第5話 逃亡
午前4時
私は駅前のネットカフェにいる。
本当なら受験生として緊張と期待を胸に寝静まっている頃だった。
私はあの男が追ってくることを恐れていた。
大怪我をした父、意地悪な親戚に身を置いた弟たち、そして私は教師を暴行し金を盗んだ犯罪者。
正当防衛だなんて主張したところで、
薄汚い大人の権力に揉み消されるだけだ。
私は、
この後をどうするつもりなのか。
名前も住所も境遇も捨てて生きられる術なんて知らなかった。
もう死んでしまいたい。
もう...
誰にも知られずに姿を消してしまいたい。
ネットカフェの漫画の棚を眺めていた。
読む気はなかったが、文香たちがよく口にしていた有名どころを選び手に取った。
以前は漫画の新刊がどうだの、
間違えて同じ版を買ってしまっただの、
あの子たちの会話が羨ましかった。
「馬鹿みたい。大したことないじゃない。
こんなものを羨ましがってたなんて。」
もうどうでも良かった。
「大したことない?
ならお姉さんにその漫画買わせて。」
誰もいないと思っていた早朝の漫画コーナーに突然見知らぬ声が響き、私は驚きで尻もちをついてしまった。
「!?」
その女は髪の一本まで美しかった。25歳くらいだろうか、ヒールの馴染む細長い脚、薄い筆で描かれたような繊細な一重まぶた、透き通る肌にほのかにピンクを感じる頬。
「ふふふっ。びっくりさせてごめんね。
その漫画私大好きなの。だから読まないんだったらこれで交換してくれない?」
そういって女は私に一万円札を差し出した。
私は嫌な記憶を思い出し漫画を女に突きつけた。
「いや、いらないです。そんなの。
私もう死ぬつもりなので。」
女の上品な目元が一瞬大きく見開いた。
私はそそくさと席に戻った。
ー私もう死ぬつもりなので。ー
こう簡単に口に出てしまっては、もう私には本当に希望がないのだと実感した。
あの女にも朝から気味の悪い思いをさせたと思うと気分が悪かった。
まぁ、悪いのは財力を盾に貧乏人を見下す方だが。
3時間ほど経ってネットカフェを後にした。
朝日が眩しく、心地よかった。
私は近くの橋から飛び込もうと、そこを目指してとぼとぼ歩いた。
赤信号の横断歩道の向こう側に見慣れた男が立っていた。
あいつだ。
信号が青に変わると男はこちらに駆け足で向かってきた。
その表情は怒りと憎しみに満ちていた。
私は走った。最後くらい誰にも邪魔されずに死にたかった。逃げて、逃げて、逃げ続けた。
路地裏に入った瞬間、
誰かに右手を捕まれた。
さっきの女だった。
「あなたは、、、」
女は静かにというジェスチャーをしながら、真っ黒な高級車に私を乗せ車を走らせた。
私は状況が全くわからなかった。
「あの、、どういうことですか?
そもそもあなたは誰なんですか!?」
「犀川麗華さん。
あなた、本当に死ぬつもり?」
「えっ、なんで私の名前を?」
「死ぬつもりなの?」
「、、、死ぬつもりです。今日。」
私がそういうと女はにっこりと笑った。
「あなたが死ぬのは、その境遇のせい?
貧しさのせい?それとも変態教師のせい?」
女は全て知っていた。
私は驚きで何も言えなかった。
「あなたが死を選ぶのは自由だけど、
あなたに私の人生をあげるって言ったら
どうする?」
「は?」
「私もね、もうすぐ死ぬの。」
そう言って女は愛らしくウインクをした。
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