第16話 ふたりきりの時間

担架に乗せられて運ばれていくアンさんの姿を見て私は居ても立ってもいられずに観客席から抜け出して彼女の元へと向かった。今ならまだ何か声をかけることができるかもしれないから。

さっきはアンさんのところへ向かおうとしたのは良かったけど控室の場所がわからなくて結局会うことができなかったから。

でも、今なら話すことができる。

通路を担架で運ばれるアンさんに近づき、彼女が運ばれるのと同じ速度で歩調を合わせながら口を開いた。


「アンさん、一回戦突破おめでとう!」


私の姿に気づいたのかアンさんは少し笑って私を見た。


「約束、少しは守れるかもしれません」

「アンさん、本当にお疲れ様。えっと、何か食べたいものとかある?良かったら作るよ!」


考えてみればボロボロの怪我人を相手に食べ物を勧めるなんて普通じゃおかしい。

だけどバカな私にはそれぐらいしかいうことができない。

私の言葉がおかしかったのかクスクスとアンさんは笑って言った。


「それでは、粒あんのどら焼きをお願いします。こしあんはダメですよ?」

「わかった!じゃあ、少しの間待っててね!」

「ええ。楽しみにしています」


医務室の場所を聞いた後で私は一目散に駆け出した。

この会場に料理ができる場所があるかを確かめるためだ。

材料は魔法で出せる。

気づいたら――試合観戦の時からずっと夢中で気づかなかったけれど、身体の痛みが消えている。窓ガラスにうつった私の顔や体からは負傷箇所が綺麗に消えてなくなっていた。

回復魔法が効いている。

だけど、おかしいな。私は回復魔法なんてかけた記憶がないのに。

まあ全快しているから、よしとしよう。それよりも大事なのはアンさんが喜んでくれるような美味しいどら焼きを作ることだ。


「どうせなら同じ焼き菓子の仲間のたい焼きも作っちゃおうかな?」


これから作る楽しさを想像して思わず笑みがこぼれる。

さあ、早く場所を探さなくっちゃ。


「わぁ……!」


医務室。病院で入院するときの服装を着たアンさんは私が作ったどら焼きを見ると、嬉しそうに目を輝かせた。

掌を合わせてうっとりとした表情でどら焼きを眺めている。私が作ったどら焼きは少し生地が焦げてしまったけれど、それなりに形にはなっていると思う。

たっぷりと粒あんを挟んでおいたから一個だけでもお腹が満たされるだろうし。

ほかほかと白い湯気が私の眼鏡を曇らせる。

出来立てのどら焼きを見て、私は言った。


「熱いうちに食べてもらえると嬉しいんだけど……」

「ご、ごめんなさい!」


ぺこぺこと謝るアンさんに私は苦笑いで返す。

温かい料理は冷めてしまうと味が落ちる。

もちろんどら焼きは冷めてからでも美味しいし最近は冷やして食べるスイーツなんかも人気らしいけど、やっぱり温かい時が餡子もほかほかだし本来の甘味が楽しめると思う。

どら焼きを手に取って――熱かったのか両手の中でどら焼きを少し遊ばせた後、あむと食べる。

広がる沈黙。この瞬間こそが作った人間にとっては最も緊張する。

アンさんは一口食べると、二口も三口も何も言わずに食べ進めていく。まるで私が眼中にないみたいに黙々と食べ進め、気づいたらどら焼きは消えてなくなっていた。


「美味しい!本当においしいどら焼きです!」

「アンさん、頬に餡子がついてるよ」

「え?」


きょとんとした顔をした彼女の頬に人差し指を当てて、粒餡をすくって指を舐める。

うん、甘くて美味しい。


「どんどん食べていいからね。あ、たい焼きもあるけど食べる?」

「いただきます。キャラメルさんが作ってくれたものなら何でも」


にっこりと笑ってアンさんは私が持ってきたお菓子をぺろりと平らげた。あれほど激しい試合をしたのだから、よほどお腹もすいていたのだろう。

全てを食べ終わったアンさんは一息ついてから私に言った。


「私は今日はここで泊まることになりそうです」

「そっか。寂しいなら、私も一緒に泊まる?」

「いえ。気持ちだけでありがたいです。今日は疲れたでしょう。ゆっくりと傷を癒して準決勝に備えてくださいね」

「アンさんもね」


軽い言葉を交わして医務室を出ていこうとした時、アンさんが私を呼び止めた。


「どうかしたの?」

「いえ……その……もし、もし私が準決勝の試合を勝ちあがることができたら、キャラメルさんに伝えたいことがあります!」


その時のアンさんの表情はすごく真剣で、なぜか耳まで真っ赤に染まっていた。

よっぽど言うのが恥ずかしいことなのだろうか。

理由はわからないけれど、伝えたいことがあるのなら。


「楽しみにしているよ!」


それだけ言って医務室を出る。アンさんが良い夢を見られますように。

そして私も明日にそなえて体力を回復できますように。

家に帰ってから、珍しくおじいちゃんが作ったシチューを食べて、お風呂でサッパリしてから寝室に入る。電気を消したから薄暗いのは当然だけど、寂しさもある。

いつもはアンさんが私の隣で寝ていて、時には私の寝相が悪くて抱きしめちゃっていたこともあったし。

まるで抱き枕みたいにふわふわでシャンプーの良い香りが漂うアンさん。

夜はずっとひとりだったから、誰かが傍にいることが嬉しかった。

今日はアンさんが試合会場の医務室で、私が家のベッドで別々に朝を迎える。

明日は準決勝戦。私と戦うジョナサンさんも、アンさんが戦うパティも強い。

アンさんは顔を赤くしていたけれど、私に伝えたいことって何だろう?

日頃の感謝とかだろうか。わかるようなわからないようなモヤモヤした感じ。

まあ、それは彼女が勝てばいいだけの話だから、明日は自分の戦いに集中しよう。

せめて今日は良い夢を見たい。

大好きなキャラメルをお腹いっぱい食べられる夢がいいな。

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