第13話 最後


2016年10月8日柴垣隆之介___



高宮絵梨奈と言ったか?高宮絵梨奈は俺が殺した女の名前、なぜ南部がその女の名前を知り、口にしたんだ?


恐る恐る振り返ると、南部と目が合った。こちらを疑るように、唖然と眺めていた。あわせた目も、次第に焦点をたじらせ、錯乱し始めたのがわかった。合おうにも合わない目、相当動揺しているようだ、いや、それは俺自身かもしれない。


「…知らないよ、知らない」


自身の声を鼓膜で感じ取った際に、自身が想像以上に戸惑っていることに気が付いた。それもそのはず、今、俺は高宮絵梨奈殺害の加害者として断定された。なんの脈略もないまま、唐突に。


「…高宮絵梨奈は私の母親なの」


母親?南部は他人のはずだ、苗字すら違う。この家では家族との三人暮らし、兄弟もいないことすら知り得ている。何が起こっているのか、現状を理解できずにいた。


ふと、一つの筋書きが頭に浮かんだ。


高宮絵梨奈は、南部由美、いや、高宮由美の母親だった。だがある日、突如として彼女は死んだ。母方の性を受けていた高宮由美は、親権の移った父親の性を新たに授かり、南部由美となった。身元の移動を余儀なくされた彼女は、夏休みを境に学校を転校する。その学校で、趣味が合い、母親から譲り受けた銘柄を同じく吸う不思議な男と出会う。その男を時間を多くし、観察。ともに過ごす中で、母親を殺したであろう男の犯人像と、不思議な男が一致した。


まさか、まさかそんなことがあるだろうか?


南部の母親と、俺が殺した女が一致しているだと?確かに母親が死んだことをカミングアウトできずにいた気持ちも理解できる。であればこの家は父親、それか祖父母の家か?引っ越していたには生活感に年期が入っている。パーラメントも、母親が吸っていた名残だろう。これならすべてつじつまが合う。納得できる。


だが、それ以上に恐怖が隆之介を襲った。この現状をどうする、完全に身元が割れた。今警察にでも通報されれば、犯人として断定されるだろうか。いや、抜かりはない。この女の妄言だと切り捨てれば、事態は雲隠れする。だがこの状況を良しとしていいものか。最適解が見い出せない。何が正解で、何をするべきか。


そんな混濁にさいなまれる中、唯一意思をまっすぐに示したものが、自分の中にあった。


性器だ、海綿体は増幅し、過去に類を見ないほどに、大きく膨れ上がっていた。


これが意味することはなにか、それは、欲望を満たしたい一心。


南部由美を殺す。それが自身のアンテナが指し示す目的であった。


今、高宮絵梨奈を殺した犯人が自分自身であることを、赤裸々に言わしめる。俺が殺した、俺が高宮絵梨奈を殺したんだ。腹部を突き刺し、喉元を殴り、体内に指を入れ、悶絶させ、苦しめ、殺した。


そんなことを言えば、彼女はどんな表情を浮かべるだろう。どんな挙動を示すだろう。どんな想いに駆られ、狂うだろう。


そう考えると、自然と足が前へと出向いた。一歩、二歩。悪魔の影が、錯乱する一人の少女に忍び寄る。


どんな表情を浮かべ、死んでいったかを鮮明に説明してやろう。生涯を共に歩んだ母親の悶絶する表情を、南部の脳内に鮮明に映し出してやるのだ。どんな断末魔を上げ、どんな皮膚を貫く感触だったか、事細かく、鮮明な動画として。そして、あざけ笑うのだ、惨めで儚い最期だったと。


そうやって、殺そう。この女も高宮絵梨奈と同様の運命をたどらせる。


南部と初めて会った夜「そう思うと、なんとなくって適切な表現だとも思わない?見える部分も、見えない部分も、全部ひっくるめて『なんとなく』」と言った。あったさ、高宮絵梨奈を殺すという重大な出来事が。それが何かしらに作用し、煙草を吸うに至らしめた。健康という被害をも鑑みて。


今も、見える部分、見えない部分、全てを総称し、本能は欲を求めている。なんとなくこの女を殺したがっている。ではその想いに倣い、欲望に身を任せてもいいのではないか。


「世の中は天秤だよ」といった。警察に捕まり、世間体を悪くする。そんな損をも安いと思えるほど、魅力的な女が目の前に居座っている。この閉鎖的な空間であれば、あの時以上に時間をかけて行為にいそしめる。欲望を最大限引き出すには、最高のロケーションであり状況だ。隆之介は、俯き錯乱する彼女の目の前に立ちふさがった。弱々しい、これなら刃物などなくても、いとも簡単に命の芽を摘んでしまえるだろう。


右腕を振りかぶった。殺す、南部を殺すことが、生まれてきた意味なのだ。今ここで死んでくれ。死ね、死ね。後頭部めがけて、隆之介の拳は振りかざされた。



勢いは、寸前で死んだ。有り余った勢いは、ソファへ座り込むことで発散された。


自制心が働いた。これが吉か凶か。今の隆之介に判断することはできなかった。


こんなとこで殺せば、確実に豚箱行きだ。最高の狩場かもしれないが、監守の目が光っている。監視カメラにも、物的証拠も、腐るほど出るだろう。あの時とは言いも悪いも状況が違うのだ。今はこの女を殺すより、高宮絵梨奈殺害の犯人としての疑いを晴らすことが鉄。性欲を抑え、説得に専念すべき。


「わからない、わかんねぇんだよ、なんの話だ」

「…高宮絵梨奈っていう、母親がいたの。最近、通り魔に殺された」


押し黙った彼女の口が開いた。


「何の前触れもなく死んだの。その犯人が、あなたなんじゃないかって、思ったの。あなたのいままでの発言も、通り際に人を殺す、十分な理由になる。苦しみがいいのも、苦しませたいから。パーラメントを吸っているのも、お母さんが吸ってたから。殺したいかと思うか、って、言ったのも、私があたなと同じ感性を持ってるのかを試したかったから」


喋るにつれ、声が震えだした。この女の推理に狂いはない。質問の意図まで読み取られた。賢い女だ、今すぐ殺してやりたい。


「…なんでそんなことをしたの」


ここは冷静に。


「あのな、落ち着いてほしい。あまりにも飛躍しすぎてる。そもそも君の母親はなくなっていたのか?いつだよ、そんなのも知らないし、事件があったことすら知らない。どうしてそんな発想になるんだ」

「…あんな顔をする人は、違わないわけない」


あんな顔?なんの話だ、とにかく刺激を与えないように。


「…あんな顔ってなんだよ」

「なんで知ってるんだって顔だよ!」


突如、怒号をあげ、怒鳴った。堪忍袋の緒が切れたのだ。荒ぶるように呼吸を乱し、続けた。


「あんなっ、あんな顔して、とぼけて、なんなのよ」


軽いパニックで、まともな思考を辞めている。


「おい落ち着けって」

「帰ってよ!」


彼女は大声で泣いた。うずくまり、痙攣らしき動向。まともに会話は叶わない、疑いを晴らすなど、夢のまた夢と化した。


あの顔。おそらく高宮絵梨奈の名を口にされ、振り返った時だろう。おそらく自分自身でも、図星を隠しれずにいたらしい。何もつながりのない人間の名前を口に出されれば、顔色一つ変えない、もしくはクエスチョンマークが滲み出るような表情に彩られるに違いない。あの時の俺は、いくらかとんでもない形相だったのだろう。痛恨の極み。


だが、これ完全な証拠にはならない。あくまで憶測、そして妄想。それ以上でも以下でもない。彼女の考察は空虚は空論として消えていくのだ。俺に実害を被ることは一切ない。


何度も声をかけた、彼女は一向に自分の世界で泣くことを辞めなかった。泣くくらいならば、苦しんでほしかった。自身の欲望のツボは、悲しみと苦しみを別個にしているらしい。


少し間を置き、隆之介は南部の家を後にした。今後、彼女とどのようにかかわっていけばいいのか、全く見当がつかなかった。

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