天使の胸に、さよならの花束を 番外編

葉月文

『Book - 君に読む物語』第一話

 黒い髪の天使とうさぎのぬいぐるみに封じ込められた悪魔は、今日も旅を続けています。

 どこかの町で、まだ見ぬ誰かと出会うために。

 幽霊となってしまった人たちの胸に埋められた、未練の花を咲かせるために。


 ――ねえ。あなたの未練はなんですか?


 アイは翼を持たない天使です。

 彼女はとても大切なものをなくしてしまいました。

 だから、二本の足でそれを探しにゆくことにしたのです。


  ❀


 とある町の、とあるカフェのテラス席にて。


「ふは~、この一杯の為に生きてるぅぅぅ」


 どう見てもまだ十代半ばの少女が、そう呟いた。

 彼女が手にしているのは黄金色をしたシュワシュワ、なんかではもちろんなく、三種のベリーソースがたっぷり塗られたパンケーキである。

 そもそも、飲み物ですらなかった。


「色々と突っ込みたくはあるが、面倒だからパスするからな」


 そう呟くのは、少女の前の椅子にちょこんと置かれたうさぎのぬいぐるみで。

 カフェを訪れている誰も彼もが自分たちの話に夢中で、ぬいぐるみがしゃべっている異常なこの状況に少しも気付かない。


「え~、なんでさ。楽しくお話しよ~よ」

「さっきのセリフは、シチュエーションも手にした飲食物もなにもかもが違う」

「あはははっ。結局、突っ込むんだ?」

「まったく。どうして君は寄り道ばかりしたがるかな」

「お仕事に休憩はつきものなんですぅ。適度な休憩は魂のお洗濯なの。ふんす」

「君、別に食事なんてしなくても死なないだろ。無駄な時間だ」


 うさぎのぬいぐるみ――ディアは、パンケーキのソースで口元をベタベタにした少女へうんざりと言った感じで口にした。

 実際、彼の言い分は間違いではなくて。

 天使であるアイの肉体は特別製で、空腹を感じることはない。

 ただ、〝無駄〟と断言されて、アイはその端整な顔を不機嫌にしかめた。


 そもそもが珍しくアイが『カフェに入ろう』なんてディアへ提案したのは、十数分前。

 お店の前を通った時に、見た目年齢がアイと同じくらいの子たちが、友人や恋人たちと楽しそうにお茶を飲みつつおしゃべりしていたから。

 その中にはぬいぐるみを持参している女性の姿も少なくはなく、彼女たちはやっぱり楽しそうにスイーツを食べながら手元のぬいぐるみに話しかけたり、写真を撮ったりしていた。

 なんとなく、そう、なんとなく〝いいな〟ってアイは思ったのだ。

 自分もディアと同じ風に過ごせたら楽しいんじゃないかって。

 しかし、ディアはどうやら同じようには思ってくれなかったらしい。


「いいでしょ、無駄でも。パンケーキ美味しいし」

「僕は食べられない」

「食べたらいいじゃん」

「なんで、そんな怒ってるんだ?」


 つーん。怒ってなんかいないですぅ、なんて言って、アイはむしゃむしゃとパンケーキを雑に頬張る。コーヒーをぐびぐびと豪快に飲む。

 さっきまであれほど世界は輝いて見えて、ケーキは甘くて、心の底から楽しかったのに、急に全てが褪せたみたいだった。

 その理由が彼女には分からない。

 自分でつーんとか言うな、とディアが言い返してくることがもっと面白くない。


「つーん。つーん。つーん」

「子供か、君は」


 それから、ディアはため息を一つだけ吐いて。


「いや、子供だな。君は」


 やけに優しい声だった。


 同時に、もふんとしたぬいぐるみの腕の先が少女の唇に触れた。

 キス、とかそういう甘ーいあれこれではない。

 口周りのソースを拭ってもらっただけ。


「ほら、じっとしてろ」

「むぐっ。ありがと」

「別に感謝されるいわれはないな。君がそんなんだと、一緒にいる僕の品格まで疑われちゃうからやっただけ」


 たったそれだけで、さっきまでアイが抱いていた全ての感情が氷解していった。

 世界は色を取り戻し、ケーキはちゃんと甘くて、心がきゅうんと温かくなった。


「そうだっ。いいこと、思いついちゃった」

「わざと口周りを汚すなよ。次はもう拭いてやらないからな」


 ディアの忠告に、アイは目を丸くしつつ驚いて。


「ど、どうして分かったの?」

「君は単純だから」

「こういうのって、相思相愛っていうんだっけ?」

「違う」

「以心伝心?」

「それも違う」

「まあ、言葉なんてなんだっていっか。えへへへ。ディアがあたしのことを分かってくれて嬉しい」


 心から思わず溢れてしまった、アイの本音。


「たまにはこんな時間もいいね」

「ふん」


 もう一度、『無駄だ』と言われることも覚悟していたアイだったけれど、そんな想像はあっさり裏切られた。


「……たまになら、いいかもな」

「うんっ‼」


 今度のアイは満面の笑みだ。

 ニマニマと頬がとろけて、零れてしまいそう。


 その時だった。

 アイの視界の端に、一人の少女が飛び込んできた。

 年のころは、まだ十歳にも至ってないだろう。

 もっと幼い。

 聡明そうな瞳をしていて、腰にかかるくらいの長い黒髪が印象的だった。

 少女はテラス席に座るいろんな人に「絵本、読んで」とせがんでるようだ。

 その光景自体が異常だったが、全ての人が少女を無視している姿がその異様さを補強してしまっている。

 まるで、誰もが少女の存在に気付いていないかのよう。


 否。きっと、見えていない。


「これはあたしの出番かな」


 アイには神様から与えられたお役目がある。死者の未練を取り除き、その魂を天上へ送ってあげるという天使としての役目が。


 しかし、ディアは首を横に振った。


「やめておけ」

「え?」

「あれは違う。君の管轄外の仕事だ」


 一瞬だけディアの言葉にアイが気を取られているうちに、少女の姿はもうテラス席のどこにも見当たらなくなっていた。

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