第7話 少しの間の安らぎ

 あの出来事があって以降スペクターのニュースで話題が持ち切りだ。

 夜遅くまで彼女の保護のため起きて寝不足気味だが千尋さんを守っていれば、自然とスペクターが目の前に現れる可能性がある。


「……もう少しの、辛抱しんぼうだ」


 胃薬いぐすり服用ふくようしながら、解人は重いまぶたを無理やり開ける。彼女には俺がよく寝泊まりしていた上の一室にてくつろいでもらっている。

 自分は探偵事務所のソファで寝泊まりしているので何も問題はない。

 ……流石に学生の女の子と一緒の部屋で寝るような紳士の風上かざかみにもおけないような行為をするつもりはない。自分の貞節は亡くなった妻に捧げたのだから。

 かちゃり、扉の開閉音かいへいおんが聞こえる。


「……ふぁあ、カイトさん。おはようございます」

「ええ、おはようございます。朝食はできていますよ。上で食べてください」

「はぁいっ、ふあぁ」


 眠たげに目を擦る彼女の姿を見てか、はたまた死んだ娘と重ねてか、気がつけば自然と微笑ましく思った。

 大きな欠伸をする彼女に、娘が生きていたら、だなんて淡い夢なぞ冷酷な現実には儚い幻だ……スペクターは、絶対に俺が捕まえる。

 千尋さんを犠牲者にしないためにも、一刻も早く済ませるべきだ。


「カイトさん、疲れてませんか」

「……なんのことです?」

「だって、ちゃんとしたベットで寝てないだろうし」

「寝れるタイプのソファなので問題ありませんよ」

「そうですか? ……最近のスペクターの動き、活発みたいですね」

「ええ……おそらく貴女を探しているのでしょう」


 スペクターの少女趣味にいつまでも付き合ってなんていられない。

 これ以上若い少女たちの未来ある芽を摘み取らせてたまるものか。

 新聞を掴む手に力が入る。


「……カイトさん、お願いをしてもいいですか?」

「はい? ああ、しばらくは学校に通わずに家にいてくださいよ。それだけでも大分ちが――」

「その……不安なので、一緒に寝てくれませんか?」

「……は?」


 解人は思考が一瞬止まり、表情が強張る。

 ……何を言っているんだこの子は。

 潤んだ目で上目遣いで、彼女は俺を見つめてくる。

 そういう意味じゃないよな、いや、彼女にそんな変態性を見出した覚えもない、あったら逆に気持ち悪いわ。

 恐る恐る俺は冷めた目つきと共に返事を返す。


「……ふざけてます?」

「い、意外と真面目だったりします。私の食事はちゃんとしたのですけど、カイトさん自身のとか、どうしてますか?」

「カップラーメンがあれば人間長生きもできますよ。これ、常識なので」

「そんな常識聞いたことがありませんよっ、って、そういう冗談はよくて!! ほら、行きましょ!」

「はい? え、ちょ――」


 以外に寝起きの千尋さんが強引に俺を連れてかれてしまう。

俺の仮の部屋に当たる寝室にて強引につれて来られたので抗議する。


「……何をするんですかっ、まだ若い子が」

「ちゃんと体を休めた方がいいですよ! こう見えても歌は得意なんです!」

「いや、いりませんしそれじゃあ私の仕事の意味がな、」


 彼女は強引に私をベットに押し倒した。

 今時の若い子は、仕事関係の相手にこんな真似をするような子がいるのか?

 俺じゃない若い子なら絶対勘違いしかねん。


「じゃあ、追加依頼でお願いです! しばらくの間、私と一緒に寝てください!」

「……なぜです」


 涙目で吠えながら言う彼女に疑念しかない。

 

「知らないんですか? 男女でも性的じゃなく一緒に寝ることあるんですよ?」

「……貴女ねえ」


 目をつむって、俺は彼女に呆れる。

 普通の学生の少女が、異性の、しかも年上の男性に一緒に寝てくれだなんて、理性的な人間じゃなければ食われる案件だ。

 彼女はその言葉の意味を、正しく理解しているのだろうか。


「……だ、だって、カイトさん目にクマができてるし、な、なんだか申し訳なくて」

「だとしてもです、普通家族でもない間柄でそんなことを頼む人はいませんよ」

「……? だって、カイトさんはお金をもらっている立場でしょう? たったそれだけのことなのに、そこまで尽くしてくれるんですか? 普通の人は、腹いせで犯したりするものなんじゃないんですか?」

「……そんな異常なことしません。俺は生涯、妻以外の人間を抱く気はないので」

「……異常、なんですか?」


 彼女の不思議そうな声に違和感を覚えた。

 普通の依頼人である彼女に対し、真っ当な意見を言っているはずだ。

 だというのに、彼女は今の自分の年齢よりも小さな子供のように首を傾げた。


「異常です、金をもらっている立場だからと言って依頼人である貴女を穢す理由にはなりません」

「……汚い生ゴミに、そんな憐憫れんびんを与えるような人なんですね解人さんは。ゴミは、捨てられるだけしか意味も価値すらもないっていうのに、優しくしたって意味がないんですよ」


 言い切る俺は、彼女の表情に違和感を抱いた。

 それはまるで、普通の少女の、ただの普通の環境にいた子供のする表情じゃない。

 まるで壊れかけたロボットのような。

 まるで虐待を受けてる子供のような。

 まるで人の心が失せた化物のような。

 彼女の瞳が、深淵の闇よりも深い絶望に満ちたおぞましさが滲んでいた。


「……生ゴミ? 千尋さんはゴミじゃないでしょう」

「どうしてですか? 理解できぬ者には死を、それが世の中の理なんです」

「何の言葉ですかそれは、哲学書でも聞いたことがありませんよ」

「世の中は、そうやって回っているんです。勝者と敗者の歴史を正しく表した言葉でしょう? 私が誰かに殺される時も生ゴミとして出されるんですよ?」

「普通、人殺しする人間は生ゴミに出すより、地面に埋めたりするものでしょうが」

「……憎かったら、ちゃんと処理する時に使う道具の一つだと思いますよ?」


 ……なんて恐ろしいこと口にするんだ、この子は。

 彼女の声に圧がある。普段の、普通の少女らしい雰囲気ではない。

 彼女の人生観を深く問い詰める理由はない。

 ただ俺と彼女を繋ぐのは、スペクターという繋がりだけ。

 彼女の人間関係や家庭環境は知らない、が、俺が思うことを口にするべきだ。


「……生ゴミも、農家や一部の生産者にとっては肥料に使われることだってあります。一概にただ捨てられるだけのゴミ、というわけではありません」

「……そういう意味じゃないです、私が言いたいのは」

「貴女が自分のことをどういう認識しているか知りませんが、自分をゴミだなんて言えるってことは、本当に世の中にいる屑な人間よりも成長ができるということです」

「……なぜ、ですか?」


 彼女の目は一瞬、淀みがさらに深まったのを感じる。

 同時に俺の言葉の意味に咀嚼しきれていないという表情だ。

 自分もスペクターに妻と娘を殺されて、暮部警部がたまに話しかけてくれていなかったらあっという間に犯罪者になっていたかもしれない。

 尊敬してはいるが、自分の言動や行動で改め、何かの一転の目標に努力する人間は評価されるべきことだ。

 おそらく、彼女の言動からも読み取れるように苦労をしてきたのは間違いない。

 だからこそ、妻や娘を失ってしまった自分にしか言えない言葉もある。


「そうです、当たり前じゃないですか。自分のことを正しく認識できているのなら、将来的にきっと、貴女すらも嫌うような人間の最低な生き方を選ばなくて済める選択肢が増えるということです。そういう意味で、成長できる見込みがある発言をできていると私は思いますよ」

「……違いますよ。普通、変な奴ってことになるのが常識じゃないですか。異常者は、私みたいな異常者は存在してはいけないんです。私以外の全ての人間だけが正ししく、私だけが異常でなくてはいけないんです」

「それは、あなたの周りにいた人間がそちらの発言をする人間が多かっただけでしょう。というか自分のことを生ゴミとか言っちゃだめですよ。貴女はまだ、将来何かになれることができる人なんですから」

「……よく、わからないです」


 混乱している、といった顔を浮かべる千尋に小さく息を吐く。

 彼女はまだまだ経験不足なだけで、彼女が望むならいくらでも努力できるだろう。今回の件に関しては元々俺があまり眠れていない点を心配してなのだから、彼女の善性が人柄が垣間見える。同時に、彼女の心に抱えた深淵にも近い闇が。


「それで、私的には昼寝をする時間はあると思うのですが、どうです? 千尋さんは嫌ですか?」

「……いいんですか?」

「俺は20分の仮眠をとるだけですので」

「……っ、はいっ」


 千尋の綻んだ笑顔を見て、解人は起き上がる。流石に千尋さんと一緒の布団で寝るのを拒否し、予備においてあった布団でその日は千尋さんと一緒に昼寝をした。

 ……何気ない一日だった。何気ない、一日だったんだ。尊いなんて言えるような日常というよりも、普通の、安穏の、どこにでもある日だった。

 そんな日常をいつも脅かすのは、他人による悪意だ。人の心を持たない物は悪意だけだと俺は知っているのに、どうして、世の中というものは無常なのか。

 その問いの答えは、誰も想像できる結末ではなかったのを俺は知ることになる。

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