第12話 逃げ


2016年10月8日、南部由美___



初めて会った時から、こんなにも趣味が合い、気持ちよく意見を交わせる人間がいるのだと、本当に驚いたものだ。はじめは彼から積極的に関りを深めまいとなにかと誘ってきたものだ。下校道を共に帰り、映画鑑賞、勉強会。多くの時を同じくした。


柴垣と話すことで、病ました心が次第に癒えていく気がした。運命だとも思えた。だが、深く互いを知ろうとすると、隆之介はどこか心を閉ざした。映画を見た後も、基本聞き手に回った。自身の感想を述べようもんなら、どこかストッパーをかけ、顔色を窺いつつ喋る。はじめは人見知っているだけかと割り切っていたが、どこか底の見えない雰囲気を醸し切れずにいた。


結局は上っ面が一致していただけなのか。由美自身そうは思いたくなかった。


「グロ描写も良くできてた。アニーが死ぬとことか、もう居たたまれなかったよ、幼女の生首に小蝿が集ってたとことか、流石に見れなかった」


ヘレディタリー/継承という映画を、柴垣とともに見た。前々から気になっていた作品の一つ、Blu-rayを借りて自宅のテレビにて流した。心底からの恐怖を掻き立てられる数少ない作品だと思った。思わず恥ずかしいまでに体をこわばらせた。


「俺も腐敗するだけの死んだ人間に興味ない。その事実を受け止めた家族たちが悶える様子とか、もう最高だった」


驚いた、柴垣が腹を割って心の内を打ち明けたのは、これが初めてだろう。


「…いや、興味がないから見なかったんじゃなくて、痛々しすぎて見てられないってことだよ」


腐敗するだけの死んだ人間に興味ない、それら込みでのホラーではないのか?柴垣の見解を聞けたことは素直に嬉しかったが、やはり私たちは馬が合わないのだろうか。


「死んだ人間がどう描写されるかとか、そういうの込みで良くなかった?」

「…うーん、俺は生きた人間がどうなるかにしか興味はないかな」

「…そう」


やはり柴垣とはホラーそのものを堪能する脳の使い方が違うのだろう。生きた人間にも、死んだ人間にも、ホラー味を持たせる良き要素になり得る。それが分かち合える人であってほしかった。


静寂が流れた。柴垣はエンドロールの流れ終わった静止されたテレビ画面を眺めていた。いつになく何を考えているのか分からなかった。


ホラーの醍醐味は生の実感だ。死んだ人間含め、それらを巡る人々の禍々しい葛藤、恐怖を掻き立てる演出。自分は生きているんだ、生きたい。そう思わせる力が宿った作品が癖になるというもの。人がどう苦しむかなんて演出のうちの一つだ。なぜこの男はその一要素しか楽しめないのか。


母親も、こういうズレた神経を持った人間に殺されたのだろう。ちんけな欲望を満たすためだけに暴挙に走る、頭のイカれた奇人に命を奪われたのだ。


「人が苦しむ姿、いいよね」


運面だと、思っていたのに。柴垣とは数少ない友人に、もしくはそれ以上の関係になれたかもしれない。由美は悲しみで考えることが思うように叶わなかった。


「殺してまで、苦しませたいか?」


柴垣が言った。


「え?」

「人間を殺すまで苦しめたいって、南部は思うか」


二人の目が合った。柴垣は、どこか羨望深く、そして由美を疑るような眼で、見つめていた。


意味の分からない質問のはずだった。何の前触れもなく問われれば、軽くあしらっていたであろう問い。だがそれは、由美が内に秘める謎を紐解く入内な材料になし得てしまった。


柴垣の人間像が、母を殺した人間像にリンクした。おそらく通り魔であろう犯人、人が苦しみもがく姿に快楽感情をよせるサイコキラー。そうなれば母親の不可解な詩にも説明がつく。そして、靄がかり不透明だった犯人の輪郭が、突如として形を帯びたように感じた。


「…なにそれ」


柴垣隆之介、彼がその当事者であるなら、発言一つ一つ、行動一つ一つに説明がつく。苦しむ姿だけを好む理由、それはホラーという形態を好き好んでいるわけではなく、ただ生きた人間に迫る恐怖描写を入り好んでみているということ。意思表示に後ろめたさがある理由、快楽殺人である性分を隠したいということ。パーラメントを吸いいている理由、母親の遺産を盗用したということ。嚙み合ったパズルの回答が、脳内で次々と導き出された。


「それって、柴垣が人を殺してまで苦しみを得たいってこと?」


抑えようにも声色は震えた。


「…ごめん、なんでもないよ」

「柴垣は人を殺したことがあるの?」


考えるより先に、口が回った。憶測であるはずが、由美の中ではなぜか確信に変わっていた。ただ実直に、柴垣を見た。


「ごめん、ほんとに忘れてくれ。俺は帰るよ」


後ずさるように、柴垣は立ち上がり、背を向けた。挙動がおかしい、核心を突かれ、恐れおののいた。由美の目には彼の行動がそうとしか映らなかった。


「高宮絵梨奈っ」


ここで彼を帰らせてはいけない。


「…あなたが、高宮絵梨奈を殺したの?」


足早に歩く歩を止めた。柴垣はゆっくりと振り返った。


なぜわかった?切れ長なまでに睨みつけられた眼光、焦りや疑心で砕けた表情。それらが残酷にも物語った。


決まりだ、柴垣隆之介、彼が母親を殺したのだ。


「…知らないよ、知らない」


視界が揺らめき、上手く息を吸い込めなかった。


柴垣は明らかに動揺した。それらの仕草が、由美の推理をより確信に近いものとした事実が、受け止めきれなかった。「ああ」情けない声が吐露されたのが分かった。互いに状況を呑み込めていない。


柴垣は立ちぼうけた。というより、足がすくんでいるように見えた。震盪する脳で、必死に状況を理解しようと努めた。


「…高宮絵梨奈は私の母親なの」


嗚咽で言葉が途絶えた。涙は出ないのは、自分の勘違いである可能性が少しでも残っていると思えたからだろう。とにかく反吐が出た、空間に押しつぶされるようだ。正しく次元を認知できなかった。今にも肉体が溶け出し、生命から分断される気がした。まともに考えが働かない。


ソファが大きく揺れた。錯覚ではない、由美が座るソファが物理的に沈んだ。困惑から引き出され、覚めた。


隣には柴垣がいた。大柄に座り、膝に肘を置き、顔を両の掌で大きく覆いかぶさった。ただ現状に絶望しているのか、講釈をたれ弁解する文言を考えているのか。はたまた混沌とした由美の感情に快楽を抱き、感服しているのか。


由美の腰は抜けた。ここで手を出されれば、抵抗の使用はない。母親の絵梨奈も、こんな理不尽な状況から命を奪われたのだろうか。


「…分からない」


柴垣が口を開いた。


「わかんねぇよ、なんの話だ」


ただ淡々と、冷静に言った。誤解だよ、信じてくれ。そう言わんばかりに詰め寄り、取り繕っている。


「…高宮絵梨奈っていう、母親がいたの。最近、通り魔に殺された」


事実を確認しまいと質問する自分と、今すぐこの殺人鬼から逃げ出したいという葛藤にかられ、思うように言葉を紡げなかった。柴垣は俯き、話を聞いた。


「何の前触れもなく死んだの。その犯人が、あなたなんじゃないかって、思ったの」


良くも悪くも、確信を持てずにいたから質問を続けられた。なにか確証があれば、部屋の窓ガラスの二枚や三枚を割ってでもこの場から逃げ出しているのだろう。表面張力で寸前を保つ水面のように、精神の調和がなされ、対話を可能とした。


「あなたのいままでの発言も、通り際に人を殺す、十分な理由になる。苦しみがいいのも、苦しませたいから。パーラメントを吸っているのも、お母さんが吸ってたから。殺したいかと思うか、って、言ったのも、私があたなと同じ感性を持ってるのかを試したかったから」


考えが浮かび、喋るにつれ、信ぴょう性が増していった。アルコールが脳に染み、徐々に思考が鈍るように、由美の頭はぐらぐらと揺れ始めた。


「…なんでそんなことをしたの」

小さく言った。怖かった。柴垣は吹くようにため息をついた。


「あのな、落ち着いてほしい。あまりにも飛躍しすぎてる。そもそも君の母親はなくなっていたのか?いつだよ、そんなのも知らないし、事件があったことすら知らない。どうしてそんな発想になるんだ」

「…あんな顔をする人は、違わないわけない」

柴垣の質問を突っぱねた。


「…あんな顔ってなんだよ」

「なんで知ってるんだって顔だよ!」

できるだけ刺激はしまいと振る舞っていた由美の制御も、張った糸がプツリと切れるように外れ、怒鳴った。


「あんなっ、あんな顔して、とぼけて、なんなのよ」

「おい落ち着けって」

「帰ってよ!」


いつの間にか大粒の涙が流れた。ひどく噎び泣き、しゃくった。この吐き出されている感情は、母へ向けられたものであることが分かった。柴垣への怒りはない、ただ、死んだ母親を恋しく想い、泣いた。殺した犯人の身元が割れるなんてどうでもいい、私はもう一度、もう一度だけでいいから、絵梨奈に会わせてほしかっただけなんだ。

いつの間には日は暮れ切り、柴垣は姿を消していた。

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