第15話 孤高の人狼VS友達思いの狐の守護神

ウルフ・フォーク・リフトは名前の通り人狼の男だった。

普段は人間と大差のない容姿をしているが、彼も人狼族として当然の如く、満月を見ると人狼に変身する体質を持ち合わせている。

ただ、彼が一般の人狼と異なっているのは体毛と目の色である。

普通、人狼は黒や灰色の毛と瞳を持つが、彼の場合は金色の髪と灰色の目だった。

金色の毛は月夜に照らされると眩しいほどの輝きを放つために、すぐに居場所を特定されてしまう。

そのため獲物を発見できたとしても、視界に入った瞬間に逃避されてしまうのだ。

目立つ故に獲物を狩ることさえできない落ちこぼれ――

彼は人狼の世界でずっと嘲笑の対象だった。

当然ながら不遇な扱いに我慢できるはずもなく、内心でずっと不満を燻ぶらせていたが、どのように発散していいのかがわからない。

現状を変えたいと願いながらも、方法を探すために暗中模索の毎日。

このままでは俺は一生落ちこぼれて終わってしまう。

それだけは嫌だ。絶対に他の人狼を見返してやりたい。

強い情熱と野心を秘めた人狼がたどり着いた答えは、魔法格闘家になることだった。魔法格闘家になれば対戦を願う相手も増えるし、こちらから狩りに出向く必要もない。

挑戦してきた相手を倒し、食すればいい。

仲間と群れることもなく、容姿を馬鹿にされることもない。

完全実力主義の世界。

その気になれば自分の腕だけで食べていくことができる。

意を決した彼は魔法格闘家としての道を歩み続ける。

これまでの劣等感をバネにして、相手に全力で挑み続ける。

戦い、食らい、戦い、食らう。

文字通りの弱肉強食の世界に身を投じたことで、彼は森の中にいたころとは比較にならぬほどの強さを身に着けるに至った。

そして気づいた時には他の人狼から称されることになる。

『人狼史上最強の男』と。

異端者だった自分が最強と崇められる様を思い出し、ウルフはひとり自嘲的に笑った。

魔法格闘家の世界は毛の色も目の色も関係ない。実力こそが全て。

幾度も修羅場をくぐって爪を磨いてきた。

誰が相手だろうとも負ける気はしない。

俺には負けん気と実績と人狼としての誇りがある。

白い息を吐き出し、灰色の目で暗い部屋を睨むと長い息を吐き出す。

精神統一をしているのだ。


「相手は黒狐の守護神、アンと言ったか。女なのが多少残念だが、情けはない。

俺の爪で引き裂いてくれる!」


鏡の前で金色の爪の生えた手を開き、やる気を漲らせた。

灰色のガウンを羽織って、試合場へと出陣する。


「今宵、俺がこの世界の頂点に立つ!」



試合会場に現れたウルフは灰色のガウンを勢いよく脱ぎ捨て、鍛え上げられた上半身をあらわにした。黒いズボンに屈強な体躯、灰色の瞳は人間態でも威圧感を放っている。

対するアンは黒いボブカットに同色の狐耳、白の巫女服に黄色く大きな鈴が付いたチョーカーをした、一言で説明するなら戦闘に最も相応しくない容姿をしていた。

自分の胸ほどもない小柄で華奢、それでいて動きづらい服を着た少女にウルフは怪訝そうな表情を浮かべた。

黒狐の獣娘であることは知っていたが、これほど貧相な見た目をしているとは思わなかったのだ。

しかし、彼女は単なる酔狂で大会に参加した訳ではない。

自分なら優勝できると確信しているからこそエントリーしたのだ。

一見虫さえも倒せぬように見えて、底知れぬ力を秘めているやもしれぬ。

ウルフの警戒心が高まった。

本当に恐ろしい奴は強者の姿をしていない。

昔からの格言を彼は信じてみることにした。

油断はない。手抜きもない。下手に手加減をすれば、それこそ彼女に失礼だろう。

どれほどの実力者かは手合わせするまでわからない。

けれど全力で獲物を仕留めると、彼は決意を固めた。

試合の鐘が鳴れば容赦はない。人狼としての闘争本能で一蹴するだけだ。

ならばせめて『人』としての敬意だけは払っておこう。

彼は黄金色の手甲を装着した腕を突き出した。


「お前も魔法格闘家の端くれならば、この意味は知っていような?」

「勿論です。互いに悔いなく全力を尽くしましょう」

「たとえ、この試合がどのような結末を迎えるにしても、な」

「はい!」


少女のまっすぐな目を見たウルフは少しばかり頬を緩ませ、互いの拳を突き合せた。

魔法格闘家としての挨拶は終わった。

あとは俺の流儀で蹴散らすまで。

格闘の構えを取り、試合開始の鐘を待つ。


「始めぇ!」


審判が高らかに告げると、第1回戦第4試合の幕が遂に上がった。

適度に距離を置き、まずはジャブで様子を伺う。シュシュッと風を切る音を立てて繰り出される拳にアンは完璧に対応し、躱して見せる。

通常なら観客がいる手前、動きも派手に避けようと無駄が入るが、彼女は違った。

必要最小限の動きで効率よく躱しているのだ。

人の目を気にすることなく、ただ戦いに集中しようとする気概をウルフは少女の動きから感じ取る。

直線の攻撃から左右のフックに切り替えてみる。

鍵爪のように襲い掛かる強力な一撃を、彼女は拳に合わせて顔を動かすことによって軌道を逸らし、無効化してしまう。

軌道を外されたウルフは僅かに姿勢を崩して前のめりになると、それを狙っていたかのようにアンの寸勁が腹に着弾。漆黒の気を溜め込んだ一撃を受けて、ウルフは唾を吐く。

一点集中に威力を高めたからこそ、彼に唾を吐かせることができた掌底。

しかし一発命中した程度で倒れるほど甘い相手ではなく、ウルフは彼女の腕の動きが硬直した一瞬を逃さずに掴んで、逃げ足を封じてから再度のフック。

それさえも躱そうとするアンだが、初動が遅く頬を切ってしまった。

頬が切れ、赤い血が滴り落ちる。少女の顔面を狙う。

通常ならばあり得ないが、これは戦いである。戦いに顔面を狙わない道理はない。

攻撃が当たるようであれば相手の腕が未熟なだけ。

それがウルフの理念だった。

また、顔に当てられたことに対し、アンも一言も不平を告げない。

魔法格闘家たるもの、これぐらいの覚悟は持ち合わせて当然だった。

アンはガラ空きのウルフの脇腹に強烈な蹴りを叩き込むが、ウルフはすぐさま腕で足を挟んでアンを片足状態にさせると、大きく腕を振って顔面に拳をめり込ませる。

赤い血がアンの鼻や口から吐き出され、ウルフの拳を赤く染めていく。

ウルフが腋の力を緩めると、この試合初めてのアンのダウン。

静かに、まるで寝ているかのように倒れている少女を、人狼は冷たい瞳で見下ろす。


「起きてこい。お前の狙いは読めている」

「……わかりました。では、立ち技でお相手致しましょう」


アンはウルフが追撃を仕掛けてきたところを関節技に極めようと踏んでいた。

ダウンは攻撃をする絶好の機会だが同時に諸刃の剣でもある。

それをウルフは長年の経験から知っていた。

上半身の力だけで軽く立ち上がってきたアンは構えてからトントンと軽快なステップを踏み鳴らす。足を使ってスピードで攻めるつもりなのだ。


「先ほどは手技でしたので今度は足技で参ります」

「好きにしろ」


ウルフの同意を得たアンは瞬時に間合いを詰め、彼の太い足にローキックを放つ。

着弾するが、大木のように鍛えられたそれは微動だにしない。

逆に蹴った方のアンが整った顔を苦痛で歪めた。


「私の故郷ニッポンでは水滴石を穿つという諺があります。たとえどれほど小さな力であったとしても長い時間をかければ何事も達成できるという意味です……

その諺通り、あなたの両足を破壊して差し上げましょう」

「……気の遠くなるような話だな。だが、面白い」


アンは単調ながらも足の回転速度を上げていき、威力を増した蹴りを放ち続ける。

両足から繰り出される蹴りは豪雨の如き。

細く白い足から放たれる蹴りは水滴ほどの強さも感じることはできない。

ウルフが口角を上げた。


「俺がなぜ無防備で受け続けているかわかるか?」

「私の足の自滅を待っているのですね」

「正解だ。お前の足が砕けるか、俺の足が先に潰されるか、中々楽しい勝負じゃないか」


アンの足からは血が噴き出し、蹴りの威力やスピードも落ちてきていた。

けれども彼女は水滴石を穿つの精神で幾度も蹴りを見舞う。あまりにも単調で弱い攻撃だが、ウルフにとっては彼女の体力と精神を削る効果がある。

連続蹴りを続けながら、アンは考えだした。

彼の太腿を一点突破で破壊するのは難しい。

少しずつ攻めた方が効果的かもしれません。

アンは狙いを太腿から足首に変更し、一発だけ蹴りを放ってみる。素早く放たれた一撃を細い箇所に食らったウルフは寸秒ほどではあるが、動きを止めた。

攻撃が有効なのだ。

足首と太腿の攻撃を交互に繰り出し続けると、業を煮やしたウルフが彼女の両足を掴んでジャイアントスィングで振り回す。軽量級のアンは軽々と回され放り投げられるが、空中で身を翻し、ウルフの首筋に両手刀、続けてウルフの胸を踏み台の代わりにして反動を付けるとサマーソルトキック一閃。

顎先に強烈な一撃を食らったウルフは、尻餅をついた。

けれどダウンではないので立ち上がって、今度はアンの首を片手で絞め上げてそのまま喉輪落としで地面に叩きつける。

再び片手一本で持ち上げると、最初の返礼とばかりに腹に掌底を食らわせ、彼女を吹き飛ばした。

地面を滑りながら靴で勢いを止めて静止するアン。

けれど掌底は効いたのか、腹を抑えて苦悶の表情を浮かべた。

抑えている両手を離すと巫女服の帯の部分にくっくりとウルフの手形がついているではないか。

自分がエネルギーを凝縮させておこなった寸勁よりも、単なる張り手の方が強い。

覆しようのない事実にアンも顔を青くして唇を噛みしめる。


「先ほどの威勢はどうした?」


攻める気持ちが失せかけたアンに重量級のドロップキックを浴びせる。

受ける前に両手を交差させて防いだつもりのアンだが、蹴りの重みが腕を通じて伝わっていく。

更に強烈なラリア―トを受け、一回転してダウン。

少し舌を出して苦しさから咳き込むと、ウルフは彼女のチョーカーに指を引っ掛け、人差し指と中指の力だけで彼女を立ち上がらせて睨み合いをさせる。

闘志を剥き出しにするウルフとは対照的にアンの闘志は風前の灯火だった。

銀色の瞳には怯えと薄っすらと涙が浮かんでいる。

これは負け犬――否、負け狐の目だ。

だがどれほど圧勝でも勝負は終わるまでは油断できない。

高々とアンを持ち上げ、立てかけた膝に背骨を当ててバックブリーカーで攻め立てる。

すると――


「ウフフフフフフッ……アハハハハハハハハッ」


先ほどまで怯え切っていたアンが笑い出したではないか。

しかもどれほど強烈に背を攻め立てようとも効いている様子はない。


「何がおかしいのかはわからぬが、これならどうだ」


再度持ち上げ、アルゼンチンバックブリーカーを慣行するが、アンの身体はまるで軟体生物のようにグニャグニャと曲がっていく。やがてウルフの腰のあたり足が届くほど曲げられたところで、彼の腰を挟んで絞める。激痛に耐えかねて技を解除すると、アンは片目を瞑って人差し指を口に当てて言った。


「私にはどんな関節技も通用しませんよ?」

「なるほど。先ほどの涙は演技だったというわけか。

さすがは女狐、人を化かすのは十八番と言えるな」

「お褒めにあずかり、光栄です」


爽やかな笑顔で告げるアンに、ウルフは思案した。

彼女は正統派だけでなく時には揉め手も使用してくる。

打撃はともかく関節技は通用しない。

やはり華奢に見えても大会に参加する資格は十分に有している。

ウルフは歓喜の笑みを浮かべ、言った。


「だがな。俺も変身は得意でな……」


ウルフは夜空を照らす満月を見上げ、咆哮を発した。


「見せてやろう。俺の本当の姿を!」


星が瞬く夜空に浮かぶ満月を見たウルフは咆哮し、一気に本来の姿へと変身を遂げる。

柔らかな黄金色の体毛に感情が読み取れない灰色に濁った瞳。

体格は人間だった時と比較して三倍ほどに巨大化している。

アンは唇を噛みしめ、頬に汗をかいた。ここからは相手が本気で攻めてくる。

唸り声を出し、ヤマアラシかのように全身の毛を逆立てて人狼は威嚇をしている。

四肢に力を結集させ、攻撃の準備をしている。その気になればいつでも速攻できるが、全身の力が最高に高まる瞬間をウルフは待っているのだ。

獰猛な犬歯を剥き出しにして笑い、人狼は獲物を見据えた。

人としての勝負は終わった。

ここからは獲物として狩るだけだ。

構えを取りながらも、アンは気押されていた。対峙するだけでも猛烈な殺気と威圧が皮膚をピリピリとした痛みを感じさせるほどに発せられているのだ。

まるで真冬に起きる一陣の風のように。

額や頬から汗が滴り、唇を真一文に噛みしめ、アンの表情は険しくなっていた。

ウルフは灰色の目をカッと見開き、後ろ脚を縮めたかと思うと、バネのように勢いよくアンに飛び掛かっていった。『狼の爪』の異名通りに巨大化した爪を振るう。

アンは跳躍で後退を試みたが、爪の攻撃範囲が広く、鋭利な一撃を浴びた。

袈裟斬りのように斬られ、巫女服の上着が血で赤く染まっていく。

躱さなければ命はない。

人ではなく獣と化したウルフの攻撃に、背を向けて逃避を選択。

逃げることは恥ではなく、勝負を諦めさえしなければいつかは好機はやってくる。


「逃げるな!立ち向かえ!」


心のない野次が飛ぶ中を、格闘場の逃げられる範囲を全て使って狼の斬撃を回避し続ける。

しかし、そんな逃避が永遠に続くはずもなく。

とうとう壁と人狼に挟まれ身動きが取れなくなってしまった。

背は壁、前はウルフ。跳躍しても爪を食らう窮地。

両手を広げて壁に触れると、両掌からエネルギー弾を発射。波状攻撃を推進力に変換し、人狼の鼻面に拳を命中させる。


「狼さんもワンちゃんと同じくお鼻が弱いようですね」


鼻から血を流したウルフは唸り、より殺気立った瞳で睨む。確かに鼻は人狼の急所であるが、弱点でもあるが故に一撃で仕留めなければ対象者は数倍の苦痛を味わうことになる。暫く荒い息を吐き出した後に人間時と変わらぬサイズとなったウルフは轟く声で言った。


「俺をここまで追い詰めたお前に最大の敬意を評し、最高必殺技をお見舞いしてやろう」


何か来る、アンが警戒したときには神速で間合いを詰め、右手でアンの顔面を、左手で腹を鷲掴みにし、深々と爪を食い込ませていた。


「俺の最高技 ウルフ・アイアンクロー!!」


通常のアイアンクローは片手だけで行う技だが、ウルフは両手を使うことで威力を倍加させていた。

女の命である顔に深々と爪を食い込まれ、腹も鷲掴みにされているせいでアンは猛烈な吐き気に襲われる。しかし、大きな手で目と鼻と口を抑えられているので、視界は暗黒に包まれ、窒息しそうだ。

アンはこめかみからダラダラと血を流し続けている。

このままの体勢が長時間続けば、大量出血で意識を失うのは間違いない。

逃れたい気持ちはあるが腹を掴まれている。

腕を使って外そうにもまるで根が生えたようにビクともしない。

抵抗すればするほど深みにはまる沼のようで、アンの全身から冷たい汗がドッと噴き出す。

顔や腹からドクドクと血が流れる。早く対処しなければ手遅れになるともわからない。さりとて無理に剥がそうとすれば顔や腹の皮がウルフの掌にへばりつくかもしれない。

恐るべき魔の技だ。

単純であるが故に攻略法が何も見つかない。

呼吸が薄くなるということは思考力が鈍ることも意味している。

作戦などなく、無我夢中で足でウルフの胸板を蹴るが柔らかい毛に覆われ、鍛えられた分厚い胸板には効果がない。

ウルフは犬歯を見せて笑うと、アンに言った。


「お前は本当によく頑張った。大した奴だ。魔法格闘家としてきっちりと地獄へ送ってやるから心配はいらぬ」


頭蓋骨を締め上げられメリメリという乾いた音、木の皮が剥がれる時にも似た音が会場内に木霊した。ウルフがアンの頭蓋骨を掌で砕きにかかっているのだ。

まるでリンゴを潰すかのように頭蓋骨を破壊するつもりなのだ。

水滴と流血が混じった文字通りの血涙を流しながら、アンは激痛に耐え続ける。

声にならない悲鳴が口から吐き出される。

遂には白目を剥き、悲鳴も止まった。

両腕はだらりと下がり、戦闘の意思は見られない。

ウルフが技を解くと、アンはW型の姿勢で足を広げて座った状態になった。

頭は垂れているが上半身が起きているので完全な気絶とは判断されていない。

そこへ、ウルフの強烈な前蹴りが放たれ、彼女の細い腹に命中。

がっくりと大きい字に倒れ、腹と顔の出血で小さな水たまりが作られていく。

誰が見ても敗北は確実だが、その時、両手をメガホンの形にしたキャラメルが叫ぶ。


「アンさん!私と一緒に決勝で戦うんじゃなかったのー!?」


アンの狐耳が微かに動いた。反応があるのだ。

懸命に頭を起こし、それから上半身、下半身と力を込めていき、アンはどうにか立ち上がる。幾度か血の混じった咳を吐き出し、両膝に手を当てて汗だくの顔でウルフを見据えた。


「まだ……私の戦いは終わっていませんよ」


膝の上に握られた拳が震えた。目の端からはすうっと透明な雫が流れ落ちる。

助けに行きたい。でも試合場に足を踏み入れたら彼女は失格になってしまう。

彼女の身を守るなら今すぐにでも助けに行くべきだ。

でも、それは本当に彼女の望むことなのか?

自分の思いと彼女の願いの板挟みで少女の心は揺れていた。

強く唇を噛んで衝動を抑えようと努めるが、代わりに細い腕が少しだけ震える。

足も同じように震えだす。

危機に陥ったのが助けるのが本当の友達だけど、戦いを邪魔するのは違うと思う。

友達だからこそ余計な手出しはせずに最後まで勝利を信じてあげたい。

たとえどれほど絶望的な状況で勝ち目がないと思っても最後の瞬間まで応援し続けるのが本当の友達だと思うから。

少女は栗色の馬の尾のような髪を微かに揺らし、両掌を口の両端に当てて声を限りに叫ぶ。


「アンさん!私と一緒に決勝で戦うんじゃなかったのー!?」


決勝で戦いたいと彼女は言った。

それが彼女の夢ならば、簡単に投げ出してほしくない。

諦めてほしくない。

決勝まで勝ち上がるには、まずこの試合に勝たなければならないのだ。

彼女は倒れて、意識はないかもしれない。声は届かないかもしれない。

それでも叫ぶことに思いを届けることに意味があると信じて、少女は叫ぶ。


「アンさん立って!試合はまだ終わってないよ!起きて!」


すると、アンの狐耳がピクリと動いた。声を拾おうとしているのだ。

間違いない彼女の耳に声が届いている。それがたとえ本能的なものだったとしても、少女は聞こえていると確信していた。

やがて、虚ろだった瞳に光の色が戻ってきた。胸が上下し、心臓が脈打つ。

ゆっくりとした動作ながら、アンは自分の足で立ち上がって対戦相手を見据えた。


「まだ……私の戦いは終わっていませんよ」




ウルフは人狼の姿のままで好戦的に笑って言った。


「俺のアイアンクローを食らって立ち上がったのがお前が初めてだ。

そうこなくては戦いに参加した意味がない!」


立ち上がったアンに対しウルフは歓喜の笑みを見せた。先ほどのアイアンクローで勝負は完全決着したと思い込んでいただけに、彼女が起き上がり戦闘意思を示したことは彼にとっては予想外の展開だった。

これまで相対した対戦相手はどれも狼の爪の一撃で戦闘不能となりどこか消化不良の残る戦いばかりだった。けれど今回だけは異なる。彼女はボロボロになりながらも戦闘続行を示した。戦いの続きができる。アンに対して存分に力を振るうことができる。出し惜しみも不満もなく悔いなく戦うことができる。

ウルフは強靭な後ろ脚から繰り出される弾丸タックルでアンを壁に磔にしてから再度アイアンクローを狙おうとする。

しかし、それを読んでいたアンは凶悪な掌をしゃがんで回避すると、己に出せる全力でバックを取り、彼の長い尻尾を全身全霊で握った。

その行動が何を示しているのかウルフは理解できた。人狼に限らず全ての獣人は武器としても使用する尻尾こそが最大の弱点であり、それを握られると力が出なくなってしまうのだ。ウルフも当然ながらそれを知ってはいたが尾を鍛えることは無かった。

彼は爪に全ての鍛錬を割いていたのと、爪を鍛えれば尾を狙うことなど無いと高を括っていたのである。無意識の慢心がここにきて作用した。

ゆっくりと血走った眼で後方の少女を睨む。尾を振って抵抗を試みるが、どれほど引き離そうとしても少女の両手はガッチリと尾を掴んで離さない。幾度も壁や地面に叩きつけてみるが、決して離れぬ両腕。次第に人狼の方が弱体化してきた。尾の振り下ろしも速度が落ち、唸り声も小さくなっていく。彼を支えているのは気力だけだが、それはアンも同様だ。


「アンとやら。何が貴様をここまで支える?」

「友達の力です!」

「友か……俺には無い力、だな……」


異端故に爪弾きにされ孤高の存在であり続けたウルフ・フォーク・リフト。

彼は常に孤独で自らを鍛える道しか選択できなかったが、アンは友と鍛える道を選んだ。

ウルフは自嘲的に笑うと、轟沈し二度と起き上がることはなかった。

試合終了の鐘が鳴り、最終試合の勝者はアンに決定した。

試合が終わり、倒れた状態で意識を回復させたウルフは少女に言った。


「どのような結末になっても悔いはない。俺は全身全霊で戦えたのだ。それも、狐の神にな」

「ウルフさんも本当に強かったです」




勝者は健闘を称える意味で拳を突き合わせ、会場は大きな拍手に包まれるのだった。



第4試合勝者 アン

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