第83話

クロークに荷物を預け、店員にチケットを渡した。


ドリンク代は別料金で必ず払わないといけないものらしくて、何も知らずにカバンを預けてしまったわたしはすごく焦った。


財布は、カバンの中にある。


だけど中田くんが徐にポケットから小銭を取り出し───わたしの分も出してくれた。


「ありがとう、後で返すね。」と心底ほっとしてお礼を言うと、中田くんは「別にいいよ。」とやっぱりわたしの方は見ずに答えただけだった。






ホールの入り口の前にドリンクコーナーがあって、ドリンクを飲んでいる人が数人いた。


ドリンクを引き換えるのは後でも先でもいいらしいんだけど、中田くんはあっという間に清涼飲料水みたいなものと引き換えていた。


わたしも慌てて適当なジュースと引き換えたけど、正直始まりそうだし焦っていた。







もう人は殆どホール内に入っているからやたらとここは静かで、何か話さなきゃ、と思って言葉を探す。


「けっこう待った?ごめんね、中田くんいつもと雰囲気違うから分かんなくて。」


どうにかしてそんな当たり障りの無いことを言葉にすると、中田くんはちょっとだけわたしを見た。


「俺は、すぐ分かったけど。」


「え、そうなの!?」


「赤い服来てるから、藤井さん目立ってた。」


淡々と答える中田くん。


ならなんで声掛けてくれないの、と思いつつ、『藤井さん』と呼ばれたことに少し照れてしまった。







ホール内に入ると中は既に満員で、わたし達は一番後ろの端にやっと入り込むことが出来た。


少し遠目に見えるステージはまだ暗がりにあって、後ろからでも良く見渡せるから前に行く程客席が低い位置になる造りなんだと思う。


客席、といってもオールスタンディングなんだけど。


暗がりにあるステージの上にはドラムやギターが整然と並べられていて、期待に胸踊らせるファン達がざわめきながら皆そこに目を向けていた。





ひしめき合っているから、自然とわたしの肩と中田くんの腕がぶつかる。


ちらりと背の高い中田くんを見上げると、彼はいつもの無表情でじっとステージに目を向けていた。

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