第4話 伝承の火山神話

 その日は夕日がいつもより黄金色に感じた。

 思い出す、黄金色に染まった髪、透き通るような肌、吸い込まれそうな蒼い瞳―――。


 タンザは心臓の音が周りに聞こえているのではないかと感じていた。


――エスピリカは、今も生きてる。

 王の口からそれを聞いた時、頭の中で何かが弾けた。

 と同時に、今日この日、あの時会った少年にまた会えるかもしれないと思うと鼓動がうるさかった。


 月が王国を見下ろす刻下、王と選抜隊は地下への通路を静かに進んでいた。先頭の近衛兵の背中から、緊張がひしひしと伝わってくる。


 タンザは本丸での出来事を反芻していた。その場の全員が手を挙げ、解散が宣言された後。彼は大門付近で近衛兵に呼び止められた。


「"神話の間"で王が待っておられる。直ちに向かえ」


 彼は背中に氷水を浴びせられた気分になった。

―――バレたんだ。やっぱり陛下にはバレていた。あいつと会っていたことがバレていたんだ……!

 感情をあまり表に出さない彼だが、この時は切腹を命じられたかのような様子で敬礼し、近衛兵から怪訝な顔をされた。



 神話の間。

 そこはトルマーレの建国から火山神話までの歴史が壁一面に彫られた部屋であった。王宮の至る所に壁画は彫られているが、この神話の間は火山神スピネルがひときわ大きく描かれていた。

 神話が見守る空間で、神の子孫と呼ばれるトルマンは祖先たちを見上げていた。

 すると、扉の外から声がした。


「陛下。恐れながら、タンザが馳せ参じました……ッ」


 緊張のあまり震える声に王は苦笑し、短く「入れ」と入室を促した。

 若き兵士は、入室した後も小刻みに震えながら頭を垂れていた。


「表を上げてくれ。今は側近らもいない。楽にしてくれ。」


 実は堅苦しいのは性に合わないんだ、と茶目っ気混じりに笑う王にタンザは少し安堵した。


「今日は二度もいきなり呼び出してすまなかったね。驚いたろう」


 やたら固くなっている若き兵士への労いもそこそこに、王は本題へ入った。


「タンザ。君はこの国の神話に非常に関心があるようだね。よく殿堂の壁画を熱心に崇拝していると耳にしているよ。それはもう恋をしているかのようにね」

「………ッ! それは……」


 "壁画の恋人"の異名を王にまで知られていたことを悟り、タンザは耳までルビー色に染まった。


「喜ばしいことだよ。君ほど神話に熱心な者もなかなかいないさ。それもあって今回君に地下への随伴を依頼したんだ」

「………それは、光栄でございます」


 王は壁画に向き直り、壁に刻まれた恐ろしい形相のエスピリカへ手を触れながら語りかけた。


「君がそこまで神話に夢中になったきっかけは何だったんだ?」

「………きっかけ、でございますか」


 タンザの心臓が苛むように暴れまわっている。

―――俺は、知ってはいけないことを知っている。会ってはいけない人物とも会っている。俺は、俺は。


 あまり感情を表出しない彼が狼狽しているのを見かね、王は自ら切り出した。


「君は子どもの頃、エスピリカを見たことがある。いや、会ったことがある、と言ったほうが正しいか。そうじゃないかい?」

「…そ、それは……ッ!」

「安心してくれ。責めるつもりは毛頭ない。子どもたちにはなんの罪もないからな」


 王の意図が読めず、全身から不快な汗が滲み出す。自身の鼓動しか聞こえなくなりそうだった。

 王は壁画の隅へ歩み寄ると、刻まれた古代文字のいくつかへ手を触れた。すると壁画が扉のように動き出し、その向こうにもう一つの隠し部屋が表れた。


「これは王宮でも限られた者しか知らない。エスピリカと会ったことのある君には特に、一度説明しておかねばと思ってな。こちらへ来てくれ」

「…………! ここは……!」


 表れた空間は圧巻だった。

 神話の間以上に煌びやかな壁画が壁や天井に刻まれている。

 そこには、牙や黒い翼が生えた生き物は一匹もいなかった。


 壁画では、尖った耳を持つ人間がトルマーレへ到来し、民と共に生きる姿が描かれていた。


「これはトルマーレの"真実"の神話だ。今でこそエスピリカは怪物とされているが、彼らはまったくそんな生き物ではない」


 王はエスピリカの族長と思しき人物に触れながら言った。その指にわずかに力がこもるのをタンザは確かに見た。


「君たちには申し訳ないことをした。エスピリカの子どもとトルマーレの子どもが会っているのを感づいた者がいてね。子どものやったことであるため、不問にする代わりにあの古井戸は埋め立ててしまった」


 ―――すべて、気付かれていたのか。

 タンザの中で、ある種開き直りのような感情が生まれた。


「……陛下はすべてお見通しだったのですね。不敬を働き、恐縮の限りにございます」

「不敬だなんて私は一度も思ったことはないよ。むしろ、子どもの友情が大人の都合で断たれるのは胸が痛んだ。それに」


 トルマンはゆっくりとタンザへ向き直ると、彼の藍色の瞳をまっすぐに見つめた。


「……王家こそ彼らに千年も不敬を働いてしまった。君に、聞いてほしい。真実の神話を」 


 建国の時代、エスピリカはトルマーレへやってきた。

 トルマーレは超人的能力エスパーを操る一族だった。その力は個性によって異なり、予知能力、治癒能力、テレパシー、千里眼、天候を操るなど多岐にわたった。

 エスピリカはその力を賛美され、建国よりしばらくの間は平和に共存した。しかし千年前、エスピリカの族長はスピネル火山が王国の罪により未来で噴火すると予言した。

 その予言はたちまち民へと広がり、平和な島国を黒い不安が包みこんだ。

 「火山神と王国への冒涜」「国家転覆を企てている」―――予言をそう解釈した民はエスピリカを滅ぼさんと決起し、エスピリカとトルマーレの民との間で衝突が起きた。

 衝突のさなか、エスピリカ族長はスピネル火山の火山口へ投げ込まれてしまった。エスピリカ滅亡の危機を感じた千年前の王――ダイモンドは、表向き「幽閉」と称して彼らを地下街へ避難させた。

 これ以上の衝突を防ぐため、民が地下へ接近することを禁じ、さらにエスピリカに関しての箝口令を下した。

 本来信心深く、素直な国民性の民はこれを遵守し、エスピリカとの共存について語るものはいなくなった。しかし皮肉なことに、地下のエスピリカは恐ろしい怪物であるとの伝説は今日に至るまで語り継がれている。


 トルマンは語り終えると、苦虫を噛み潰したような表情になった。

「千年前、我が祖先ダイモンドは若くして即位した。かの予言があったのは、即位後数ヶ月のことだった。王になるには若すぎた彼は民に安寧をもたらすことができなかった。民は若く頼りない王をあてにできず、不安に駆られた。

結果、罪もないエスピリカは地下に追いやられている。

こんな歴史が千年も続いているなんて、トルマーレに失望したかい?」

「いいえ、失望などしておりません。エスピリカとの確執が千年にも及びながら、此度、彼らへ接触するというご勇断をなされたのは陛下にございます。小生は陛下のご決断に感銘を受けております」

「そうか……ありがとう」


 タンザの、嘘偽りない本心だった。トルマンはどこか寂しそうに目を伏せて微笑み、短く謝辞を述べた。


「恐れながら陛下。陛下の仰せの通り、小生は幼いころ、エスピリカの少年と会っておりました。その際、彼から聞きました。エスピリカはトルマーレを恨んでいないと。いつかトルマーレと和解したいと。彼らも共存を望んでいるのなら、希望はあるのではないかと考えます」

「ああ、それは大いに期待する所だ。今回の交渉は今後の共存もかかっている。いずれ私は、トルマーレの民へも神話の真実を伝えるつもりだ」


 トルマンは再び壁画を見つめ、横顔でタンザへ問うた。


「君は何故、彼らはトルマーレを恨んでいないと思うか?」


 忘れもしない、あの言葉。

 タンザは王の横顔をまっすぐ見据えて応じた。


「恨みに溺れると、エスピリカは魂が穢れ、生まれ変わることができなくなるからです。エスピリカは、どこまでも純粋での清らかな一族だと考えます」


 エスピリカの少年から聞き存じました、と彼は臆することなく申し上げた。

 トルマンは納得したと言わんばかりに目を伏せて頷いた。その口元は笑みを絶やさなかったが、やはりどこか寂しげだった。


「タンザ。君はエスピリカの言う生まれ変わりは、本当に存在すると思うか?」

「思います。彼らは短命のため、生まれ変わることで、今も命と力をつないでいるのではないかと」

「………私も、存在すると思っている。エスピリカのみならず、トルマーレにも」


 トルマンは、壁画のエスピリカを見つめながら語った。もはや愛おしさと形容できるほどの感情が王の視線にこもっていたのを、タンザは密かに感じていた。

 

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