02:何も聞かずに隣に座る

 お姉ちゃんに海に連れて来てもらった。

 免許を取ったばかりのお姉ちゃんはすごくはしゃいでいた。

 夜だというのに、お父さんの車を借りて、


「沙紀、ドライブ行こ!」


 と、凄く嬉しそうに笑った。


「怖いからやだ」

「いいからいいから」


 何ていうか、『いつものお姉ちゃん』という感じ。


 お姉ちゃんは、社会人になってから急に仲良くなった。

 学生のころは喧嘩ばかりしてたし、口もろくにきかなかったし。

 会社勤めしはじめたころから、一緒に買い物に行ったり、お茶をしたり。姉妹、というよりは友達、というか、親友みたいなそんな感じ。


「麻美さん、あたし明日授業なんですけど」

「あたし、休み」


 それは知ってます。

 仕方なく助手席に座り用心深くシートベルトを締めた。


「お、ちゃんとシートベルトしてるじゃないの。偉い偉い」


 死にたくないから、と本音をいうのはさすがにデリカシーにかけるような気がしたので黙っていた。


 意外にお姉ちゃんの運転は慎重で、海までは30分たらずで到着した。

 車を置いて、少し歩くと海岸線。

 駐車場には車の数はまばらで、冬の海らしい閑散としたものを感じた。

 お姉ちゃんは車を降りると、何も言わずに自動販売機の明かりの方へと行ってしまった。。

 一人になると急に心細くなるから不思議だ。車はあるけれど、辺りに人の影はない。

 海岸線には街灯などなく、どこに海があるのかすらわからない。ただただ波の音だけが辺りに響く。


 しばらく待つと、足音と共にお姉ちゃんが帰ってきた。


「はい」


 と、暖かいペットボトルをおしつけられる。


「沙紀ちゃんの好きなお茶だよー」

「ありがと」


 寒かったのでありがたかった。

 一口飲んで息をつくと、白い。暗いのに白い息だけが見えるのが不思議だ。


「ねえ、お姉ちゃん」


 しばらく煙草を吸っている人の振りを楽しんでから(何をやっているのかふと我に返って恥ずかしくなりつつ)、お姉ちゃんに呼びかけたが返事はない。

 お姉ちゃんは何も答えずに、ふらりと海の方へと近づいていく。


「寒いよー! 車戻ろうよ!」


 あたしは後を追わずに怒鳴るようにお姉ちゃんに呼びかけた。

 お姉ちゃんの影はどんどんと海に向かっていく。もう影にしか見えない。

 急にスピードをあげるお姉ちゃんの影。


「ちょっと! お姉ちゃん!!!」


 どんどん影は遠くなり、辺りの闇に同化してしまう。


「お姉ちゃん!」

 

 あたしは焦った。

 お姉ちゃんに呼びかける声は叫び声に近かったと思う。


「何――!?」


 が、あっさり声が返ってきて、拍子抜けしてしまった。と、同時に怒りがこみあげてくる。

 お姉ちゃんに対して、ではない、のは、自分でもわかっていたけれど。

 心配したのに、怖かったのに、お姉ちゃんは何もしてないのに。

 だけど、何かがかぁっと熱くなるのもわかった。

 気づいたときには駆け出していた。

 砂浜はすごく走り辛くて、ヨタヨタした走りなのは自覚しつつもとにかく走る。影でそんな私の滅茶苦茶な走り方がわかったのだろう、お姉ちゃんが笑っている。

 腹が立ったので更に必死になって走った。


「笑う……なぁ!」


 お姉ちゃんの影に追いついて叫ぶと、ごめんごめん、とお姉ちゃんはあたしの頭を撫でた。


「砂浜で走ると足が鍛えられそうだよねー」


 とか、呑気に言っている。

 それに関しては同意だったが、お姉ちゃんに賛同の意を示す気にはなれなかった。


「すごく疲れた。明日朝から学校なのに」

「お疲れ様」


 顔は見えないけれど、声音からニコニコしている様子が伝わってくる。何が楽しいのかさっぱりわからない。


 正直いうと、あたしは、お姉ちゃんを尊敬してる。

 買い物へ行くと必ず何か買ってくれるから、だけじゃなくて、もっとこう根本的な部分で。

 やっぱり学生のあたしは子供だし、お姉ちゃんは大人だと思うから。

 でも今のお姉ちゃんはなんだか子供っぽくて、何だか妙だと感じた。

 当のお姉ちゃんはその場に腰を下ろして、さっき買ったコーヒーを飲んでいる。ふんわりとコーヒーの匂いが辺りに漂う。

 ちょっとだけ、大人に戻ったお姉ちゃん。


「座れば?」

「車に戻ろうよ、寒い」


 訴えには沈黙。

 仕方なく、お姉ちゃんの隣に座る。

 ムカツキ紛れに手にもったペットボトルの中味を一気に飲み下してやった。

 いつもと違うお姉ちゃん。子供だったお姉ちゃんをあたしはキライだったわけだけど、今の子供っぽいお姉ちゃんはムカツキはすれども嫌いにはなれないような気がした。


 何か、あったんだろうか?

 でも聞き出せない空気だったので、あたしは黙って何も聞かずに隣に座っていた。

 ただただ波の音だけを聞いていたけれど、不思議と居心地が良かった。




 10分位たってから、お姉ちゃんは急に立ち上がった。


「車、戻ろ」

「うん」

 

 あたしも砂を払いながら立ち上がる。

「ねえ」


 車の方に歩きながら、あたしはようやくお姉ちゃんに呼びかけることができた。


「何で急に海に来たの?」

「えー、海が見たかったからに決まってんでしょ」


 海なんて見えなかったけど、と言いかけたが、気のせいかもしれないが、お姉ちゃんの声が震えていたような気がしたので何もいえなかった。

 寒さのせいかもしれないけれど。あんまり深く追求するのは今の空気にそぐわない、そんな感じ。


「明日」

「明日?」

「学校まで乗せてってあげようか?」


 お姉ちゃんの提案は明るい声だったので少しほっとして、そして嬉しい提案だったので、更にあたしは上機嫌になった。


「やった!」


 車に戻ると中の空気は暖かくて。

 ルームライトに照らされたお姉ちゃんの横顔はいつものお姉ちゃんで何だかすごく安心した。

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