実母はその後数回脳梗塞で倒れ、現在施設へ入っていると、昨年、隣家の奥さんも教えてくれたが、その際、金銭的援助は惜しまないし、会いたければいつでも会いに行くからと伝えて貰うようにした。が、いま現在も連絡はないのが少々気がかり。ただ、タフで強情なところは、さすがに我が母であるなとの印象が私を支えているのは事実で、これが養母のフジヱであれば飛んで行ったのだが、あまりにも性格の似すぎた実の親子ゆえか、それとも私が薄情息子であるからなのか。「お歳が御歳だから、早く会いに行ってやりなさいよ」との我が家の奥方の声もだんだん大きくなってきたことから、そろそろ重い腰を上げようと思うが、中々、会いに行く決心がつかない。施設を訪れた際、母が喜ぶのであろうか、また異父妹はどんな対応をするのか。

「母は、会いたくないと言ってます」

 異父妹の口からこの言葉を伝えられるのが、やはり、一番つらく、応えてしまう。

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