第12話 真実は常に残酷な物である
「人殺し? 千尋さんが?」
「意外だったでしょー? 虫を殺さないような澄ました顔してんのにさぁ」
何を言っているんだ、この男は。
ケタケタとした笑顔で両手を叩く彼は、まるで俺の表情が読めていたかのようだ。
「千尋さん? 本当に貴方は、人を」
千尋は顔を俯く。
つまり、その無言は肯定と受け取るべきだろう。
「単純だよおじさん……千尋は俺たちが愛してやまない人を殺したのさぁ」
「……誰、を」
「千尋ちゃんも人が悪いねぇ? 自分がどれほどの大罪を犯したか自覚していないよう、だっ!!」
「んんっ!」
「何を!」
スペクターは千尋の腹を蹴り彼女は痛みに顔を歪めた。
当時のスペクターの声は加工されていた。
だが、今の目の前にいるスペクターは若い男。
スペクターが若者を扇動していた? 何のために?
いいや、想像もしたくない。
その想定が正しいのならば彼女は、名無路千尋は――、
「ああ、取ってあげるね。千尋ちゃん」
「……っ、何がしたいんですか!!
ガムテープを外し、紐を解かれている千尋は彼の名を叫ぶ。
「え? 真実に近づいた輩を殺す、それ以外ないでしょ? 俺たちが信仰してきたスペクター殺しの犯人さん?」
「――――な」
現実が頭蓋に大槌のごとく叩き込んでくる。
否定したいと仮定した可能性。
それは、彼女がスペクターの関係者であること。
同時に、彼女が……殺人者であるということ。
「おじさん、別に今告白してもいいよぉ? 今、全国にいる学生全員の将来を潰したいならね」
「どういう意味だ!?」
「スペル教はね、俺と千尋の二人で発足したの。運命的でしょ?」
パーカーを下ろして仮面を外した彼は、ずいぶんとご立派な優男顔だった。
漆黒を思わせる短い真ん中わけの黒髪と闇を彷彿させる黒い目。
日本人でもモデルや芸能人にも負けていない美貌の持ち主だ。
「ああ、大丈夫だよおじさん。いいや? 日廻解人さん。スペクターが最後に殺した奥さんと娘の父親だよね。確か娘は、
「……お前は、どこまで知っている?」
下卑た笑みを見せる男は、この状況を楽しんでいる。
まるで、絶望する人間を見るのを楽しむかのような笑みだ。
「おじさんが死んでからなら教えてあげてもいいよぉ? もちろん死ぬのは千尋ちゃんの目の前だけど」
「解人さんを殺さないでください!!」
「拒否権ないの、わかってる? まぁ、俺は絶望中毒者だけど千尋ちゃんが望まない結末でおじさんを殺すのも、千尋ちゃんの絶望顔が拝めるならそれはそれでありかなぁ、俺たち運命共同体だもんねっ」
「ぐっ、ぁあああああ!!」
真人はナイフを彼女の足に突き立てる。
彼は、異常だ。
よくわからない単語を使ってるが明らかに彼の言動は常識を逸している。
解人は鳥肌が立ちながらも、千尋が拘束されながらも真人に縋った。
「やめて、ください……真人さんっ」
「なんでぇ? 俺、千尋ちゃんが絶望する顔見たいなぁ……スペクター様を殺した時の俺の絶望を、もっともっと長く味わってほしいだけ。それのどこが変なの? 何も矛盾はないと思うけど」
「どうしてそんな酷いことを考えられる!?」
「んー? あんたらのせいで俺ら、苦しいの。生きてることに生まれた時から絶望してんの。だから、常識って奴を全部殺す。もう計画は動いてるんだよ」
彼はスマホを取り出し、スマホに向かってピースする。
……最近の若者は、こんな緊張状態の時に自撮りするのか?
「みんなー? 見てるー? 俺、スペクターでーす! ご本人様ねぇ。もうめんどくさくなったから10年前から計画していた計画執行しまーす! はーい、みんなー? あんよは上手!!」
どこからか、爆発音が聞こえて来る。
大きな音が、一発。続けて、二発、三発、と耳に響く。
「……っ、何をした!?」
「えー? 人間爆弾? 殺人鬼の正体が晒されたら自殺通り越して、自爆するもん。推しのSSRゲットした時に感激しないオタクはいないってぇ。日本全国巻き込んだ革命だよぉ」
「まさか、渋谷の時のも、」
「うんっ。ただの爆弾じゃなくて、人間爆弾だよぉん」
「……なんてことを」
若い未来ある少年少女を殺すことを、この男は楽しんでいる。
おそらく千尋さんも手練手管で殺害に及ばせたに決まっている。そうでないのならば、あんなに壊れ物のような顔をした彼女が人殺しなんてするはずがない。
「産んでおいて自分の子供を雑に扱ってる奴が悪いんじゃん。それで自爆して死ぬのに何が悪いの? 死ねって願われて死ぬのが異常なら初めから産まなければいいじゃん。子供を愛の証明のために利用した大人共が悪いじゃん。いらないって言われた子は心の底から望んで今決死の覚悟で死んでんだから誉めてあげてよぉ! すごいでしょ? お前らが嫌った未来が死ぬ様はさ」
「な、」
「死ぬみんなは全員褒められるべき! そうでしょ? おじさん」
「何が誉めてだ! お前が自殺させているだけだろう!!」
爆発音がひどい。急いで携帯で確認した。
生配信になっているニュースの動画が上がっているのを確認し映像を見る。
『臨時ニュースです! 日本各地で爆発テロが起きています!! 各地域の人々は非難を!!』
「あっはっは! ニュースの人たちも大変だねぇ」
「何笑っているんだ!!」
「何って報復だよ。大人が無駄な命を産むなら、命は派手に死ぬために爆発で大勢巻き込んで吹き飛ばせばいいだけ。あはは、日本沈没も目じゃないねぇ!」
スペクターは目を爛々とさせ笑っている。
どこまでも狂気的に映る表情に恐怖を覚える。
「やめさせるんだ、こんなこと!!」
「そもそもアンタの復讐は無意味だよ、スペクターは願愛ちゃんの願いを叶えただーけ♡」
「願い、だと?」
「願愛ちゃん、母親に虐待されてたの気づいてなかったの?」
「……なにを、言って」
願愛が? いつ? よく、ドジで、怪我をしやすい子ではあったが。
見子が、そんなことするわけ。
「ああ、知らなかったんだ。アンタの娘さんからスペクターさんにお母さんと一緒に殺してって頼まれたんだよ」
「……嘘、だろう?」
「録音音声、聞く? 古いけど残してあるよ」
真人はスマホのボタンをタップしながら録音音声を流した。
『お嬢さん、本当にいいのかい? 君まで死んだら、お父さんは一人になってしまうよ?』
『いいの……お父さんは真面目だから一人で生きれるもん。願愛はお母さんのお腹の中で死ぬんだ。そしたら、お父さん絶対喜んでくれるもん、いらない子より、いい子が生まれてくるべきなのっ』
「……なん、で」
紳士そうな声色の男が少女に問いかけている声が聞こえる。
10年経とうと父親である俺が間違えるはずない。
確かに、死んだ願愛の声だ。
「これでわかったでしょ? アンタの復讐は無意味だったって!! 最低最悪な劣悪環境から死という救いある天国に連れて行ってくれる、それがスペクターという存在なの!! これこそが、ホントのQED、ってね♡」
「じゃあ、あの殺され方は願愛が望んだこと?」
「もちろん、オーダー通りにこなすのがスペクターって男の流儀だよぉ」
「……そんな」
解人は地面に崩れ落ちる。
今までの復讐の無意味さを痛感させられた。
「……俺の今までは、無駄だったのか?」
妻と娘を殺され、サラリーマンから探偵になったのに。
真人に突き付けられた真実はあまりにも重かった。
全部、無駄だったということじゃないか。
……何もかも、全部、娘が願ったこと。たった、それだけ。
俺が気づいていれば違ったかもしれない事実が体に伸し掛かる。
俺の心の底から大切にしていたはずのものを、失ったのか。
「――――ごめんな、願愛ぁ」
涙が、込み上げてくる。
産まれてきてくれてありがとうと願いを込めて愛した娘が。
世界に絶望していた、その重みが俺の最後に残っていた復讐の火を消した。
◇ ◆ ◇
最初は、ただ罪悪感だった。彼の元に訪れたのは。
お父さんが機関投資家だったのは本当。殺人鬼だったのも本当。
でも、私が貴方の探偵事務所に行ったのは、私の意志でもあった。
私は立ち上がる。解人さんが絶望している。
当然だ、家族が憎い誰かに殺されたんじゃなく自分から願って殺されたんだから。憎むべき対象は、私が殺してしまったんだから。
「解人さん、本当にいいんですか? 諦めて」
……まだ、だ。
まだ、カイトさんは死なせるわけにはいかない。
「……」
彼の耳に何も入っていないとわかっていても私は語りかける。
「私は、みんなから憎まれるために生まれました。価値なんてそれ以外ありません。誰かが決める意味も、その程度でしょう」
片親で、祖父母の家に育って。
父が母が死んだ時、母を追い詰めた人たちを殺す殺人鬼になった。
……それでも、人を殺す行為は罪なんだ。
「だったら何? 千尋ちゃんが人殺しなのは変わらないでしょ?」
「そうだよ。でも、ちょっとくらい……夢を見たっていいでしょう?」
「は? 何――」
私は強引に彼を掴みがかり、背後に抜け落ちている壁へと連れていく。
落下すれば、即死は免れないような高さだ。
私の存在自体を否定してでも、守り通さなくてはいけない物がそこにある。
「離せよ、千尋!! みんなの死を見届けなくきゃ!! 全世界が絶望する瞬間を、この目で見なきゃ!! 意味も価値もないって切り捨てられた俺たちが、世界を殺すんだ!!」
「貴方は、私を殺したかったんでしょう? その衝動を正当な理由風に仕立ててるだけのくせに」
「だからなに? 確かに俺は君のストーカーだった。だからこそ! 全人類みんなが絶望するクライマックスを最後に俺と千尋が世界のアダムとイブとして世界を作る様を、楽しみにするって決めたんだっ。価値がないって産まれた俺たちの存在証明を、死に行くみんなに与えなくちゃ……無駄な死が歴史に刻まれないじゃあん」
「……だから私は貴方と死ぬの、真人」
彼は、壊れていた。理解したいと愛そうとしたこともある。
でも、意味がなかった。彼が本当に見てるのは自分だけだったから。
彼の心の罅は心臓に達していた。私も同じだった。
それでも、私はたった一言に救われたの。
その事実が一度でもあっただけで、こんなにも嬉しいものなんだと知ったから。
どれだけ失望したとしても、残り続けてくれた。あり続けてくれた私の宝物。
私のたった一つの存在理由。
私の生きた意味と価値が、そこにはある。
「離せ!!」
「……千尋、さん?」
「人殺しは、人殺しの手で終わる、素敵な結末でしょう? ……解人さん」
横目で私は彼に笑みを零す。
落下していく体が、彼の絶叫を耳にする。
「千尋さぁああああああああああん!!」
ああ――――そうだ、私はあの光を守るために、手を伸ばしたんだ。
きっと貴方が、そうであらない人でい続けてくれる人だから。
だから私は、人を愛するのです。憎悪で胸を広がせながらも、焦がれたのです。
夢を、見たのです。綺麗な物語の人々の営みのように、願ったのです。
本の物語に見出したあの輝きのように、人々に夢を見たのです。
「ああ、本当に俺たち心中するんだねぇ千尋ぉ、離さない。離さない離さないっ。前世も現世も来世もずっと、君は俺のものだっ!!」
「そうよ、貴方は私と心中するの。それが貴方の本懐でしょう」
「ああ、いいよぉ……永遠に俺の心は君だけの物だ、名無路千尋っ」
紅潮した真人に強く抱きしめられる。
涙は流さない、絶対に。
こんな人がいても、世界は屑じゃないって誰かに証明してほしかった。
ただ、横を通り過ぎた光景だったとわかってはいるのです。それでも、私にとって貴方たちのようなあり方に価値があるのだと、示したかった。
私は、私が愛した誰かを守るために自分を贄として選んだのです。
誰かにとってはくだらない理由だったとしても。
陳腐だと、つまらないと、嘲笑されたとしても。
『大丈夫? お嬢さん』
黒いスーツのおじさんがしゃがんでこっちを見てくれた。
おじさんは不器用に笑った。最初は怖くて、でも私を気遣って安心させてくれようとしている優しい顔だって気づけたから。
不器用な優しさでも、嬉しかった。
笑顔をくれたことがこんなにも嬉しかったの。
泣くこともできずにぼーっと死のうと死に場所を探していた私に。
ずっと迷子だった私に、声をかけてくれたのは貴方だったんです。
たったその言葉に、胸が震えたのです。
涙なんて気にならなくなったんです。
だから、貴方を守る理由にそれ以上なんていらない。
ただ、私は自殺する、それだけでいいんです。
「私はただ……貴方の笑顔に、救われたんです」
「? 待って千尋、誰を見てるの!? 俺を見て、俺を――――!! ガッ!!」
朦朧する意識の中、隣で頭が潰れた真人がいる……おそらく死んだのだろう。
眩む視界が、彼の泣き顔がぼんやりと映った気がした。
「千尋さん!!」
「――幸ある未来に、進んでくださいね。カイトさん」
か細い声で私は彼に微笑んだ。
私の死は、貴方には意味があるものであってほしいから。
少女と少年は二人で一緒に、絶命した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます