04:陽だまりの時間

   もしも神の国が本当にあるのなら

   そこはきっと 陽だまりのような穏やかさで

   平和で退屈な時間が ずっと続いているような

   そんな 気がする



  彼はほのかに微笑んで、続けた。



   僕はそういう所に行きたいんだ。



「退屈でいいの?」

 

 千夜にはそう問い掛けることしかできなかった。


「今よりはずっといい」


 彼が今までに見たことがないような穏やかな笑顔だったことがとても怖いように思えたが、彼が笑っていることが嬉しいと思っている自分も自覚していた。


「千夜ちゃんは行きたくない?」


 幼馴染の彼――千夜はほんのちょっぴり彼のことが好きだった。高校で離れ、大学もそれぞれ違う学校に進学し、休みになるとたまに顔を合わす程度の付き合いだが、それでも気持ちが消えてしまうことはなかった。


「行きたく、ない…かな、多分」

「何で?」

「だって、色々あったほうが楽しいよ」


 そんな気がする、と付けたし千夜は彼を見やった。

 少し痩せた気がする。そう思った。

 久しぶりに会って、千夜は思い切って「お茶でもどう?」と彼を誘った。

 告白をする気はなかったし、告白するほどの『好き』ではないと思っていた。

 しかしこうやって顔をあわせていると、好き、が募っていくようなそんな感じだった。


 彼は昔から変わっていないようにも思った。いや、少し穏やかになったようにも思う。

 そう目立つ方でもなかった彼の千夜に向ける眼差しには、幼馴染を見つめるもの以外の感情はこめられてはいないようにしか見えないけれど。。

 逆に千夜は変わったのだろうか。

 前に会ってから三ヶ月以上経っている。


「ねえ、最近…」


 いつまでもこんな意味不明な会話を続けたくない、と話題転換を試みる。


「何か変わったことあった?」

「ないよ」


 少し冷めてしまったコーヒーに彼はようやく手を伸ばしながらそっけなく答えた。


「何にも変わらない」


 コーヒーに少しだけ口をつけ、すぐにカップを下に置く。


「千夜ちゃんは?」

「あ、あたしは、そーだなぁ、今日なんだけど、懐かしい人に会えた、かな」

「それって……僕のこと?」

「うん、そう、久しぶりだもん、何だか嬉しいなー」


 気恥ずかしくて、千夜も紅茶のカップを手にする、がすぐに戻す。


「この間、会ったばっかりじゃん」

「えー、結構前だよ」


 こういう感性の違いは前から全く変わってなくて、千夜は嬉しく思った。

 前と同じところを見つけては、嬉しくなる。今日はそればかりだ。


「だって、千夜ちゃんは全然変わらないじゃん」

「そう?少しは大人っぽくなったとか、ないの?」


 幼児のころからの付き合いである。昔を思い返せばかなり変わったはずである。目の前の彼も、幼いころの彼を思い返すと全然違う。外見は。


「あー、外見じゃなくて」

「え?」

「何か、こうやって話してるとさ、何にも変わんないんだなって、そう思えてくる」

「うん」


 それは、千夜もたびたび感じていたことで。

 その感じがなんともいえず心地よかったから、千夜は彼に好感を持っているようなもので。


「神の国って、こういう感じかも」


 思ったことをそのまま千夜は口にしていた。


「穏やかで、退屈な感じだけど、…あ、退屈とは少し違うような」

「……」

「でも、一緒にしゃべっていると、あったかい感じ、うん!そんな感じ!」


 夢中でしゃべっていて、千夜の視線は彼からそれていた。慌てて彼に視線を戻す。

戻した瞬間、千夜は凍りついた。

 泣きそうな表情の彼。口元は自嘲するかのような笑み。


「あ、たし、何か、言っちゃった?」


 絞りだすように千夜が口にすると、彼は首を横に振って見せた。


「遅いんだよ」

「え、おそ……? 何?」

「もう何もかも遅かったんだよ!」


 彼の叫びに喫茶店の中が静まり返った。

 いきなりのことに全員が金縛りにあったかのように固まる。無論千夜も。

 最初に金縛りをといたのは彼だった。

 小さく「ごめん」と千夜に向かって呟くと、そのまま席を立ち、逃げるように店を出て行った。

 千夜はしばらくその場を動けなかった。



 そして、そのまま、彼はいなくなった。




 あれから、時間は穏やかに流れた。大人になっても変わらずに穏やかに。

 自分のふがいなさや幼さを責めたこともあった。彼の決断を受け入れようと懸命に思い込もうとしたこともあった。


 ただ、今日のように彼の墓前に来るとたまらなくなる。あの時と同じように金縛りにあったみたいに何も考えられず、動けなくなる。


「あの日から、もう5年だね」


 だから金縛りをゆっくりと解くように、千夜はここに立つと何かしゃべろうと必死になった。

 三年前からあの日と同じ日にはここにくるようになって、毎回、同じことをする。まるで習慣のように。


「あたし、変わったかな?外見じゃなくて、雰囲気とか」

「お肌は曲がり角なんだよ、もう」

「そうそう、真綾は結婚するって」

「あたしもそろそろ身を固めなきゃなぁなんて思うけど、イイヒトいないから…」

「みんなが『千夜はどうなの?』攻撃しかけてくるから、ちょっと肩身が狭いよ」


「神の国に辿りついた?」


 返ってこないその質問を口にするのは何度目だったのか。


「やっぱり穏やかな場所?」


 もう涙は出てこなかった。


「あたしと話しているときよりも?」


 彼はおそらく、見つけてくれたのだろう。千夜との間に神の国を。一瞬だけでも。すぐに手放して新しい神の国を探しに行ってしまったけれど。


「あたしの神の国はなくなっちゃたよ」

 

 彼の持っていた神の国は千夜にとっての神の国でもあったのだ。


「いなくなっちゃったよ」


 あの時の時間は、暖かく、陽だまりのように優しく、穏やかに、確かに存在していた。

 今は失われ遠くに。


 再びその手にすることはない。

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