第10話 スペクターからの誘い

『やぁ、日廻解人君。久しぶり、とも言えるかなぁ』

「……今、千尋さんはどこにいる?」


 憤怒を殺せ、殺さなくては無関係の人間が死ぬ。避けねばいけない事態だ。

 解人は一度重い息を吐き、頭の思考を冷却して動画を見る。


『ああ、新宿のとある廃墟だ。君ならば、すぐに特定できるだろう? 警察で周囲を固めるなよ。固めた瞬間、名無路千尋は殺す』

「……何をすればいい?」

『お前はただ、新宿廃墟ビル7階に来い……いいかい? 一人で、だ。余計な補助を周りに付けたら、彼女の指の一本一本を削いでやる。その覚悟がないのなら、大人しく汝の指示に従うことだ――――健闘を祈るよ』


 動画はそこで途切れた。

 俺は携帯を見つめながら、隣でものすごい形相の暮部警部に向けてはっきりと宣言した。


「……と、いうわけなので警察は廃墟ビル周辺には来させないでください」

「ふざけているのか!? 相手は連続猟奇殺人鬼だぞ!?」

「そうです、ですが探偵である俺じゃなくても貴方たちならよくわかることだ。相手を激昂させるような悪手は人質の命は風に飛ぶ砂と一緒です」

「……だが、」


 警察官になった暮部警部にならば十分理解できるはずだ。

 小説や漫画の世界でなかろうとも、相手を激昂させて碌な最期を辿る被害者はいない。要は、そういう意味だ。


「なら、車は暮部警部にお願いします。あくまで個人的に。それ以上はおそらく彼はどんな要求も突っぱねるに決まっています。俺が何年、アイツを追いかけてきたと思っているんですか」

「……わかった、日廻を信用する。あくまで、信用だからな」

「今はそれで構いません……では、行きましょう」


 警察官としての車じゃなく、学生時代の先輩である彼女の個人の車でスペクターと千尋さんのいる廃墟へと行くこととなった。

 暮部警部がよく好む黒の軽自動車に乗って、携帯でメールを送り付けてきた住所の場所を特定した場所へと車で走る。もちろん、俺は助手席だ。


「……本当にいいのか」

「何がです?」

「個人的に、という理由で警察の私が一緒に行くのが、だ」


 ……彼女は、あえて聞いてくれているな。


「予防線ですよ、俺は独学の体術しか勉強していません。ちゃんと指導されている学生時代の先輩なら、何も問題はないでしょう」

「……そういうことにしておいてやる」

「ええ、お願いします」

「なら、確認をしておきたい。あのスペクターは本物なのかどうか、お前の推理を聞きたい」

「……必要ですか」

「スペクターは特定の人間を殺す宣言をしたことは今まで一度もない。お前の時もそうだろう」

「そう、ですね」


 解人は自分の口に手を当てた。

 確かに、俺の妻と娘を殺したスペクターは動画サイトに投稿されたあの日、当日に映像を保管しているならなぜ捕まらなかったのか。

 その点については、いまだに分かりかねている。

 スペル教が協力者だったという点はあの模倣犯で証明されている。

 妻と娘を殺した時もスペル教の協力を得た可能性はなくないが、現実的ではない。当時マンションにいた人間の全員がスペル教の人間だとは到底思えない。


「……人海戦術が巧みなのは間違いないでしょう。でなくてはスペル教の人間から熱狂的な支持を受けるはずがありません。少なくとも、彼らを利用しての殺人も行っているはず」

「だな、模倣犯に何人もスペル教と関係のある人間は何人もいる」

「……聞いてませんよ」

「個人的な先輩の独り言だ、流せ」


 彼女はこちらを見る様子もない。まあ、当然ではあるが。

 ……この情報を提示するのは友人としてここだけの話、ということか。警察官にも秘匿義務だのなんだのがあるだろうに。本当に、警察官が似合わない人だ。


「……スペクターが、名無路千尋という線は?」

「わかっていていってるんですかそれは」

「当然だ、お前はどう睨む?」

「……可能性がない、わけではありません」


 最初の時は、彼女がスペクターの線を考えてはいた。

 スペクターが特定の人物を指定して殺人を行う、なんてことは名無路千尋の存在には違和感を抱いていたのも事実。単純に近場じゃないから聞こえなかったことも想定できるとはいえ、人の悲鳴を違和感を覚えない人間はそう多くもないはず。

 ならばなぜあの日、あのマンションで妻と娘の証言者がマンション内の人間で、知らぬ存ぜぬな人ばかりだったのか……今でさえ納得できないでいる。


「他の誰かが変装している可能性は? 実年齢を偽っている可能性は?」

「警察でも、許可が下りなければ個人情報の閲覧は犯罪でしょう……まさか、調べた上で?」

「調査の過程では、年齢に関しての虚偽はない。彼女は高校二年生の頃から登校拒否をしてる……統合失調症を患った障碍者で、他の生徒たちからいじめを受けていたらしい」

「……いじめ、ね」

「ああ」


 ……依頼を受けた探偵が下手に依頼者の個人情報は閲覧できないから、暮部警部の意見は正しいのだろう。

 だが本当にあり得るのか? 名無路千尋が、スペクターだと。

 決定的な容姿をしているのにもかかわらず、人々の中に溶け込む人殺し。

 姿を晒すことはしなかったジャック・ザ・リッパーとは対照的に、目に見える猟奇殺人鬼の正体が、俺が想像も理解もしたくないような人物だったのならば。

 ああ、悪夢だ。スペクターを追うと決めたあの日から覚悟はしていたはずなのに。


「……本当に、亡霊だな」

「アイツは人間です、間違いなく……冷酷な殺人鬼だ。千尋さんは、人殺しじゃない」


 ……信じたい。

 まるで自分の心を殺して生きているような目をする彼女が殺人鬼ではないと。

 そう、信じていたい。

 暮部は胸を抑える解人を横目で流しつつ、街路樹に挟まれた道路を車で走った。

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