第14話 再会


2023年7月13日、南部絵梨奈___



母親が死んで、5年がたった。そして、三度目の転校をしてからも。


柴垣隆之介、あの男を犯人と気づいてから、学校へ出向くことができなくなった。


吐き気がするのだ、柴垣の顔を想像見るだけで。あの手を用いて母を殺した。表情を拝め、気持ち悪く発情する奴の不細工な顔が容易に想像できた。ふと頭によぎる彼に、反吐が出た。被害妄想なのかもしれない、思い違いなのかもしれない。理屈ではわかってい入るものの、気持ちはついてこないものなのだ。


父には理由を話した。学校で知り合った男子が、母を殺した張本人だと、思ってやまない。彼を思うと体が動かなくなる。


泣いて事情を話した覚えがある。しゃくり泣き詰まり詰まり話す私の話を、不器用ながら聞き入ってくれた。思い思いに出た言葉だ、何を根拠に説得したのかは全く覚えがない。父の目には、母の死で再度気を参らせた健気な一人娘に見えていたに違いない。申し訳ないことをした。


父や祖父母の手招きがあり、由美は学校を再度転校し、通信制の学校へ編入した。さまざまな境遇で全日に馴染むことができなかった社会的弱者の集まり、学校へ行くことが困難になった私を、快く受け入れ、転校を許可した。本当に家族には頭が上がらない。おかげで高卒認定をとることができた上に、自主的に勉強。地元の国立大である『宮崎大学』に合格した。大学には何のわだかまりもなく通うことができた。


今は地元の事務職で働いている。こうも社会への接点を閉ざさず生きれているのも、家族の支えなしには成し得なかったことだ。改めて、父と祖父母に感謝したい。


「由美ちゃ~ん、もっと飲んで飲んでぇ」


飲み会も佳境、会社の飲み会に参列している由美は、上司から厚いアルハラを受けていた。「あはは」愛想笑いでその場をしのぐ。


「すみません、煙草吸ってきます」

「えぇ~、いっじゃうのぉ~」


赤ん坊のようにごねる上司を軽蔑する周りの目線が心苦しい。こんなことなら来なければよかった。席を立ち、逃げるように飲み屋の外にある喫煙所に足を運んだ。


日曜、深夜の飲み屋街。ざわめきがよどめく。錆びついた鉄製の灰皿。今の時代は電子タバコらしく、この飲み屋は電子タバコだけが店内で吸うことが許可されている、紙煙草は室内での喫煙を許されず、入り口裏の小さな喫煙所を肩身の狭い思いで使わざる負えない。


由美はポケットから常喫であるパーラメントのショートを取り出し、火をつけた。


いまだに電子タバコには手を付けられずにいた。世間的に肩身が狭くなろうとも、これだけは譲れなかった。いつまでもぬいぐるみを肌身離さず持ち歩く少女のようだ。はやくこの形見とも別れを告げなければ。未練が形を成したようし、細い煙が立ち上った。


同じくスーツを身にまとった男性が、喫煙所へ足を運んだ。いまだに紙煙草を愛煙する同氏らしい。由美はスマホを開いた。


「南部か?」


目の前の男性が、由美に声をかけた。咄嗟に顔を見た。暗く逆光で、正しく顔を認識できなかった。


「…えっと」

「…久しぶり、柴垣」


自身に指を指し、柴垣は言った。




2023年7月13日、柴垣隆之介_____



南部が学校を辞めてから、5年がたった。


あのいざこざの後、南部は学校に来なくなった。しばらくの欠席を経て、学校を正式に辞めたことが、教師から伝えられた。その際、南部の母の死によって彼女が転校してきたこと、再度気を病ませて学校に来ることが困難になったことという旨が伝えられた。


南部の知られざる事情は、生徒たちを驚愕させるとともに、疑問符の矛先は隆之介に向いた。「お前は知っていたか?」や「お前が何かしたのか?」など、うろ覚えだが友人から失礼にも質問されたものだ。もちろん何も聞かされていなかったと弁明して、事態はそれで落ち着いたのだが。


SMSを送信しても、一向に返事が返ってこなかった。当時は、自分のせいで気を病ませてしまったというより、正体が割れたことによる実害がなかったことに対する安堵が勝っていたことを覚えている。やはり何も証拠がない以上、彼女も動こうにも動けなかったらしい。彼女は、俺自身のことを誰かに話したのだろうか。学校に行けなく理由は、父親にどう説明したのだろう。残った疑問は解決されず、疑問のまま時を過ごした。


高校を卒業した後は、地元の建設産業を営む大手会社に就職した。少子化により、人手不足でボーダーの下がった企業に滑り込みで合格することができた。ある程度の給料で、ある程度の自由で、ここまで過ごしてきた。とくに人を殺しもせず。


「うえぇい」


会社の先輩と飲み屋で酒を飲んだ。ほろ酔いで火照る気分。悪酔いで場を乱す中年が、今日も大生に活動している。怒号があちこちで飛び交う。


「由美ちゃ~ん、もっと飲んで飲んでぇ」


目の前で悪酔う中年男が、言った。


由美という単語が、会話の音の網を抜けて、鼓膜を震わせた。先輩と会話を交わすさなか、由美と呼びかける上司の隣で酒を飲む黒スーツに身を包んだ女性に、視線を向ける。


瓜顔で、お団子ヘアー、上司の詰め寄りから身を引き、縮こまる。


それは、学校に転校生が訪れ、その転校生を取り巻く女子を煙たがる、ある女性を思わせた。


南部か、南部由美なのか?。「ん?どうした」先輩の声で、口を無意識につむらせていた自分に気がついた。あれが南部であれば、少しやせたか?気持ち、雰囲気が大人びているように見える。社会での振る舞い方を覚えたか。


「…あれ、知り合いかもしれないです」


「え?」と振り返る先輩に「あ、僕のです。先輩は関係ないです」と釘を刺し、元に戻るように促す。


彼女は席を立った。こちらには気づいていない。逃げるように後を去ろうとしている。


手には、白と青を基調とするパッケージである、パーラメントが握りしめられていた。あの時とはパッケージのデザインが一変した。青みが少なくなり、光沢感のある白の割合が増えたのだ。


間違いない、南部だ。そう思うと同時に、隆之介は立ち上がっていた。


「お、おい」

「ちょっと知り合いでした。挨拶してきます」


「…おう」唐突に目の色を変える隆之介を、不思議がっているようだ。


彼女に会う必要はあるのか。彼女と別れ早5年、相手の方から関係を断たれた。なのにどうして会いに行く。


声をかけ、拒絶されればそれで終わりにしよう。だけど、会いたかった。会いたくなった。理由は分からない。『なんとなく』なのかもしれない。友人として会話を交わしたくなった。どんなリアクションをするのかが気になった。なんだっていいさ。思うがままにやってみよう。高宮絵梨奈を殺した時のように、自由に。


入り口を抜け、左隣には、赤く錆ついた備え付けらせた灰皿と共に煙草を吸う南部の姿があった。やっぱり等身を見れば、南部であることに確信がついた。


「南部か?」


スマホから目を離した。


「…えっと」

「…久しぶり、柴垣」


自分に指を指した。煙草の火種が、ぼろりと落ちた。呆気にとられ、硬直した。


「…柴垣?」


怯えだろうか?今だ俺を殺人犯として、断定付けているのだろうか。思い違いだったと、思い直してはいないだろうか。


「…なんで」

「えっと、由美って言われていただろ、それで」


由美は何も言わなかった。終始、隆之介とは目を合わせなかった。


「…就職してたんだ、どこの会社?」

「何しに来たの」


食い気味に話を割った。「え?」と、苦笑う。


「…それは、久々だったから」

「嘘よ、何か言いたくて来たんでしょう?」


目が血走っている。形相も険しい。対話は無理か?


「…言いたいこと、なんてないよ」

「そんな…!」


強く何かを言おうとした後、すぐに口を紡ぎ「ごめんなさい」と小声で言った。高ぶった感情を自制したらしい。隆之介はほっとした。少し沈黙が起きた。


「…煙草は吸ってないの」


南部が質問した。


「…煙草?やめたよ、だいぶ前に」


尋ねられたことが嬉しくて、声が上ずってしまった。


「南部と最後に会った日に、やめたよ」


あの日から煙草を吸うことを辞めた。それに、殺しをする気にもなれなかった。南部のなにが自分に作用したかは分からないが、隆之介はヒメアノ~ルを見る前の性分に戻った。南部は「そう」と小さく呟いた。沈黙が起こった。


「…言いたいこと、あるよ」


思ってもないことがこぼれた。そして、何が言いたいのかを、隆之介は理解した。南部は押し黙った。


「君の母親についてだ」


飲み屋街のどよめきが、その瞬間、ぷつりと無くなった気がした。二人の間には、無音の世界が訪れた。


「…なによ、それ」


「もちろん聞きたくなかったら、聞かなくていい。今から君の母親に起きたことを話す。それでもいいか」


したためるようにこちらを見た。睨みつけたといっていいかもしれない。高宮絵梨奈が俺に向けた軽蔑の目を表しているようだ。彼女の動機が早くなるのが、空気を干渉して分かった。


「なによ、それ」

「…初めに断っておくが、俺は自首つもりはない。この話を、誰かに聞いてほしいだけなんだ」


彼女は顔を掻いた。置かれた状況にむさ苦しさを覚えているようだ。俯いた。母の死の真相。パンドラの箱を開けるか開けまいか、葛藤している。


「母さんを、本当に殺したの?」

「…聞きたいのか、聞きたくないのか?」

「なんで殺したのっ?!」


目頭を押さえ、地面にそう叫んだ。騒音は周りにかき消された。


「…暴れるようなら話せない。どうなんだ」


聞きたいのか聞きたくないのか、どっちなんだ。感情任せに怒鳴りやがって。あまりうるさくされると、周りが訝しむ。頼むから冷静であってくれ。そして聞いてくれ。


「…思えば、映画版ヒメアノ~ルを見たことが、全ての始まりだった」


彼女は押し黙った。試しに話し始めてみたが、隆之介の話を聞き始めた。隆之介は、壁にもたれかかった。


「映画を見て、理由も無しに思ったんだ。人を殺したいって。今まで人が殴られたり、喚いたり、死にいったり。そういうのが好きだったんだ、それが爆発したって感じかな…えっと、そっから色々準備して、ある日ある田舎町へ出かけた。柱曙町ってわかる?」


南部は何も言わなかった。


「そこでやろうと思ったんだけど、当てがなくて、その日は帰ることになって。で、終電を逃したんだ。母親にもこんなところに来るなんて言ってなかったから、仕方なく自分の足で帰ることにして、線路わきの道を歩いた」


南部は終始、俯いた。


「多分、円楽町に差し掛かったところの川沿い。そこに、南部のお母さんがいたんだ」


隆之介は、美しき過去を思い起こした。


「足を抱えて座ってたんだよ。白いシャツに黒のレース、そこで煙草を吸ってるのが、遠目で見えた。通り過ぎようとも思ったよ。でも、殺しに使おうと思ってた刃物を持ってることに気づいたんだ。そして、人目のない深夜。明らかに若い女。田舎の人間は年老いていて、どうも魅惑がない」


隆之介は、息を吸い込んだ。


「すべてが揃ったと思えた瞬間、走ってた。真夜中に走るランニングマンを装って、近づいた。それで、背中めがけて刺したんだよ。包丁を」


気分がよかった。この快感を、誰かに話せている。なんのしがらみもなく、なんの不利益もなく。


「なんでよ」


南部は小さいながらも、力強く、力んだ声色でいった。


「なんでそんなことするのよ」

「…なんでって、なんとなく、やりたかったからだよ」


やりたいから、やったんだよ。そう繰り返そうとした時、南部は右腕を振りかぶり、隆之介の顔面目掛けて殴った。後方に後ずさった。左の頬骨が痛んだ、弱々しい殴打だ、初めて人を殴るのだろう。そう思うと、南部は隆之介を押し倒し、またがり、殴った。後頭部がコンクリートに打ち付けられ、軋んだ。報復だ、高宮絵梨奈が受けた痛みを当て返されている。隆之介は抵抗をしなかった。抵抗できなかった。話を聞いてくれた礼なのかもしれない、絵梨奈への理不尽を清算したいのかもしれない。理由が掴めないまま、「あぁ」「うぁ」と息を漏らしながら、南部は躊躇なく殴った。


「死ねっ、障害者!よくもっ、死ねぇ!」


記憶がつぎはぎになり、朦朧とする中、いつの間にか、目の前には数人の大人が彼女を取り囲み、顔をうずくめて、泣き崩れていた。「お母さん、お母さん」周りの気遣いに目もくれず、母の死を悼んだ。


顔にはじりじりと鈍い痛みが走った。腫れて、擦れて、鼻から流血もした。


「あんたっ、何したんだ?!」


飲んだくれが事態に駆けつけたのだろう。部外者の分際でいきがりやがって。女が泣き喚いているからという理由で、男を糾弾する。くそ、俺を蔑む目、歪んであろう顔面。すべてが腹立たしく思えた。


「…くそっ」


そう吐き捨て、よろける体を制御し、立ち上がった。南部に集る人間は、怯えるような目を向け、彼女を守らんとばかりに囲った。一方的に殴られたのは俺だというのに。


通りがかる人々は、事態を俯瞰して、立ち去る。飲み屋の外で飲みだくれる人々は、ゲリラ的なイベントを物見るように目線を向けた。気づいていない人間が少ないうちに、この場から立ち去りたい。仕事で疲れているというのに、これ以上面倒ごとはごめんだ。


どうする、今先輩のもとへ帰れば、彼女を取り囲む偽善者が、事態の説明を求め詰め寄るだろう。今は逃げる、先輩には後で連絡しよう。とにかくこのまま家へ帰らねば。


ふと、喫煙所の赤い鉄製の灰皿に、パーラメントが置かれてあるのに気が付いた。南部が置き忘れたのだ。


これだ、隆之介はパーラメント、その上に置かれたライターをポケットにしまい込み、倒れ込む南部を背に、歩き出した。


「お、おいっ!どこへ…」


聞き留めず、おもむろに歩いた。指一つでも触れて止めようとしてくるものなら、殺してやろうかと思ったが、そんな事態は避けられたようだ。


人けのない路地まで出た。月明りだけを頼りに、深夜の住宅地を歩いた。


とにかく腹が立った。南部に、死ねと、障害者と、罵られたわけだ。


くだらない、幼稚だ。感情任せに人を殴りつけ、情を発散。こっちは気持ちよく思い出を語っていたというのに。今から南部の母親がどのような末路で死に至ったか、詳細に説明してやる気だったのに。


「なんで母さんを殺したの?」と聞かれ「なんとなく、やりたかったから」と答えた。なんとなくの有用性を説いたのは、南部ではないか。本能が左右するままに殺したまでだ。それ以上でも以下でもない。お前らが性行為に耽るのと、何ら変わりない。


電話が鳴った。携帯が震えが限りなく不快で、すぐに電源を切った。


公園が見えた。隆之介は入り、備え付けられたベンチに座った。そして、しまわれた煙草を取り出し、火をつけ吸った。煙たく不快な感覚が広がる。あの時と何も変わりない。


飲み屋で起こった出来事を振り返った。5年ぶりに、因縁ともいえる南部と偶然の再会を果たし、語り、殴られた。よく彼女とは不思議な出会いと別れが起こる。


気の毒だと思う。母親を理不尽にも殺され、犯人と対等した。かわいそうで仕方がない。


この仕方なさは、家畜や虫に向けられたものと同じだ。食料として惨殺され、焼かれ、食われる家畜。害虫として易々と殺される虫。サイコキラーに突如殺される人間。すべて同様の価値観で、処理される。もうこの議論すらくだらない、論ずるに値しない。


だからと言って、自身の性分を理解し、容認を求めているわけはない。害悪で実害の被る人間は、暴力を持って弾圧すべきだ。


だからと言って、俺は屈服しない。抜け穴を見つけ、欲望を満たすために生き、画策する。快楽殺人者として生まれた性、抑えようにも止められないものなのだ。俺は法の網を掻い潜り、殺しに興じる。それは権利だ、止められる義理はあっても、止まる義理はない。


濃ゆい煙が、天に立ち昇った。


現代は、娯楽に溢れている。インターネットは高校生の時には考えられないほどに普及し、生活を蝕むまでに浸透した。おかげで人に危害を加えることなく、社会の一員として暮らすことができている。時代が少し遅ければ、2~3人と、すでに殺めていたかもしれない。


南部由美に殴られ、どこか残ったわだかまりが、払しょくされた気がした。そういえば沖縄にでも出向いて、殺人をしようと企てていたっけ。あの時は様々な障壁を超えれず断念したが、今は晴れて自由の身だ。一人旅行を銘打って、殺しに出かけるのもいいかもしれない。そう考えると、胸が躍った。久々の殺しだ、よし、すぐに計画を立てて実行しよう。高宮絵梨奈を超える極上のひと時を過ごしてやる。


隆之介は吸い切られた煙草を茂みに投げ捨て、希望ある未来に思いをよせ、公園を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

通り魔の俺と、通り魔に母親を殺された君。 やすちい @yasukawa0927

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画