『Book - 君に読む物語』第二話

 数日後。


 一目でかなりの年月を経たことが分かる家の座敷で、アイは「ほけー」っとしていた。

 いつもなら『その間抜け面はどうかした方がいい』なんてディアお得意の嫌味が飛んできそうなものだが、珍しいことに相棒は黙っていて。

 どうやら、ただのぬいぐるみのふりをすることに徹するつもりらしい。


「ごめんねぇ、こんなものしかなくて」


 やがて奥の部屋の戸が開き、やってきた老婆が持っていたのは緑茶ときんとん。


「本当はもっと若い子が喜んでくれるケーキとかがあればいいんやけど。あいにく、一人暮らしなもんでねぇ。すぐに出せるのが、こんなんしかないんよ」

「これって、苦いです?」


 じいっときんとんを見つめるアイである。


「今の時代だと和菓子を食べたことない子もいるんやねぇ。大丈夫。ちゃあんと甘いよ」

「嬉しい。甘いのは大好きなんです」


 ニパッと太陽のようにアイが笑みを浮かべると、釣られるように老婆も笑った。


 事の発端は、一時間ほど前。

 チラチラと桜舞うアスファルトの上で、たくさんの荷物を持った老婆にアイは出会った。

 お人よしの彼女は、考えるより先に『手伝いますよ』と手を差し出したのである。

 それからせっせと老婆の家まで一時間近くをかけて荷物を運んだところ、『お礼をさせてほしい』との申し出を受けて、家にあがらせてもらい今に至るというわけだった。


 家の中は外観から受ける印象と同じく、たくさんの時間が醸す独特の匂いでいっぱいだった。

 甘く、どこか懐かしい。

 心に触れる香りというか。


 これ、おいひいです、ときんとんをパクつきながら、人の生活に興味津々な天使は尋ねた。


「この家には、たくさんの本があるんですね」

「全部、絵本だけどねぇ」

「絵本? あ、知ってます。確か、漫画とちょっと違う奴ですよね」

「わたしの息子が絵本作家でね。出版した本をいつも送ってきてくれるんよ。興味あるなら、何冊か持っていくかい? まあ、あんたにはもう退屈な話ばかりかもしれんけど」

「いいんですか?」

「好きなのを選んでいきんさい」

「わ~い。ありがとうございます」


 喜んだアイは悩みに悩んで、天使のイラストが表紙に描かれた一冊を選んだ。

 もっとたくさん持っていってもいい、と言われたが、あまりに多すぎるとディアが面倒がって読み聞かせを最初から拒否してくる可能性があるから、とそんな思惑を含めての一冊だけ。

 アイはまだ文字があまり読めないので、こういう時にはディアに頼ることが多いのだった。


 その後、アイと老婆は縁側に並んで話をしたりして、春の美しさをたっぷり楽しんだ。


 部屋の中を土足で走っていく空気が、光の角度が変わることで青から赤へ変化していく。伸びる影の輪郭も曖昧になって、やがて夜という一層強大な闇が全てを呑み込んでしまうだろう。

 こうしていると、掴みどころのないはずの時間というなにかに触れているみたいだった。


「おい、そろそろ行くぞ。いい加減、うんざりだ」


 ディアの我慢が限界に達して密かにそう口にした時、アイはぼりぼりと煎餅を噛んで、再放送されていたアニメ映画を熱心に見ていた。

 幼い少女が神様の国に迷い込んで、銭湯で働いていくというストーリー。

 画面の中では、やたらと体の大きな赤ちゃんが駄々をこねている。


 赤ちゃんと同じように、アイもまた唇を尖らせて。


「え~。今、いいところなのに」

「君の役割は、ここでテレビを見ながら煎餅を齧ることじゃないだろうに」

「もしかして、新しい気配を感じたとか?」


 ああ、とディアが神妙に頷くとすぐにアイは立ちあがった。

 悪魔である彼は、死んでしまった人たちの気配を感じることができるのだった。


「おばーちゃん。あたし、そろそろ行きます」

「おや、そうかい」

「ごちそー様でした。あと、絵本もありがとうございました」

「こっちこそ、ありがとうねぇ。久しぶりに賑やかで楽しかったよ」


 ばいば~い、と外まで見送ってくれた老婆に何度も何度も手を振るアイ。


 普段は、さよならの際に泣いてばかりいる泣き虫天使。

 けれど彼女の長い長い出会いと別れの旅の途中には、こんな風に笑顔で終わる別れも稀にある。


「さて、死者はどこかな?」


 あっち? とアイは適当に指の先を伸ばしながらディアに尋ねて。


「ああ。あれは嘘だ」

「なんでそんな嘘を吐くのっ‼」


 否、今回はアイの怒号がピリオドの代わりになったけれど。

                                         

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