『Book - 君に読む物語』第四話

 少し前、アイは自身に課されたお役目を一つ果たしていた。


 母親と喧嘩したまま死んでしまった少女の魂と共に、彼女の最後の願いを叶えた。   

 梨奈と呼ばれていた少女の魂は、だからもうこの星にはいない。

 残ったものはほんの少しの寂しさと、負けないくらいの笑顔で。


 少女の義父が運転する車で、アイとディアは目的の町まで送ってもらった。

 早朝の駅前には、始発を待つ人の影がぽつぽつとあった。


「わざわざ悪かったな」

「気にするな。君たちには返せないほど大きな恩があるから」

「これから精々頑張れよ。あいつに託されたものをちゃんと守ってやれ」


 ディアが男同士で不器用な別れの挨拶を交わす一方、アイは少女の母に向かってぺこりと綺麗な形をした頭を下げていて。

 朝の光を受けて艶々と輝く髪が、柔らかに揺れる。


「ありがとうございました」

「そんな、私の方こそあなたたちのおかげで娘と最後に仲直りできたから」

「あたしのおかげなんかじゃないですよ。梨奈ちゃんが頑張っただけです」


 心からそう告げるアイの体を、娘にしたように女性はぎゅっと抱きしめた。


「それでも、あなたに出会えてよかったわ」

「えへへへ。あたしもです」


 返すようにその背中におずおずと手を伸ばし、やがてアイも指の置き場所を見つける。

 温かくて、柔らかくて、多分、春の陽だまりと同じ匂いがした。


 これが、梨奈という女の子が最後に守ったものだった。


 彼女はもう地球にいないけど、それでも彼女が愛した明日はこの星で確かに続いていく。


 ぶおんと煙をまき散らし発進した古いアメ車が段々遠くなって、小さくなって、完全に見えなくなるまで「ばいば~い」とアイは細い腕をぶんぶん振り続けた。

 その顔には、梨奈が最後に母に見せたものと同じような笑顔があった。


「じゃあ、あたしたちも行こうか」

「どこにだよ?」

「絵本の女の子に会うためにここまで戻ってきたんでしょ? ほらほら、探して」

「無理だ」


 さっきまでの清々しい表情から一転、顔を曇らせるアイである。


「どして? 反抗期?」

「そんなんじゃない。あれは違うって前に言っただろ? 僕にあの子は見つけられない」

「じゃあ、どうすればいいわけ?」

「知らないよ。会いたいなら地道に探せ」


 そう口にしたディアは一度、言葉を切って。


「その前に、どうやら本業のお客様がいるらしいがな」

「ほえ?」

「もうすぐ死を迎える魂が近くにいる。こっちだ」


 ディアがアイを引き連れやってきたのは、駅から少し離れた場所にある市民病院だった。


 ロビーには、診察時間前だというのに順番待ちの人で溢れている。


 アイは受け付けをせずに、その人ごみに紛れるように長椅子に腰かけた。

 流石に市民病院なんかの広いロビーだと、個人経営の小さなクリニックとは違い薬品の匂いはあまりしなかった。

 ぷらんぷらん、と足を揺らす。


 面会時間にはまだ早い。


 病院には当たり前だけど、たくさんの患者がいた。

 比較的症状の軽い人もいる一方、すごく重い病気を抱えたまま僅かな希望だけを持って治療に励む人もいたり。

 あるいはもう希望さえ持てず、ただ最後の時を待つだけの人も。


 そんなわけでアイとディアの旅は病院に寄る確率がかなり高く、すっかり慣れたものである。


 日が高くなるにつれ、看護師なんかの慌ただしい足音が増えていった。


 誰も見ていないただ流されているだけの朝のニュースに唯一釘付けなのは、もちろんアイ。

 彼女は人の世界に、いつだって興味津々だから。

 未来の天気を予想できるなんてすごいなぁ、なんてぽけーっと思っている。


 そんな時だった。


「君は運がいいな」


 人の多い場所ではマナーモードを基本スタンスとしているディアが小さく声を上げた。


「ど~ゆ~こと?」

「探し人が見つかったよ」


 ディアの視線の先には、いつか見た黒くて長い髪。利発そうな瞳。きゅっと宝物みたいに古い絵本を胸の前で抱えている少女の姿。

 きょろきょろと視線を動かし、てててと薄暗い廊下の向こうへ走っていく。


「あっ‼ あの子」

「追いかけるのは後にしろ。居場所はここで間違いないだろうから慌てる必要もないし」


 思わずあげたお尻をもう一度長椅子に戻したアイは、訳知り顔をするディアに「そろそろちゃんと説明してね」と詰めよるのだった。

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