第11話 正体


2016年10月8日、柴垣隆之介___



 ここ数カ月、南部と多くの時を同じくした。下校道を共に帰り、映画鑑賞、勉強会。


「隆之介って、あの転校生と付き合ってんの?」


 ある日友人から言われた。周りからは二人が付き合っているだの噂が流れているらしい。


 くだらない。こいつらは何もわかっていない、そんな陳腐な代物じゃない。これは恋愛などとは比べ物にならない数奇な心理戦なのだ。お前らの代用可能な恋とは違う、特別で替えのきかない存在の探り合いなのだ。


 もし彼女がこちら側だとしたら、その本心を明かすことをためらうのは当然だ。読みが外れた上でカミングアウトをしようものなら、異常者のレッテルを張られ、高宮絵梨奈殺害の容疑者として足を残しかねないデスゲームなのだ。こちらも慎重に相手が同種かを見極めなければならない。


「…さぁ、どうだろうね」


 だが、ここで真っ向から交際の審議を否定すれば、なぜ彼女とつるんでいるのか、疑問を残しかねない。隆之介はユーモラスに浮ついた返事をするようにしていた。


「じゃあ、明日ね」

「ああ」


 学校終わり、南部と下校道を歩き、別れ際にそう交わした。


 ヘレディタリー/継承という、ハードな家族間の悲劇を描いた古き名作を見る運びになった。しかも南部家で、二人っきり。


 南部との中を深めた今も、同種か同種じゃないかの決定的な真偽はつかずじまいだった。この密室という踏み切った場を使えば、南部の本心を引き出すことができるかもしれない。彼女がこちら側と断定できれば、甘美な未来が待っている。


 だが、ここ数カ月の彼女の動向を見るに、彼女がこちら側でないことも薄々悟っていた。深く意見を交わし合う中で、意見の食い違い、考えの相違、脳の根本そのものの粗が目立った。結局表面上でしか共通のない、期待外れの女狐だったというわけだ。


 それでもまだ、か細く小さい、限りなく0に近い可能性が眠っているかもしれない。明日中には、彼女の本意を見極めたい。こちら側でないことが分かれば、早々に関係を切り、少しでも自身の本性を暴かれないように努めたい。長く殺しを嗜むためにも、一寸のわだかまりもあってはならない。仲間としての素質がないのであれば、南部と絡む意味もない。淡い期待を持ちながら、隆之介は帰った。


___


「お邪魔します」


 由美の家は、柴垣家から徒歩圏内のあるアパートに位置していた。散歩中、ばったり立ち会うのも不思議ではない。黒を軸に造られたモダンなアパート、ここで家族三人暮らしというわけか。


 玄関には段ボールが積まれていた。引っ越しでさばき切れていない荷物だろう。段ボールに入りきらない間接照明、観葉植物。かたずけきれていない物々があたりに散乱していた。


「いらっしゃい」


 玄関奥の扉から顔を出し、南部が手招いた。靴を脱ぎ一本廊下を抜け扉を開けると、生活感が消しきれていないリビングが広がっていた。食器や生活用品が乱雑に置かれたキッチン。少し周りを片付けた方が客人からの映りもいいだろうに。もてなしなど無粋だろうといわんばかりだ。くたびれたブラウン調の二人掛けソファ、その前に掛けられた中型テレビ。いたって普通、平均をなぞらえた変哲のない家。ソファに腰かけた由美は、テレビのリモコンを手に取り画面を操作した。


 引っ越してきたと聞いていたが、ずいぶん年期の入った家具や生活感が目立つ。越してきたのが数カ月前だとすれば、こうも空間を使い古せるだろうか。


「えっと、ヘレディタリー/継承、だよな?」


 よぎった不可解さも一瞬で消え去えさるほど、この映画を見ることを楽しみにしていた。奇怪ホラーの金字塔とも謳われる当作品、どのツボをどのように刺激してくれるのだろうか、胸が高鳴った。それにこの作品がトリガーで、南部がこちら側かどうかを判断する良い材料を見いだせるかもしれない。隆之介は南部の隣に座った。


「電気消してくれる?そこの扉にある」


 南部は入り口に隣接した部屋の電源を指さした。暗い方が雰囲気が出るからという理由だろう。隆之介は立ち上がり、電源スイッチを押し、部屋の明かりを消した。部屋は外の光とテレビ画面でやんわりと照らされた。


 オープニングムービーが流れ、始まった。


_


 エンドロールが流れ、映画が終わった。


 素晴らしい映画だった。映画版ヒメアノ~ルとは比べ物にならないほど、人間の恐ろしむ描写が細かく描かれていた。身震いするほどにおぞましく変貌していく主要人物たちには思わず見入ってしまった。名作の名に恥じぬ、相応しい映画だ。


 隆之介の性器は、はち切れるように勃起した。部屋が暗くて助かった、でないと膨らんだ股間を見られかねない。


 南部を尻目に見ていたが、体をこわばらせ、えずき、ホラーの楽しみ方をなぞらえるように情緒を乱していた。これが癖になるのだろうな。彼女も隆之介と同じく、陰核を腫らしているだろうか。苦しみにエロスを感じているだろうか。


「…どうだった」


 隆之介は足を組み、問いかけた。


「いやぁ、よかった。すごい良かったよ。アニーの死を皮切りに家族が崩壊していくさま、よくできてた」


 この映画はアニーという少女が不慮の事故で無くなり、それにより精神に異常をきたしだす家族が入り乱れるというストーリーラインだが、悍ましいまでに変わりゆく人間をよく描けていたと思う。


「間違いない。人の苦しむ様子も良かったよな」


 苦しみに対する見解、南部はどう述べるだろう。


「ねー、グロ描写も良くできてた。アニーが死ぬとことか、もう居たたまれなかったよ、幼女の生首に小蝿が集ってたとことか、流石に見れなかった」


「確かに。俺も腐敗するだけの死んだ人間に興味ない。その事実を受け止めた家族たちが悶える様子とか、もう最高だった」


 まずいかと思いつつ、隆之介はあえて自我を織り交ぜ、話した。いつもなら変質者と勘違いされないような息を呼んだ会話を意識していたが、今回で見極めに見切りをつけたい。リスク承知で飛び込み、南部の本心を聞き出す。


「…いや、興味がないから見なかったんじゃなくて、痛々しすぎて見てられないってことだよ」


 あしらうように南部は答えた。


「死んだ人間がどう描写されるかとか、そういうの込みで良くなかった?」

「…うーん、俺は生きた人間がどうなるかにしか興味はないかな」

「…そう」


 明らかに会話が噛み合っていないことが分かった。隆之介は死んだ人間がどう描写されるかなどに興味はない、重要なのは生きた人間がどうなるかだ。彼女にとってホラーとは、自身の恐怖をどれだけ引き立て、恐ろしくさせるかが重要なのだろう。ホラーで掻き立てられる生の実感。それが彼女をホラーにハマらせた要因。


 もういい、わかった。隆之介のホラーへの向かい合い方とはまるで違う、もう彼女はこちら側ではないのだ。とんだ期待はずれで終わったようだ。


 賭けは失敗だ、変に足を残してしまった。これが原因で高宮絵梨奈の殺害犯に結び付けられることはないだろうが、こういう些細な出来事が原因で足元はすくわれるものだ。


 この映画を薦めてくれたことは南部と関わって唯一の財産だろう。これを機に南部との関係に見切りをつけよう。これ以上俺自身を詮索されるのもごめんだ。


「人が苦しむ姿、いいよね」


 間を空けまいと、南部は囁いた。


「殺してまで、苦しませたいか?」

「え?」


 これが最後だ、最後にこれを聞いて、終わりにしよう。


「人間を殺すまで苦しめたいって、南部は思うか」


 南部は実直に、そして疑念を浮かべた眼で隆之介を見つめた。またも沈黙が二人を襲う。


「…なにそれ」


 乾いた声だった。


「それって、柴垣が人を殺してまで苦しみを得たいってこと?」


 南部は声を震わせ、怯えるようにいった。


 隆之介の額に冷や汗がつたるのが分かった。まずい、流石に攻めた発言だった。これ以上なにかに感ずかれることはあってはいけない。


「…ごめん、なんでもないよ」

「柴垣は人を殺したことがあるの?」


 おもわず彼女の顔を見入った。怯えるように、いぶかしむような目線が向けられていた。その発言は、ヘレディタリー/継承、ヒメアノ~ル、どのホラー映画を取ってみても越えられない恐怖を感じさせた。殺した当てに目星があるような、どこか根拠に満ちた発言に思えた。隆之介はおもわず後ずさるように立ち上がった。


「ごめん、ほんとに忘れてくれ。俺は帰るよ」


 ダメだ、この女といてはいけない。今すぐ逃げなければいけない気がした。逃げるように背を向け、歩き出した。


「高宮絵梨奈っ」


足が止まった。


「…あなたが、高宮絵梨奈を殺したの?」


隆之介は、静かに振り返った。

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