03:無邪気に追いかけっこ

 仔犬が仔犬を追いかけている。

 公園のベンチで、ぼーっとしていた篤の目に映ったのはそんな光景だった。


 兄弟なのかなんなのか、そっくりな二匹は、無邪気においかけっこをして、少し目を離すと、どちらがどちらなのかわからなくなってしまいそうだ。

 例えば、今は仔犬Aが仔犬Bを追いかけているわけだけど、追いかけているのは本当に仔犬Aなのか?問われるとBのような気もするし、Aで間違いないような気もするし、だいたい、さっき追いかけていたのは本当にAなのか?というカオスな考えに至る。


「わけわかんね」


 外は晴れ。

 平日の昼間。

 犬たちそれぞれの飼い主はお互いににこやかに会話していて篤には目もくれない。だいぶ距離があるせいかもしれないけれど。


 冬の日差しは優しすぎて、スーツ一枚だと寒いぐらいだった。


 たかが仔犬の追いかけっこで何を得るわけでもなく。

 ただ通りかかったこの公園のベンチに座ったのも、何かを得たいがためでもなく。

 少し得たものがあったからだったような気がした。



 半年前に仕事を辞めた。

 大学を卒業して二年半、自分ではよく働いたと思った。

 仕事を辞めた後、少し休もうと思った。

 ゆっくり休んだ。よく遊んだ。

 気づいたら、半引きこもりみたいになっていた。


 ヤバイと思って、床屋に行ったのがつい先日。

 で、今日はバイトの面接の帰り。

 久しぶりに人と話してきた。


 仕事を辞めたことを後悔はしてないし、心休まる引きこもりの日々を責めたくはない。

 しかし、バカみたいに緊張した。上手くしゃべれなかった。

 前の自分は決してそんなことなかったはずなのに。

 こんなんじゃマトモに働けそうもない、と思う。

 しかしその反面、バイトなんて……というバカみたいなプライドもあったりして、自分の心は複雑すぎる。


「犬はいいよな」


 ぽつり、と


「子供はいいよな」


 言葉にすると


「無邪気っていいよな」


 止まらない。


「何にも考えないっていいよな」


 少し泣けた。



 犬と飼い主たちが去った後も、篤はしばらくベンチに座ったまま動けなかった。

 だが、寒さに震えてようやく立ち上がる気力を取り戻す。

 寒さを感じるってことは、まだ生きているという証拠なのだろう。


 死んでは、いないんだな。と声に出さずに独り言ちた。

 何も考えないのは、多分無理だ。

 考えている限りはこの焦燥感にも劣等感にも近いもやもやした感情からは逃れられない。

 自分の中で追いかけっこしているのは、いつまでも逃げている自分とこのモヤモヤした感情だ。

 全然無邪気にはなれない。


 捕まったらどうなるんだろうな。

 捕まってみたら変化が訪れるんだろうか。

 そういえば運動は苦手だった。特に意味もなく走り続ける持久走は本当に嫌いだった。


 追いかけっこはおしまいか。

 最初から無邪気じゃなかったし、と自虐的に笑って篤はようやく立ち上がった。


「せめて、バイトだよなあ」


 バイトなんか、じゃなくて、せめてバイト。

 変わりたいと思ったんだから、変わろう。

 急激には無理なら、少しずつだ。


 だからまず馬鹿にするのをやめる。



 そうしたら、無邪気に戻れるのか。

 犬たちのように何の憂いもなく。


「それはわからんけど」


 まあ、ほどほどにしか人間動けないのかもな、とこっそりと胸中だけで呟いた。

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