オータンの放蕩司教
革命期は雄弁家の時代。ジャコバン派で頭角を現したマラーは雑誌『人民の友』で筆をふるい、社会を揺さぶる。彼は執拗にラボアジェを攻撃した。
「
「多くの発見については架空の父。彼は自分自身の考えを持っていないので人のものを利用しているのである。人の考えを評価する能力がないので、それを取り上げるとすぐ捨ててしまう。まるで靴を履き替えるようだ」
「この小人物は4万リーブルの収入を得ており、パリを監獄に押し込み、城壁をめぐらし……」
ある日ジャックが娘夫婦の下を訪れた。マリーが席を外した時を見計らってアントワーヌに小声で語る。
「徴税請負制度は近々廃止されるだろう。私はどうにか暮らしていけると思う、まして優秀な君は仕事には困るまい。ただ徴税請負人に向けられる人々の憎悪は……正直底が見えん。『人民の友』はここぞと煽っとるし」
ジャックは眉を下げ、溜息をつく。
「通関税徴収のための提言自体は大分前だったのに、間の悪いことに革命が始まってからようやく完成したパリの城壁は格好の攻撃の的だ。誰の眼にも迫力充分に映るからな」
「今はまだいい。ただ過激なジャコバン派が議会の主軸になったらどうなることか。君の名声が君とマリーを守ってくれるのか……不安でならん」
70歳を越えてなお壮健なマリーの父は暗い目をして呟く。
アントワーヌは老人を安心させたかったが、安易な気休めの言葉も吐けず、ただ相槌を打つことしかできなかった。
「マリー、
「あら。あの伊達男の司教様?」
「……君もそう思うのかい?」
「サロンでご夫人方の注目の的なのは知っているわ。悪い噂も色々あるのに、皆あの方が気になって仕方ないみたいね!人当たりの良さと裏腹に底知れない怖さのある方だけれど、そんなところも魅力的に映るのかしら?」
「そうか……。彼は私に、公教育に関する報告の草案を送ってくれた。あれを読む限り、本人がしばしば口にする自己評価『怠け者』は偽悪的な仮面だな。フランスの現状をいつも頭に置いていなければ、あの発想は出てこないだろう。働き者とは言えないまでも、堕落聖職者と断じるのは早計だ」
アントワーヌはシャツの襟元を緩める。一瞬ためらうような間があり、喉仏が上下した。
「……ちょっと、心配している。これから君も会う機会が増えると思うが、彼は魅力的な男だし、生まれながらの名門貴族だ。趣味が洗練されていて、会話も巧みで、私よりずっと君に年齢も近い。情けないが、不安になる」
「彼はその……既婚婦人とお近づきになるのも遠慮しないようだし」
首を赤く染め、口元を覆い、アントワーヌはマリーから視線を逸らす。
生ませた庶子の数は片手で収まらないと社交界名うての放蕩紳士に対して「お近づきになる」とは随分控えめな表現だ。
マリーはえくぼを浮かべ、夫の頸に両腕を回す。それはいつしか二人の間で、夜を共に過ごす合図となった仕草だった。アントワーヌの肩がぴくりと跳ねる。
結婚してから二十年経つのに、今でも夫は驚くほど初々しい反応を返してくれる。
マリーの胸が温かくなった。
青い瞳を煌めかせ、からかうような微笑みを浮かべながらマリーは言う。
「心配症な旦那様!私は最初からちっぽけな少女を信じてくれたアントワーヌがいいの。笑顔の裏で誰も信じていないオータンの司教様じゃなく。大丈夫、私はあなたのもの、あなたは私のものよ!」
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