第3話 祖父と孫娘の苦悩と新たなる刺客の影

ジークを赤子の手をひねるかのように倒してしまったプティングは嘆息をした。


ジークだったものを一瞥すると、小さなスプーンを胸のポケットから取り出して光の粉をふりかける。黄金色に輝く粒子が胴体に付着すると、ジークの胴も同じように光の粒となって天へと昇っていく。倒した相手に対するプティングからのせめてもの情けであった。


呆然としている孫娘の両肩をしっかりと掴んで口角を上げた。


「わしがいない間、よく頑張ったね。君は本当に偉い子だよ」


「おじいちゃん!」


キャラメルは涙でぐしゃぐしゃの顔で祖父に抱きついた。初めての対決はキャラメルにとっては非常に恐ろしいものであり、祖父がいなければ自分は終わっていた。


そのことを身に染みて感じていただけに、彼女は心の中でひとつの決意が生まれた。


夕食。トンカツをソースをつけて食べながら、キャラメルは真剣なまなざしを祖父に向ける。


眼鏡の奥の黒い瞳から、彼女の固い意志をプティングは感じ取りながらも、あえて何も言わなかった。トンカツを食べながら、孫娘が口を開くのを待つ。


ごはんを全て食べ終えたところで、ようやくキャラメルが沈黙を破った。


「おじいちゃん。私、強くなりたい」


「それは、どうしてかな」


「今日、あまり役に立てなくて弱かったから。これじゃあ、自分を守ることもできないよっ」


キャラメルの眼鏡に涙が貯まる。


「強くなって自分を守れるようになりたいの。お願いします、私に魔法格闘技を教えてください!」


椅子から身を乗り出して懇願するキャラメルにプティングはキラキラと輝く瞳を向けて言った。


「人はね、急激に強い力を手に入れると思いあがって弱い人を痛めつけるようになる。


それは、とても恐ろしいことなんだ。


正直言うと、わしは君にそうなってほしくない」


「大丈夫だよ。私はそうはならないから」


「その言葉は、色々なところで何百、何千回と聞いたことがあるけれど、誰もが力に溺れて道を踏み外してしまったんだ。


わしはもうそういう姿は見たくないんだよ。


自分の孫なら、特にね……」


「でも、このままじゃまた我が家が危険になるかもしれないよ?」


「……」


キャラメルの言葉も一理はあった。自分が急用で出かけることが増えて、現に今日のジークのような者が現れないとも限らない。


危険を察知したとしても立場上、持ち場を離れるのが難しい場合がある。


そうなるとキャラメルひとりで相手と戦わなければならないのだ。


今の彼女では相手を倒すことは不可能だろう。


顎髭を撫でてプティング老人は思案した。


少しの間黙った後で、ようやく答えを口にした。


「わしも眠るから、今日はお休み。このことはゆっくり考えなさい。


急いで答えを出すのは、あまり良いとは言えないからね」


「……おやすみ、おじいちゃん」


「うん。おやすみ」


食卓を去っていくプティングを見送るキャラメルの瞳は涙で潤んでいた。


「おじいちゃんの馬鹿……」


自室に入ったプティングは壁にはめられた鏡に自分の姿を映した。


真っ白な髪によく蓄えられた髭、見た目は完全に老人だ。


孫娘のキャラメルが生まれた時、わしは一〇〇歳だった。


彼女が一五歳だから自分は一一五歳になる。年齢差は一世紀だ。


短ったような、長かったような百年間。


何十年もの長きに渡り、強敵と戦い続け磨かれていった腕。


世間では最強の代名詞だの並ぶもののない存在だのと謳われていたが、わしはまだ修行中の身。


ずっと未熟な存在で完成品とはほど遠い。


その言葉を幾度となく言い聞かせてきたが、事実、この世界にわしを脅かす存在はいない。


それではどこの世界にわしと対等に渡り合える存在がいるというのか?


未熟でありいつまでも技を極めたいという願望と、技能の全てが神に匹敵する領域まで到達してしまったという現実に老紳士は苦悩していた。


鏡の前で髪をかきむしり、老人は呻いた。


「わしのせいであの子が傷ついてしまう!」


表舞台から姿を消して半世紀以上の時が経つ。完全に隠居を決め込み、森の奥に屋敷を立てて穏やかな余生を過ごすつもりだった。


半世紀も経てば世間から忘れ去られ、存在しないものとして気にすることなく生きられる。


そのようにプティングは考えていたが、世間の見方は違った。


彼は今でも魔法格闘技の世界で比類なき存在として多くの尊敬の念を集めていたのだ。


伝説の噂を耳にして自分の強さを証明したいと挑みに来る存在が後を絶たない。


今日のジークもそのひとりだ。


近頃、炎と蛇を武器に人気が出つつあった新星。


その新星を単なる基礎技のヘッドロックで殺めてしまった自分。


孫の身を守るためとはいえ、若い者の未来を奪うのはあまりにも辛い。


同時に手加減をしているつもりでも一瞬で殺めてしまう自らの武力に、恐れを覚えた。


このままでは負の連鎖は止まらない。


だが、どこへ雲隠れしてもわしの名を追い求める者は必ず現れる。


「わしはどうすればいい……?」


老人は鏡の前で顔を覆って嘆くのだった。


時を同じくして、キャラメルも同じように悩み眠れない夜を過ごしていた。


眼鏡を外し、白く柔らかな枕に頭をのせて毛布をかぶったが眠りにつくことはできない。


夜空には星が瞬き優しい月明かりが薄く部屋を照らしている。


彼女は今日一日の出来事を振り返っていた。


朝食後からの戦闘。昼食も摂らず、ジークの猛攻を凌ぎ続けた。


勉強は苦手なキャラメルだったが咄嗟の機転は効くのかジークの予想を上回る策で幾度とない窮地を乗り越えることができた。やはり人間は危機に陥ると良い知恵が浮かぶものである。しかし、今回は祖父が助けてくれたからよかったが次も助けてくれる保証はない。


救出に間に合わなくなることも考えられる。その時は本当にひとりで戦いを強いられる。


挑んでくる相手はどれも自分の実力に自信がある猛者ばかり。


対する自分は一介の一五歳の女の子。普通に戦えば結果はどうなるのか火を見るよりも明らかだ。下手をすると単に命を奪われるよりも、もっと恐ろしい目に遭うかもしれない。


敗北したら生殺与奪の権利は相手が握っているのだから。


このままじゃ、ダメだ。


キャラメルは唇を嚙み締めた。


強くなりたい。強くなってひとりでこの家を守れるようになりたい。


そう思った直後、祖父の顔を思い浮かべたキャラメルはハッとした。


おじいちゃん、力に溺れる人がいるって悲しそうな顔で言ってた。


あれはどういう意味なんだろう。


明日、聞いた方がいいのかな。


様々な考えが頭を巡るがもともと頭を働かせるのは苦手なタイプのキャラメルは、やがて疲れて熟睡してしまった。




「ジークがやられただと!? そりゃあ痛快だぜ。ブヒャヒャヒャヒャ!」


ジークがプティングに敗北した情報はすぐに魔法格闘家の中で共有された。


この報せに誰よりも腹を抱えて笑ったのは、黒いオークのブーヒャである。


普通のオークはイノシシの頭だが彼は黒豚の頭をしていた。ゆえに牙はない。


黒光りする肥満体の彼はジーク戦死の一報を肴に葉巻と酒を満喫していた。


ジークとブーヒャは極悪人として悪名を轟かせていたが、どちらも似たようなタイプのため、互いに張り合い、犬猿の仲であった。


やつさえいなければ自分が悪としてより輝ける。


そのような中で、ジークが実力差も考えずにプティングに挑み、犬死をした。邪魔者が消えたことはブーヒャにとって好都合だったが、彼にとっては思わぬおまけまで付いてきた。


プティングには孫娘がおり、そこそこ強いという情報を手に入れたのだ。


ブーヒャは無類の女好きであり、女格闘家を叩き潰すことに快感を覚えていた。魔法格闘家新聞に掲載されたキャラメルの写真を見た豚の化け物は醜悪な笑顔を見せ、舌舐めずりをする。


「今度は俺が挑戦してやるぜぇ。ただし、プティングじゃねぇ。

お嬢ちゃんの方に、だ」


その時、偶然にも村人が洞窟の様子を覗き見てしまった。


気配を察したブーヒャは睨みを利かせ、愛用の三叉槍を手に取る。


凶器を持った豚の化け物を前に村の男性は震えるばかりで声も出ない。


「てめぇ俺を見がったな?」


「い、命ばかりはお助けを……」


「俺の突きを食らいやがれーッ」


オークは容赦なく三叉槍を突き出し、男を串刺しにした。


岩壁に潰され槍に突かれて絶命した男の返り血を浴びたブーヒャは満足げに笑い。


「今度はあのお嬢ちゃんに俺の槍をタップリと味合わせて、地獄へ落としてやるぜ」

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