『Book - 君に読む物語』第五話

 大道寺玲愛は、長い長いとても長い夢を見ていた。

 ひどく怖い夢だった。


 誰も玲愛が傍にいることに気付かず無視を続け、まるで世界にひとりぼっちにされてしまったかのよう。

 悲しくて、寂しくて、でも、自分ではどうすることもできなくて。


 そんな時間がどれだけ続いただろう。


 ある日、空から優しい声が降ってきた。


   ❀


 深い深い森に迷い込んだ女の子。

 帰る道が分からなくて、泣いています。


 めそめそ、べそべそ。


 けれども森には誰もいなくて、だから彼女の泣き声はどこにも届きません。


 めそめそ、べそべそ。


 女の子は森が海になっちゃうんじゃないかと思うほど泣き続けました。


 めそめそ、べそべそ。


 そうしてずっと泣き続けていたところ、女の子は一人の少女に出会いました。

 白い髪とピンクのほっぺがとても可愛いらしい子でした。


 嬉しくて嬉しくて、ようやく女の子は泣くのをやめました。


 白い少女は、涙を拭う女の子に尋ねます。


「こんなところでどうしたの?」

「帰る道が分からないの。迷子になっちゃったの」

「そうなんだ。わたしがあなたのおうちまで送ってあげる。さあ、いきましょう」

「駄目よ。この森は広くて深いもの。もっと奥にいったら、ここにすら戻れなくなっちゃう」

「じゃあ、空から帰ればいいのよ。簡単なことじゃない」


 そう言って少女が得意げに笑うと、その背中に透明な翼が広がりました。

 彼女はなんと天使だったのです。


 強い風が吹いて、天使の少女は女の子を抱えて空を舞います。


 空から見た世界は、森よりももっとずっと広くて綺麗でした。


 そして、ようやく女の子は自分のおうちに帰ることができたのでした。


   ❀


 物語が終わるのと同時に、玲愛はゆっくり目を開けた。

 光が水滴のように彼女の瞳に落ちて弾けて、ぽちゃん。満ちていく。

 光はやがて輪郭を顕わにし、知らない天井になっていった。

 その天井しかない視界の端から、とても綺麗な女の子がにゅっと顔を出す。

 まるで、さっきまで聞いていた物語に出てくる天使のよう。

 ただ、目の前の少女の髪は白じゃなくて黒だけど。

 その背中に、翼だってないけれど。


 玲愛は体を動かそうと試みたけれど、上手くいかなかった。

 体のあちこちが重いし、なんというか違和感がある。


「あれ? どうして?」

「無理に動かない方がいいよ。ええっと、名前は玲愛ちゃんでいいんだよね?」

「はい、そうです」

「あたしは天使のアイ。で、こっちのうさぎが悪魔のディア。よろしくね。それで話を戻すけど、玲愛ちゃんはずっと眠っていたらしいから、いきなり体を動かすのは難しいと思う」


 それでも玲愛がなんとか首だけ動かすと、窓ガラスに知っているような知らない顔をした女の子の顔が映っていた。玲愛のお姉ちゃんと同じくらいだろうか。

 体からはいくつもの管が伸びている。


 玲愛が瞬きするのと同時に、窓の少女も同じく瞬きをした。

 玲愛が口を動かすと、少女の唇も動いた。

 彼女はとても玲愛の物まねが上手だった。


「もしかして、これがわたしなの?」


 その姿は、とても五歳には見えない。

 玲愛はまだ、五歳のはずなのに。

 それに、腕も顔もやけにやせ細っているし。


 混乱して、混乱しすぎたから逆に冷静になれた。

 少しだけ現実逃避をしたのかもしれない。


「アイさん。聞きたいことがあるんですけど」

「だよね。でも、あたしもあんまり難しいことは分からないの。ごめんね」

「大丈夫です。全然、難しいことじゃないから。あのね。わたし、ずっと一人だったんです。誰もわたしの声を聞いてくれなくて、寂しくて。そうしたら、アイさんの声が空から聞こえてきて。アイさんが、わたしを助けてくれたんですか?」

「ううん。あたしはただ頼まれたからこの絵本を読んだだけ」


 そうして、アイは自分の顔の横に天使のイラストが描かれた絵本を持ちあげた。


「頼まれたって、誰に?」

「玲愛ちゃんに」

「わたし?」

「玲愛ちゃんの体は交通事故に遭ってずっと眠ってたの。だけど、魂は体を抜け出して絵本を読んでくれる誰かを探してた。それをあたしたちが見つけて、ここにやってきたってわけ」


 だから、ディアは玲愛の魂を『アイの管轄ではない』と告げたのだった。

 死霊ではなく、生霊だから。

 悪魔であるディアは死の匂いを嗅ぎつけることはできるけれど、死を纏っていない生者の魂についてはその所在を知る術がなかった。


「なんとなく思い出してきた。わたし、お気に入りだった絵本を帰ってからママに読んでもらおうと楽しみにしてたんだ」

「これかな?」


 棚の上に、随分古い絵本が一冊。


「そう、それ」

「ごめんね。違う本を読んじゃったね」

「ううん。さっきのお話、すごく好き。ねえ、アイさん。よかったら、その絵本とわたしの絵本、交換してくれませんか?」


 少し悩んだ末、アイは「いいよ」と答えた。


 この少女なら老婆から譲り受けた絵本を大切にしてくれるだろうと思ったし、アイもまた新しい物語に興味があったから。


 天使の絵本を棚に置き、代わりにアイは別の絵本を手に入れる。


 深い森と綺麗なお姫様が描かれた表紙が印象的だった。

 本のタイトルは『眠り姫』。


「おい、アイ。そろそろ医者を呼んでやれ。検査もしないとまずいだろう」

「ああ、だね。それでお医者さんが来ちゃう前にとっとと逃げちゃわないと。あたし、怒られるの嫌いだもん」

「待って」


 ナースコールを押して病室から出ていこうとするアイとディアを、玲愛は呼び止めた。

 彼女たちは不思議そうな顔をして、玲愛の方を振り向いた。


「絵本を読んでくれて、ありがとう。優しい天使さん」


 どういたしまして、と心優しい天使は笑って応えた。


   ❀


 これは翼を失った天使が〝寂しさの理由〟を探す旅。

 これは天使が犯した罪と罰、悪魔の抱える秘密の話。

 そして、わたしとあなたのどこにでもある出会いと別れの物語です。


                               Book – fin.

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