第34話 穏やかな、かどわかし 1


 ノルハーンたちが去って行った後、ゆっくりと食事を終わらせ、会計をすまして外へ出る。

 せっかく町中まで来たことだから、ついでに買い物をしようと明るい道を歩く。街路樹のある通りは、夏休み期間に入ったこともあってか学生らしき姿もよく見かけ、賑わっていた。

 ファミレスのある通りは、民家が多いがそこそこに商店も並んでいる。文房具屋だったり花屋だったり乾物屋だったりと昔からある店が多い。大学のある学園方面へ向かえば、新しい飲食店が建ち並ぶ。

 空の様子を見てじりじりと暑い日差しが降りてきているのを確認して、そこまで行くことは諦めることにした。


(来月はおじいちゃんの誕生日とお盆があるし、花でも見ようかな)


 花屋の近くになって足を緩めて止める。外に陳列している明るい花々を眺めていると、声をかけられた。


「あのう、すみません」


 振り返れば、強い日差しの中でもきっちりとスーツを着こなした男女が立っている。パッと見たところ、真面目そうな企業勤めのように思える。

 ピシッとした黒のスーツを着た太い赤色のフレーム眼鏡の男性。同じく黒のパンツスーツを着た泣きぼくろが特徴的な女性。

 二人は皓子をじっと見て、笑みを浮かべた。そして、わざとらしいくらい丁寧な態度で話しかけてきた。


「お初にお目に掛かります。我々は、上の意向で出向いたところでございます」

「織本大門殿よりご連絡をいただきまして、お迎えに参上いたしました。ああ、ご安心くださいませ。決して蛮行ではございません。私ども、こちらの法に触れることはいたしませんとも」


 訳がわからない。困惑のせいで、すぐさま離れようと足が動かなかった。

 どう言うことだと相手を見るばかりで、皓子は声も出せずに口から息しか漏れてこない。

 いったい何がと戸惑う皓子の様子に、一際優しく女性が言った。


「初対面の輩に言われて警戒するなは難しいでしょう。織本吉祥殿とは、私は旧知の仲でして。ええ、上司であったあの方を、よおく存じておりますとも」


(ばばちゃんの?)


「さ、ここは暑うございます。冷房の効いた場所でゆっくり事情をお話いたしましょうね。宇江下うえした殿」

「ええ、矢間やまさん。車はあちらに」


 さっと寄ってきた宇江下と言われていた男は、ボールペンらしきもののペン先を皓子へ向けてきた。一度だけ光ったそのペン先が視界に入ったと思えば、ふらりと体が動いた。


「ああ、そうでしょう。お父様が心配なのでございますね。ご安心くださいな、連絡はしかとお取りします。さあさあお嬢様、こちらへ」


 そこへ芝居がかった口調で、皓子が思ってもいないことを言う。

 矢間という女性が皓子の脇の下から肩を回して支える。ゆっくりと車のほうへと足が進んでいく。


(これ、まずいのでは)


 声も出ない。体も思うように動いてくれない。さらには二人に囲まれるように居る。

 周囲を見てもあたりは皓子たちを気にしている様子の者はいない。

 矢間が「お嬢様」などと連呼して心配そうに付き添っていることと、宇江下はSPのように先導をしていることからだろう。さらには、皓子自身の警戒を抱かれにくい体質もあってのこともあるのかもしれない。


(どうにか連絡を)


 自分の鞄に視線を落とすが、指先にわずかに力が入る程度だ。

 甲斐なく高級車と思わしき中へと通されて、ドアが閉められた。




***




 お茶の間を賑やかす昼のワイドショーを流し見て、急須から注いだお茶を飲んでせんべいをかじる。

 贅沢な午後の時間を過ごしながら、吉祥はふいに見上げた。

 天井、というよりも、万屋荘の屋根より上のあたり。半円状に万屋荘を覆う結界に何かが触れたのだ。

 堅焼きせんべいをかみ砕いて、右手の指先を弾いて音を出す。

 携帯端末が浮かび上がり吉祥の前へと飛び上がると、画面に水茂の名前が現われコール音を鳴らした。


『吉祥! こっこが遠出しておるぞ!』


 通話に出るなり、自身が一番贔屓している孫娘の名前を出したのは予想済みだ。それに皓子が出ていることも承知している。おそらくすぐには帰れないことも。

 皓子は吉祥の庇護下にいるのだ。なんの対策もせず一人でふらふらと出歩かせるわけがない。

 元悪魔という性質上契約や約束はきっちりと守る吉祥にとって、亡くなった夫の遺言は遵守しなければならなかった。


 織本吉祥は、かつて別世界の悪魔であった。

 天上のいけ好かない神々に従ってあれこれ意見を翻す天使どもと比べれば、ずっと上等で素晴らしい種族だ。そう自負している。

 戦で敗れ、命を取られ、気づけばまったく異なる次元の世界に居た。

 腹立たしいことも憤りも覚えたが、吉祥は転んでもただでは起きない信条を持っている。

 ちょうどよくこの世には、あちらと似た地獄という世界があると知って、あちらこちらの地底や古井戸を巡っていたとき、今は亡き夫と出会った。ひどく真面目で、堅物で、だが義理堅く約束は守る男だった。そこが吉祥の気に召したのだ。

 元は人間と異なる精神性の生き物が人間らしくなれたかは、現在の吉祥を見てみれば明らかだろう。

 自分でも丸くなったものだと、吉祥は溜息をつく。

 大門が出て行き、皓子を預かり、夫を見送って。夫が今際の際に言ったことは、大事に契約書にしたためて保管している。


 ――皓子をしかるべき時まで守り、慈しみ、助けになること。


 赤子の皓子を引き取った時、哀れに思ったのだろう。夫は、吉祥に対してそう言い含めて儚くなった。

 順調に育ってきたところで、ささいな嫌がらせをされるとは。それも吉祥の見知った輩が。湯飲みのお茶を喉に流し込んで、浮かんだ端末に向かって声をかける。


「ああ。そっちは大丈夫だ、遣いを出す。水茂、万屋荘の上空にほつれが出始めている。警戒しとくれ」

『ほむ。木っ端どもがつついているようじゃの。修復しようぞ』

「アタシの万屋荘に傷一つつけさせるんじゃないよ」

『善処するのじゃ。万事、わしに任せると良いぞ! ゆえにこっこを早く戻すのじゃぞ!』


 返事はせず、また指先を鳴らす。

 携帯端末が横にくるりと回転して、今度は佐藤原の名前が現われる。数度コール音が鳴ると、抑揚の少ない淡々とした声が応えた。


『こんにちは、織本管理人。ずいぶんと都合の良いときに』

「アンタ、知ってるね?」

『うちのライバル会社でしょう。ちょうど田ノ嶋さんも出ていたところを感知しましたので。ご協力しますよ』

「当たり前だろ。アタシの孫に手出しするのに一役買ったんだ。働いてもらうよ」

『それはそれは。ええ、もちろん。田ノ嶋さんの派遣と飛鳥さんの捜索でよろしいですか? 先ほど不慮の転移を目撃しましたが』

「こんなときにかい。飛鳥は間が悪い……ああ、それもアンタ関係だね? なら、おやり。手が出せるなら好きに出しな。アンタの敵会社にゃ興味ないんでね」

『承りました』


 通話の後ろで物音がしだしたので、また指を鳴らして通話を切って別の所を表示させる。

 続いて世流の名前が現われコール音が鳴れば、ややあってノルハーンが出た。


『こんにちは、吉祥。何かご用かしら』

「アンタのとこの旦那は?」

『ダーリンはお仕事の打ち合わせ中ですわよ』

「終わり次第、水茂の補助をするよう伝えとくれ。ノルハーン、アンタは万屋荘の哨戒を」

『あら、不躾な者が来るのかしら。ええ、大丈夫。お任せくださいな。スーリを見ながらでも十分に見張りをいたしましょう』


 ノルハーンの能力は見張りにうってつけだ。

 無機物に一時的に命を宿して創造主であるノルハーンの指示に従わせることができる。見聞きしたことを即座に伝えることだって可能で、情報活動や索敵に優れている。

 手先を払えば、携帯端末の画面は閉じて座卓へと降りる。

 同時に、チャイムが鳴った。


 どっこいしょと口に出して立ち上がり、玄関へ向かう。

 吉祥がさほど間を置かずドアを開ければ、最近皓子と仲良くしようと画策している小憎らしい小僧こと、アリヤが立っていた。

 非常に気にくわないわけでも別段嫌いでもないが、元天使の息子というだけでなんとはなしに癪なのだ。

 だが、父のマロスに比べれば、ほどよく俗物的で人間らしいところは悪くはない。

 ついでにいうと、吉祥に好みの賄賂を寄越してくる小賢しさは褒めてやってもいいくらいだった。

 何を思って皓子を気に入ったかは知らないが、見る目はある。

 なにせ吉祥が育てた孫娘なのだから、そんじょそこらの小娘より良いという自信があった。なお、祖母のひいき目だと吉祥は微塵も思っていない。

 アリヤの表情は繕っているが、不安と心配、焦りの感情が仕草の端々に表れている。

 吉祥が出てきた瞬間のアリヤの指先はわずかに動いて、前のめりになりそうな体を自制していた。


「何だい」

「あの、管理人さん。皓子さんが連れていかれたと聞いて」

「……ああ、皓子の友人とやらかい」


 情報源は、特殊な育ちだという皓子の幼馴染からだろう。アリヤも諏訪と交流するようになったと、皓子から聞いている。言えば、アリヤはおずおずとうなずいた。

 本当に、吉祥の孫娘は目を離すとあれこれたらし込む。

 水茂は皓子が幼い頃に連れてきた。

 佐藤原は皓子に好奇心を刺激され、あちこちに興味の種を抱いた。

 飛鳥はマロスに連れてこられ、皓子に懐かれ居着いた。

 世流は妻子が皓子を気に入って一家揃って転がり込み、疲弊していた田ノ嶋は皓子を癒やしと言って憚らない。

 そして、御束アリヤは気安さから好意へと落ちた。


 緊張を和らげ、警戒心を抱かせない。

 害意を防ぐ体質。


 実に平和で、堅守に長け、悪魔的な能力である。

 ただし、好き嫌いは別である。

 万屋荘の現在の住民となった彼らは、切っ掛けこそ吉祥の呪いと皓子の力によるものだ。だが、絆して居着かせたのは、皓子自身の人柄と言動のおかげなのだ。

 もっとも、本人がそのことについてきちんと理解しているかが怪しい。

 でなければ、今回のようにおそらく悪意からでない気持ちから、誘拐まがいに連れ去られることはなかっただろう。

 帰ったら尻でも蹴っ飛ばしてやろうかと吉祥は思いながら、やきもきしているアリヤへ向かって口を開いた。


「言っておくが、アンタにできることは……」


 言いかけて、吉祥は黙った。

 アリヤはわかっているが、それでも納得できないのだろう。眉間に皺を寄せて吉祥を睨むように見ていた。

 それに気圧されたわけではない。

 ただ、使い道があると気づいた。悪魔のように残酷ではないが、些細な嫌がらせ返しにはうってつけで、小気味の良い手が。


「御束アリヤ。アンタは、自分に関する運は良い。そうだったね?」


 無言で返したアリヤに、吉祥は唇の端を上げた。


「いい役をやろうじゃないか。お上がり」

「……お邪魔します」


 逡巡したあとで、唇を惹き結んだアリヤが敷居をまたぐ。

 踵を返して居間へと案内しながら、吉祥はにやりと笑った。


「アンタが真にあの子を思っているなら、そう難しいことじゃない。証明もできて、アタシらも安心。さ、作戦を伝えようじゃないか」


 振り返って言えば、アリヤは腑に落ちない表情をしたまま、やがてこくりと頭を縦に振った。



 久方ぶりの大きな魔方陣を空に描く。

 前世なら指先ひとつで出来たことも、この体になり年を重ねて、なかなか一手間かかるようになった。仕方ないとはいえ、やはり思うようにならない苛立ちはあるため、自然と表情は険しくなる。

 右腕を払う。

 人の腕だったものは幾重もの羽と目玉に覆われた触腕に変わる。前世の魔術を行使するには、前世に近い形が都合がよいのだ。

 魔方陣の側で控えさせたアリヤは、やや緊張した様子でそれを見ていた。

 気味が悪いと取り乱さないのは、まあ認めてもいい。

 上から目線で吉祥は評価した。


「あちらへ直通できないよう、小細工しているヤツがいるんでね。正攻法の転移は出来ない」


 小細工はおそらく、吉祥の関係者だとわかっている。息子である大門もすこしの知識はあるだろうが、人間だ。そこまでの力はない。

 少し前から大門の周りに居るやつの仕業だ。

 おそらく、吉祥が前世で亡くなったときに後追いした部下だろう女。心当たりがある。あの世界からは吉祥やマロス以外にも来ていると知っていた。


 縦に円環と文字が巡り回る魔方陣を異形の右腕で撫でる。空間の向こうが、暗く溶けてぽかりと空く。


「だから、無作為にあちこちつながる転移門を開く。言うなれば、自発的な転移事故であっちへ行くのさ」

「それは、どうやって?」


 聞くということは、少なくともやるつもりが選択肢にあるのだ。アリヤは暗い空間に繋がった転移門を見据えたままでいる。


「この転移門の魔方陣は、昔アタシが遊びで創ったんだが脆弱でね。歪みが所々に出来る。歪みのせいで転移先は、完全に無作為。ま、それが楽しかったんだが……」

「つまり、俺はこの中に入って、運任せで飛んで皓子ちゃんのところに行けってこと、ですか」

「理解が早いね。物分かりが良い奴はキライじゃないよ」


 やがてアリヤは一つ呼吸をおいて吉祥へと顔を向けた。


「辿り着けたら? 帰りは?」

「アンタが飛び込む前に紐付けをしといてやる。出た先で潜れば、戻れる。下手な場所に出れば五体の無事かはわからないがね」

「……わかりました。それなら、行けるかな」


 不安を押し込んで、アリヤはそう返してきた。

 強がりもあるが、焦れもある。転移門の先にある皓子を浮かべているのだろうか。

 アリヤの視線は、また魔方陣の奥へと動いていた。

 吉祥はひとつうなずいて魔方陣の前に移動する。右腕でアリヤの胸ぐらをノックするように軽く打つ。その拍子に呪いで目印をつける。

 ついで、左手の指先をならして玄関先の靴を飛ばして、アリヤの前に置く。


「準備が出来たら飛び込みな。それと、着いたら、契約にのっとって皓子に接するように」

「非常時対応で接します。ちゃんと……手は、出しません」


 真面目ぶって言うアリヤは、靴を履くと暗闇の中へ飛び込んだ。その姿はのまれて、あっという間に見えなくなる。

 なかなか図太い男だ。

 皓子が好きになったからご挨拶にと、まだ付き合いも思いも通じていないと言うのに、いけしゃあしゃあと吉祥に言いにきたことだけはある。

 まあ、それくらいのほうが、抜けたところのある皓子には合っているのだろう。

 懐かしい魔方陣の暗がりを眺めて、吉祥はなんとはなしに右腕を軽くふるった。

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