05:大地に背を預けて空を

「隙ありっ!」


 いきなり抱きつかれ、不意をつかれたまま前方に転がった。

「何す――」


 鼻と額を打ち付けて、半ば泣きそうになりながらも起き上がり、不意打ちを食らわせてきた人間を見下ろした。


「……何するんだよ……」


 その顔に思わず力が抜けて、怒鳴りつけようと思っていたセリフは単なる呟きになった。


「あんまり、隙だらけだったから、ついついね~」

「下がアスファルトだったら、死んでたんですけど、俺」


 俺の訴えなど聞いていないのか、その人はニコニコしながらも起き上がった。

 幸いにも、ショートカットと称しているその道は柔らかい土のあぜ道で怪我はないのだけれど。

 恐らく、彼女もわかっていてやったのだと思う。

 衣服についた土を払いながら立ち上がると、つられるように彼女も立ち上がる。


「ねぇ、ねぇ、どこかいくの?っていうか、今、暇?」

「……暇じゃない」

「ちょっと付き合ってよ」


 彼女は俺の言葉など聞いていない。予想はしていた。昔からそうだ。

 昔、まだ俺が彼女と付き合っていた頃、その頃も同じだった。

 俺の言葉など聞かない彼女。彼女に引っ張られていく俺。

 構図は別れて友達同士に戻った今でも変わらない。


「嫌だ。忙しい」

「ほんのちょっとだけだから、コンビニまで一緒に、ぐらいいいんじゃない!」

「へいへい」


 どんなに、拒否しても彼女には敵わない。変わろうとしない関係だ。



 俺の二歩前を嬉しそうに鼻歌を奏でながら歩く彼女。

 その後ろを追う俺。

 辺りは枯れ木に覆われた、地元の人間しか使わないあぜ道。

 地元の人間同士でくっついた俺達。


 そして現在、彼女は俺の元カノ。今でも仲いいけど。正直付き合っている頃と何が違うのか上手く説明できないほど。


「なー」

「何~?」


 歌うように問い返す彼女。呑気なもんだ。


「俺達、何で別れちゃったんだっけ?」

「はぁ?」


 素朴な疑問を口にすると、彼女は不機嫌そうな顔で後ろ、すなわち俺の方に振り向いた。


「急に何言ってんの!?」


 口調もお怒りモードのものだったので、少し俺はひるんでしまった。


「な、何…怒ってんだよ」

「そりゃ怒るよ!温厚なわたしだってねー、もうっ!」


 と、彼女は俺に歩みよると、俺の手を掴んだ。


「罰として、コンビニじゃないとこ、付き合いなさいよ!」

「はぁ?」


 何で、と口にする前に彼女は今まで進行方向とは逆方向へと俺の手を引っ張った。

勿論、引きずられていくしかない。



 たどり着いたのは、川沿いの小さな公園。

 川、といってもちょっと大き目の用水路のような川で、公園も遊具がない芝生が敷き詰められていてベンチが二台あるだけの粗末なところである。

 とはいえ、ここは、かつて付き合っていた俺と彼女がよく話をしていた場所で、恥ずかしながら、初めてキスをしたのもここだったりして。

 しばらく訪れていなかったせいか、懐かしくもあり、色々な経緯からか恥ずかしくもあった。


「ね、覚えてる? ここで、星見たこと」


 問い掛けてくる彼女の口調は明るい。良かった機嫌は戻ったようだった。


「ああ、流星群ね、覚えてるよ」


 忘れられない。まだ高校生だった俺達は親に流星群を見たいが為に親にばれないように深夜に家を抜け出してきて、ここで二人でおちあって星を見ていた。


「ここで寝っころがって、あんなに流れ星見たことなかったから、すごく感動した」


 そういえば、高校時代の俺はここで寝転がることが多かった。

 大地に背を預け空を見ていた。哲学的というか、文学的というか。青かったのだ。そんな自分によっていたのかもしれない。


「こうやってさ」


 彼女は、かつての俺のように芝生の上に仰向けに倒れる。

 そうだ、彼女に教えたのも俺。好きだった空。好きだったこの場所。好きだった、彼女。


「よく何にも話さずに転がってたよね」

「うん」


 俺はうなずいて彼女の隣に座った。


「あの時は、何が楽しかったのかわからなかったけど、今なら何となくわかるよ」


 彼女も体を起こし、俺を真っ直ぐ見据えて来る。

 そらせないような真っ直ぐな眼。

 真摯で素直なこの眼が怖いと思ってしまったのだ。かつての俺は。弱かった。

 だから、彼女に別れを持ちかけたのだ。


「空、ここで見ると、違う気がする」


 突然の別れ話を振ったのは俺で。

 彼女にとっては寝耳に水、という感じだったに違いない。そら怒るよな。

 俺にとっての逃げだった。


「うん」

「ね、どこ行くの?」


 いきなりの問いかけに、面食らったのは、俺だった。


「え?」

「引っ越し、するんでしょ?」

「は?」

「は、じゃなくて、ここ、出ていくんでしょ?」


 驚いて、何もいえない俺に、更に彼女は言葉で責めてくる。


「どっか言っちゃうんでしょ。わたしに何も言わないで」

「うん」


 俺は頷くだけで精一杯。

 真っ直ぐに俺を射抜くその眼は潤んでいて、すぐにでも涙が溢れそうだった。

 こうやって泣かすのは何度目だろう。

 この前は、別れ話をした時だった。


「何で、何にも言ってくれないの?またわけわかんない理由で、黙ってどっか行っちゃうの?」


 事実であるだけに、彼女の言葉は一言一言胸に刺さっていたい。

 本当は、言わなければならない、と思っていた。

 でも、言い出せなかったんだ。

 つらかったから。

 また泣かせてしまうかもしれないと思ったから。

 また、逃げだ。


「ごめん」


 謝ると、耐え切れなかったのか、彼女の目から涙がこぼれた。


「仕事の関係で、来週末に引っ越す」

「……うん」


 そっと彼女の頬に手をのばして、彼女の涙を指で拭ってやった。

 彼女はその俺の手にそっと触れた。


「うん」


 正直に口にしたら、彼女の俺を見る目はあんまり怖くないような気がした。

 俺も真っ直ぐに彼女を見据える。

 そして、そっと彼女を引き寄せると、唇を重ねた。


「……頑張って、ね」


 小さく息を洩らした後、彼女はそう言うと俺から離れて立ち上がった。

 自分のコートの袖で涙を振り払うように拭うと、ほんの少し笑って見せた。


「休みには、帰ってくる?」

「うん」

「わたし、待っててもいい?」

「……うん」


 少し躊躇ったが、肯定の意が俺の今の正直な気持ちだった。


「見送り行くね」

「待ってる」

「うん、それじゃあ、また来週ね!」


 彼女は小さく手を振ると、俺に背を向けた。

 小走りに俺の視界から消えていく。


「待ってる!!」


 叫んだ。彼女に届くかどうかはさだかじゃない。


 1人残されて。

 俺はその場に寝転んだ。

 見慣れた空。好きだった空。

 冬の空気は冷たかったけれど、彼女のぬくもりが残っていて、暖かくて幸せだった。

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