第4話 カルテの差し押さえ

はやる心を抑えながらの日々の暮らしはつらいもので、私は格闘技で培った極意というか諦観に似た心理で、心的葛藤をオブラートに包む〈怒り閉じ込め一時忘却パターン〉と名付けた毎日を送ってきたが、妻は父の苦しむ姿が頭から離れず、悩み続けていたのだった。

「こんなこと、許されるはずないわ。お義父さんが可哀そうすぎる。ねえ、何とかならないの」

 カルテ保存期間の五年が近づくにつれ、同じ言葉が何度も口をつくようになった。私が自分以上につらい心裡を抱えていることが分かっていながら、口に出さざるを得ない妻の心情が分かるだけに、私も今すぐにでも訴訟を起こしたかったが、勝てる見込みのない訴訟を起こして敗訴が確定すると、一生後悔することになってしまうのだ。

 大学の少林寺拳法部の後輩である山下良策弁護士に、カルテの差し押さえを委任する時期が近づくと妻の我慢も限界に達したようで、裁判を起こし、そこで外科医の親族に証言を頼んでくれと、私に懇願した。当時、京都にある旧帝大医学部助教授だった彼の立場を考え、私は渋っていたのだが、妻の意を汲んで電話だけはしてみることにした。

「嫁さんが、裁判で証言してくれるよう、頼んでみてくれって、言うてるんやが。無理やろな‥‥‥」

「うん、控えさせてもらうわ」

 受話器から迷いのない返答を漏れ聞くと、

「えっ! そんな‥‥‥」

 耳をそばだてていた妻は絶句して、次の言葉をのんだ。おそらく、〈おじさんなのにそんな・・・・・・〉が、飲み込まれた言葉であったろう。

「彼のポリシーなんやろ」

 気落ちした妻を慰める意図もあったが、幼少時からの長い付き合いの中での確信めいた実感でもあった。そして、このポリシーは強烈な印象を持って、私と妻に襲い掛かった。彼の息子が、父の死後五年と三か月後に、医療ミス、正確には処置ミスで亡くなってしまったが、裁判を起こすことはなかった。

「‥‥‥亡くなる三ケ月前の、六月末に京都を訪れたときは、外泊許可が出て家に帰ってたのに。あの子と話した、あれが本当に最後になってしまったな」

 葬儀から帰って、妻の和子に力なく語った。化学療法が成功して、ほぼ完治の状態で喜んでいたのに、適合する骨髄が見つかり、骨髄移植に踏み切ったのが裏目に出てしまったのだ。移植そのものは成功したが、その後の処置でミスがあり、菌が体内に入って、死を招いてしまった。

「お父さんの訴訟での証言を断られた時はショックで、少し恨んだこともあったけど、私の誤解やね。息子さんの死に明らかな医療ミスがあっても訴えないんだから、お父さんの裁判で、証言を断るのは、当たり前ね」

 妻は、それからは一切、我が家の長男と同い年の、彼の息子の医療事故について話すことはなかった。母親の心情を想うと、どんな言葉もむなしく、ただ頬を伝う涙がやり場のない怒りと絶望を静かに伝えるのだった。

 このように、カルテ保存期間の五年目は、私の親族にとって大きな不幸に襲われた年であった。我が家にとっても、カルテが焼却される前に証拠保全のため差し押さえただけで、耳原病院に対して勝算があってのことではなかった。そんな中、私や家人にとって、大小さまざまな事件が降りかかり、奇跡的といってよい確率下で一命を取り留めたが、私が死の淵をさまよう伏線が張られ始めていたのだった。

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