第8話 護衛として

 エルシアンの町にある、レンガ作りの立派な五階建ての建物の前に、ロッソが立っている。彼の足元には革製の荷物がたくさん入った、膨らんだカバンが置いてある。

 建物に向かう人が出てくる人がひっきりなしで行き交い。ロッソは邪魔にならないように通りに端により入り口へと視線を向けていた。


「おにいちゃん。お待たせ」


 建物から出てきたシャロが、ロッソに向かって手を振りながら早足で近づいて来る。うきうきして足取りが軽いシャロを見たロッソは小さくうなずいた。二人ははトロッカ村からエルシアンの町へと移動していた。レンガの建物は商業ギルドのエルシアン支部だ。


「大丈夫だったか? ちゃんと合格できたか?」

「当たり前でしょ。ほら! いつまでも子供扱いしないで」


 ニヤニヤと笑ってたずねるロッソに、不服そうなでシャロは彼に一枚の紙を見せた。数行の文の最後にシャロの名前が書かれた紙は演芸商売免状だ。

 演芸商売免状は演奏家や踊り子が、商業ギルドに所属しているという証だ。これがあれば町の広場などで、芸を披露し商売を行うことができる。また、商業ギルドから踊り子を探してる劇場や酒場とかも紹介も受けられるのだ。取得の難易度は低く、演奏家や踊り子など演芸家としての、簡単な技術試験を受けて合格すれば免状はすぐにもらえる。その代わり芸一つで食べていくのは難しく、免状を持っているだけの者も多い。

 シャロは演芸商売免状の試験を受けに、商業ギルドにやって来て無事に合格したのだ。シャロはこれからプロの踊り子として活動していくことになったのだ。ロッソは嬉しそうにするシャロを見つめていた、彼女が踊り子として活躍するには少し時間がかかるだろう。彼はしばらくは自分が魔王討伐で稼いだ金で生活することになると考えていた。


「なっなんだよ……」


 シャロが目を細めて疑った様子でロッソの顔を覗き込んできた。


「おにいちゃんこそ。ちゃんと買い物できたの?」

「大丈夫だよ。旅に必要な調理器具とか薬とかちゃんと買ったよ」


 ロッソは足元に置かれたふくれた鞄を指差して答える。シャロが商業ギルドで試験をしてる間に彼は村では賄えなかった旅に必要な道具を買っていたのだ。膨らんだ鞄を見てシャロは口をとがらせていた。


「なっなんだ? 俺はちゃんと頼まれたものを買ったぞ……」


 必死に鞄を指して買い物をきちんとこなしたと主張するロッソだった。確かにロッソは頼まれた品はすべて購入した、しかし、彼は他にも新型のランタンとか、店員におすすめとか言われたナイフとか頼まれていない余計な物を購入していた。


「ふーん…… いいわ。後でちゃんと確認するからね。おにいちゃんはすぐ余計な物とか買うから」

「おっおい! そんなことしないよ」

「ダメだよ。だってこの旅のリーダーはあたしなんだから! いやならおにいちゃんは村に帰れば?」

「うっ…… クソ!」


 胸を張ってシャロは勝ち誇った顔で、ロッソを見て宿に向かって歩き始めた。

 彼らが泊まるのはビエスの宿だ。二人は町についてすぐにビエスの宿へ部屋を確保しにむかった。昨日、送り出した客が戻って来て、ロッソは宿の女将に不思議な顔をされたが事情を話したら応援してくれた。さらに驚くことにシャロと女将は顔見知りだった。シャロがこの町に居た師匠の元に通った時に、稽古が遅くまで続くとたまに利用していたという。

 ビエスの宿に向かう道でシャロが嬉しそうにロッソに話しかけて来る。


「そうそう。聞いて聞いて! あたしね商業ギルドからさっそく仕事を紹介してもらったわ」

「へぇ、よかったな」

「ここから北のカルア村でお祭りがあって祭りの時に踊る踊り子を募集してるんだって! 最初の依頼としてはちょうどいいってギルドの人に勧められたわ」

「そうか。わかった。じゃあ早速カルア村へ向かおう。おばちゃんには申し訳ないから宿代だけは払って……」

「えっ? 祭りは二日後だから急がなくていいよ」

「そうか…… じゃあ、今日はゆっくりしよう」


 ロッソの言葉にシャロは笑顔で頷いた。カルア村はエルシアンの町の出て、北の森の中にある村だ。エルシアンの町からカルア村までは歩いて二時間くらいでとても近い。


「でも、すごいな。もうシャロは仕事を照会してもらえるなんて」

「あたしの師匠が旅立つ前にね。話しを通してくれたみたいなの。あたしが手続きに来たら手ごろな仕事を回してくれるようって」

「そっかぁ」


 相槌をうつロッソにシャロは得意げに笑っていた。シャロの師匠は一年半前にこの町にやってきた旅の踊り子だ。町での二ヵ月の公演を見たシャロが感銘を受け弟子入りした。公園が終わった後も、たびたび一人でエルシアンに戻って来てはシャロに稽古をつけてくれてたという。シャロの師匠の一座はロッソが帰って来る少し前に別の大陸に向かって旅立っていた。


「もし旅の途中にシャロの師匠に会えたら俺からも礼をしないとな」

「えぇ!? いいよ。恥ずかしいし!」


 頬を赤くしてロッソを止めるシャロだった。

 翌朝、ロッソたちはエルシアンの町からカルアの村へと向かう。エルシアンの町の北門から町をでて穏やかな平原の街道を行くとすぐに森がある。この森はカルアンの森と呼ばれ、薬草や木の実が豊富で、カルア村の重要な収入の一つになっている。シャロの仕事はこの森に住むと言われる精霊への感謝の祭りに、踊り子として参加して盛り上げることだ。


「あれは…… シャロ! ちょっと待て」

「なに?」


 シャロと並んで森の道を歩いていたロッソは走って前に出ると、振り返り手を彼女に向けて止める。木々の上を猛スピードで何羽もの鳥が飛んでいた。


「何かから逃げている…… うん!?」

 

 視線を動かすロッソ、周囲を見渡すと微かに地面が揺れ、周囲の木々がざわめきを彼は感じる。さらに近くで動物の鳴き声のような物も聞こえてきた。何か大きなもの近づいて来ているのだろう。

 ロッソは近づいて詳細がわからないが、キースとの旅で何度も経験したこの圧迫されるような気配は魔物であることはわかった。かなり近くまで来てるようで街道を引き返して逃げる時間はない。シャロの踊り子としての初仕事の前に、ロッソの護衛ボディガードとしての初仕事のようだ。


「シャロ…… こっち!」

「えっ!?」


 ロッソはシャロの手を取った。急に手を握られたシャロは驚きながら彼に連れて行かれる。


「どうしたの?」

「魔物がくる。隠れるぞ」

「えっ!? わかった!」


 街道を十メートルほど戻った所の脇にある、大きな木の幹にロッソはシャロと二人で隠れた。

 隠れてからすぐに木々の揺れが激しくなり魔物がゆっくりとその姿を現した。街道に現れたのは五メートルの巨体に、尖った耳に下あごから牙が生えた目がギョロギョロとした醜い顔のトロールだ。木をよけながら歩いてトロールは街道にでてきた。

 ロッソは見つからないように、木の横から顔を出し様子をうかがっている。シャロも同じく木の横から顔をだして彼と同じようにトロールを見つめている。ゆっくりとトロールは街道を横断していく。大きな足音とフシューという激しい息遣いが二人の耳まで届いていた。


「大きいねぇ。あれは何? おにいちゃん」

「うん? あいつはトロールだな。しかも魔王軍にいたやつだ」

「へぇ」


 小声でたずねるシャロにロッソも小声で答える。ロッソはトロールを見るとすぐに元魔王軍だと確信する。なぜならトロールは下半身に黒いズボンを履き、灰色の胸当てと持ち手に綺麗に滑り止めが巻かれた棍棒を持っていた。装備はトロールの知能では、作れないものばかりだったのだった。

 さらにトロールのズボンは破れ、胸当てにも無数の傷がついてボロボロだった。おそらく魔王軍が解散し、トロールは捨てられずっと森を徘徊していたようだ。野良の魔物なら人間を恐れることもあるが、魔王軍に飼われていた魔物は人間を恐れないで向かってくるため少し厄介である。


「チッ!」


 トロールがロッソとシャロのほうに鼻をひくひくさせながら向いた。二人の存在に臭いで気づいたようだ。


「においなんてそれに風はなくて穏やかなのに…… まずい!」

 

 二人がいる木を見て動きを止めたトロール。とっさにロッソはシャロを抱える木の陰に身を隠す。木を背にしてロッソはシャロを自分の前に置き、彼は背負った守護者大剣ガーディアンクレイモアに手をかけ戦闘の準備を始める。


「おにいちゃん? あいつと戦うの?」

「えっ!?」


 顔だけロッソに向け、シャロが小声で尋ねてきた。

 大きな足音がしてトロールの気配が段々と強くなる。シャロの顔はどんどんと怯えた表情へと変わっていく。ロッソは戦うか迷っていた。トロール一体くらいは彼の実力なら倒せないこともないが……


「いや……」


 不安そうに見つめるシャロに向かってロッソは首を横に振った。


「俺はシャロの護衛ボディガードだ。襲われない限りは戦わないよ」

「そっか……」


 ロッソの今の仕事は魔王討伐軍でなくシャロの護衛だ。カルア村に彼女を届けることが最優先だ。ロッソとトロールの戦いに巻き込んで、怪我をしたらシャロは踊れなくなるので、戦闘は極力避けるべきだった。


「シーッ! 静かに」


 右手を守護者大剣ガーディアンクレイモアから離し、シャロの口に手を当てる。周囲の地面が暗くなった二人の背後にトロールが止まって影になったのだ。


「フシューーーーーーーーーーーーー!!!」


 激しく鼻で息をするトロール、勢いよく吸われた息は口から吐き出される。口から吐き出された臭い息は臭くロッソとシャロの周りに立ち込めていく。影の動きをみるとロッソとのシャロがいる木のすぐ近くで立ち止まってかがんでクンクンと鼻でにおいを嗅いでいるようだ。ロッソの手がわずかに振動する、シャロの体が小刻みに震えているのだ。左手でしっかりとシャロ抱き寄せたロッソ、いつでも彼女を抱えて逃げられる用意をする。


「うん!?  なるほど…… これのせいか……」


 ロッソの鼻にシャロの綺麗な髪が発する、甘くさわやかなリンゴのような香りが届く。これはシャロが使ってるシャンプーの香りだ。

 トロールは雑食で肉以外にも花も果物なども食べる。シャロのシャンプーからリンゴの香りが、トロールを引き寄せていたのだ。


「フシューーーーーーーーーーーー!!! フシューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 トロールの鼻息がどんどん荒くなってくのが分か。俺はシャロの耳元に口を近づけて小さい声で話しかける。


「シャロ…… シャンプーは持ってる?」

「エッ!? あたしの鞄の中にあるよ。赤い液体の瓶だよ」

「わかった。これもらうね」

「えっ!?」


 シャロが肩からかけててる鞄に、手を伸ばしてロッソは中からシャンプーが入った瓶を取り出した。不安そうに見つめるシャロを抱きかかえて、首を横に向けて背中越しにトロルの様子を確認しながらロッソはゆっくりと左へ移動する。木の幹に沿って移動し背中の半分が出るとロッソはシャロから手をはなし一人で振り返った。


「そらよ」


 ロッソは持っていた瓶を、街道の反対側に向けて投げた。投げられた瓶は回転しながら、街道の反対側にあった木に当たり地面へと落下した。ガラスの割れる音が森に響くと、トロールの背中がビクッとなり臭いを嗅ぐためかがめていた体を起こす。


「ブヒーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」


 トロールが声をあげ、音がした方向へ体を向ける。トロールはロッソが瓶を投げた場所へと向かって歩いて行く。トロールはしゃがんみ、シャンプーがぶつかった木を何度か匂いを嗅いでいた。

 しばらく木の匂いを嗅いだ後に、トロールは地面に落ちたシャンプーに気づいたのか、両手をついて地面の匂いをクンクンと嗅ぎ始めた。


「匂いがする地面を食うのか……」


 バリバリという音が森に響く、トロールは大きな口を開けて地面にかぶりつき食べている。腹ばいになって地面を食うトロールの背中は小刻みに揺れている。

 カルアンの森は大型の動物や魔物は少なく、木の実などは人間が採取してしまうため、トロールの腹をみたすほどの食糧はない。

 木へシャロを隠したロッソは守護者大剣ガーディアンクレイモアに手をかけ、トロールが地面が食うのを監視していた。

 五分くらい経ったであろうか匂いがする土を全て食べた、トロールは起き上がり満足したのかそのまま森の奥へとむかって歩きだした。ロッソは守護者大剣ガーディアンクレイモアに手をかけたまま、トロールが過ぎ去るの背中をジッと見つめていた。器用に木を避けなながらトロールはフラフラと森の奥へと消えていった。


「ふぅ…… これで大丈夫だな」

「うん! ありがとうね。おにいちゃん」

「いいんだよ。俺はお前の護衛ボディガードなんだから」


 シャロは嬉しそうにロッソに笑顔でお礼を言った。だが、その顔は少し寂しそうに見えた。少し間をあけてシャロがまた口を開く。


「でも…… あのシャンプーは五十リロもする高いやつだからね。後で弁償してもらうからね! しかもどうするのよ? 今日、髪洗えないじゃない!」

「ごっ五十リロって…… 安い宿なら三泊できる金額じゃないか…… あのシャンプーそんなにするの!? もう贅沢だな」


 ロッソの言葉に彼をギロリと睨むシャロだった。ロッソは首を横に振った。


「じゃあ、俺の石鹸でも代わりに使え……」


 軍からへと支給された石鹸が、また残っておりロッソはそれで代用しようと提案した。シャロの目がさらにきつくなり眉間にしわを寄せる。


「なんでおにいちゃんの石鹸を使わないといけないのよ!? しかもそれ軍の支給品でしょ? 石鹸は体を洗うので髪は洗わないのよ」

「いや石鹸でだって髪は洗えるぞ…… だいたいシャンプーなんかなにを使っても同じじゃん……」

「はぁぁぁぁぁ!?」


 腰に手を当てて心底呆れた顔をしたシャロがロッソに顔を近づける。


「あのねぇおにいちゃん! あたしは踊り子よ!! 綺麗な髪を見せるためにシャンプーに気をつかうのは当たり前でしょ! もう! ほら! エルシアンの町に戻るわよ!」

「えっ!? だってもうすぐカルア村なのに…… そこまでしなくても……」

「ダメ! ほら早く戻るわよ」

「もうわかったよ。はぁ……」


 シャロはロッソの手を引いて街道をエルシアンの町へと戻り始めた。二人は一旦エルシアンの町まで戻りシャロのシャンプーを買ってまたカルア村へと向かう。


「予備で二本買ったからもうシャンプー投げてもいいよ」

「いやだよ。高いんだからもう投げませんよーだ!」

「ふふふ」


 ロッソに弁償させたシャンプーの瓶を、両手に持ってシャロは満足気に笑うのだった。

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