二つの革命

 1787年共著『化学命名法』、1788年フランス語注釈書『フロギストン論考』刊行。

後者はイギリスの化学者、カーワンの論文のフランス語訳に「物質の燃焼、煆焼かしょうは空気中の酸素との結合によるものであり、それゆえ燃焼後に生じる酸化物が重量増加する。この化学現象の説明にフロギストン(燃素)説は不要である」反証を補ったものだった。

カーワンの論文のフランス語訳はマリーが担当した。本に訳者の名は記されていないが、翻訳者がマリーであることを友人知人たちは知っており、訳の正確さは賞賛を浴びた。


 1789年3月、ラボアジェの主著『化学原論』が出版された。

化学反応における質量保存の原則、化合物の命名法、「酸素」の元素名、シェーレやプリーストリの発見を踏まえた多数の新元素の提示。固体・液体・気体の三形態の説明。

それらに加えて、無生物である物質のみでなく、動物の呼吸や植物の蒸散も酸素が主な役割を果たし、熱を生じる化学反応であることも記された近代化学の金字塔。

翌年には英訳され、その他の言語も直ちにそれに続いた。

マリーは銅版図版を「ポールズ・ラボアジェ」と記名の上で作成した。1770年代がラボアジェの飛躍期とするなら、1780年代はラボアジェ夫妻の共同研究の結実期だった。


 一方冷夏により1788年はフランス史上稀に見る凶作だった。

厳しい冬が追い打ちをかけ、国内のあちこちで飢饉と暴動が多発した。


 「またオルレアンへいらっしゃいますの?」

「ああ、州議会の提言が最終まとめの段階でね。私がフレシーヌの領地で実施した土壌改良や農業改善の実験も反映したものにするつもりだ」

アントワーヌは溜息をつく。

「来年の三部会はどうなることか。とかく貴族と聖職者が免税維持を要求するからな。あちこちで飢饉が発生しているというのに、税を負担する気が全くない。特権は有史以来のものとでも思い込んでいるのか、勝手なものだ……」


 ラボアジェの悲願、化学革命が浸透し始めた年に、彼らの人生を決定的に変えてしまうもう一つの革命が奔流の如き勢いで始まった。

7月  バスチーユ襲撃

8月  人権宣言公布

10月 ベルサイユ行進

11月 ジャコバン派の設立


 「パンがない!飢え死にしちまうよ!パンを寄越せ!!」

群衆がベルサイユへ押し寄せる。口々に叫んでいるのは女たちだった。

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