第1話 負け知らずの勇者と、弟子(3)

 受付係は驚いた顔で言った。

 

「スライムを、それを100匹も……? それはあまりに無茶では……?」


 スライムは決して強い魔物ではない。魔法使いになるための登竜門としてよく討伐される。

 スライムは粘性の肉体を持った魔物であり、その内部にある核を破壊すると活動を停止させる。

 大きさは個体差が大きいものの、その多くは五十センチもなく、穏やかで攻撃性のない、本当になんてことのない魔物だ。


 しかし、剣士にとってはそうはならない。粘性の肉体は斬っても全く効果がない。スライムに対して有効打を与える方法は核を直接攻撃するほかないのだが、粘性の肉体の中にある核はその肉体と同色で非常に視認しにくく、その上よく滑るのだ。

 スライムの核を壊す難しさは、空を落ちる雨粒に対して剣を振るようなものだとよく喩えられる。


 しかし。

 

「……俺は出来るぞ。」


 そう、勇者である俺なら、この程度の事は朝飯前だ。


「勇者は、このくらい出来なきゃなれないだろ。」

「……確かにそうですね。」


 受付係は渋々納得したようだ。


「私、スライムと戦った事がないのですが、そんなに強いのですか?」


 ルミネはおそるおそる訊ねる。

 

「ああ、剣を使う者にとってはな。しかし剣士なら一度は挑み、惨敗するもんだが。」

「そうなのですか?」

「そうだ。街の城壁の西門から程近くにある沼にはスライムが群生してるんだが、被害がないから放置されてる。剣士志望のやつはだいたいそこで腕試しをするんだよ。門番の目もあるし、人通りも多いから安全なんだ。」


 ルミネは興味津々と言った顔で俺の話を聞く。

 

「えっと、沼に棲むスライムはどんな生態なのですか?」

「それは──」


 俺は、彼女の疑問に全て答える。

 落とす為の試験だとしても、この純粋な瞳を少女を前にして意地の悪い事は出来なかった。


「──イスト師匠も、剣を握り始めた頃に挑んだのですか?」

「ああ。道場の同期とな。スライムを倒したのは俺だけだった。あと、俺はお前の師匠じゃない。」

「その時は、どうやって倒したのですか?」

「何回も何回も、核が斬れるまで斬り続けた。核は全然見えないから、何百回を剣を振った。」


 その時は、一匹倒すのがやっとだったっけか。今ではもう慣れて核の位置はなんとなく見えるし、一太刀で倒せるだろう。


「つまり、私は師匠が何百回も剣を振って倒した魔物を百匹倒さなきゃいけないんですか?」

「そうだ。あと、師匠じゃないっつったろ!」


 ……ルミネは純粋で底抜けに明るいが、流石にこの試験には文句の一つも言いたくなるだろう。仕方ない。

 しかし、ルミネは俺の目を見て言った。

 

「これも、勇者になる為に必要なんですよね。なら、私はやります!」


 ……彼女は、心だけなら勇者になる器なのかも知れない。


「じゃあ、今すぐいかないとな。あと、終わったら教会に報告するんだぞ。」

「はっ、はい! 行ってきます!」


 そう言って、ルミネは走っていった。

 

 見ていた教会の受付係は少し同情した表情をしていた。

 

「……ルミネさんは、合格できるんですか?」

「できるわけないだろ、スライム一匹倒せるかも怪しいのによ。」

「まあ、そうですよね……。」

「……まさか、本当にあいつを俺の弟子にしたいのか?」

「いえ、そういう訳ではありません。実力のない者が勇者に憧れることがどれだけ危険かはよく知っています。そう、理解はしているのですが……、ルミネさんの気持ちを考えると、どうしても……」


 ルミネは、あまりにも純粋すぎる。

 そんな彼女に、意図的に屈辱を味わせるのは気が引ける行為だろう。

 しかし、必要なんだ。

 勇者に向いた性格だからこそ、実力に見合わない責任を負ってしまう。

 そういう奴ほど、すぐに死んでしまう。勇者じゃないから、当然復活なんてしない。


「変に難しい魔物に挑んで負けるくらいなら、安全なスライムの方がいいだろ。」

「……それもそうですね。」


 受付係も、そうするしかない事はわかっている。

 

「そういえば、ルミネさんに指導とかはされないんですか?」

「めんどくさいからしない。まだ師匠じゃないし。」

「はあ、そうですか。」


 受付係はいつもの呆れた顔をした。


「んじゃ、俺は帰るから。」

「待たれないんですね。」

「結果はわかりきってるからな。」

「そうですか。それでは。」


 俺は去り際、受付係に聞いた。


「あっそうだ。あいつがスライムを討伐してきたら、報酬は俺にくれたりしない?」

 

 受付係は言った。

 

「出来ません。」


 ──


 ルミネは、西門へと赴いた。日はもう真上を通り過ぎ、今にも傾きそうだ。


「急がないと……!」


 期限は日没。早くスライムを倒さないと、勇者の弟子になれない。

 ルミネは西門を走って通り過ぎる。

 すると、門番に呼び止められた。


「おいおい、嬢ちゃん、ちょっと待ってくれ!」

「はい! なんでしょうか?」

「そんなに急いでどうしたんだい? 一応、どこに行くか聞かせてくれないか?」

「えっと、そこにある沼で、スライムを百匹倒しに行きます!」

「ああ、嬢ちゃんは剣士志望か! にしても百匹とは大きく出たなあ、なんか理由があるのかい?」

「勇者であるイスト師匠の弟子になる試験です!」


 目を輝かせるルミネとは裏腹に、門番は少し顔を曇らせた。


「おいおい、イストって、剣の勇者のか?」

「はい、そうですが……。」

「いいか、嬢ちゃん。あいつの言うことなんて、間に受けちゃ駄目だ。」

「どうしてですか?」

「あいつは、勇者のくせに何にもしねえ。勇者なら、誰よりも体張って戦うべきなんだよ。けど、あいつのやってることと言えば、教会からの支援金使って呑んだり遊んだりしてるだけさ。言っちゃ悪いが、あいつはクズだ。」


 勇者は教会から手厚い支援を受ける。それは勇者が神々から認められた存在だからだ。

 しかし、教会以外にとってはそうではない。一般人にとってそれは、魔王軍と戦うための必要経費と思っている。


「嬢ちゃん、悪い事は言わねえから、あいつの弟子になるのはやめておけ。」

「……それでも、私は勇者を信じます!」

「……そうかい。まあ、強いのは事実だしな。」


 門番は渋々折れた。


「嬢ちゃんがそう言うなら、俺は何も言わねえよ。」

「それでは、私は急いでいますので行ってきます!」

「おうよ、気を付けてな〜!」


 ルミネはまた走り出す。

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