第35話 穏やかな、かどわかし 2


 爽やかな鳥の鳴き声に、梢が擦れる音。ヒーリングミュージックを聞いているような環境音が周囲からする場所に皓子はいた。

 身動きできぬまま、二人によって丁重に運ばれた先は人里離れたログハウスだった。

 場所は何処かもわからない。

 なぜなら、車が走る間に何度かワープらしきことをしたからだ。

 どうして分かるかというと、万屋荘の近道で利用する道と似た感覚がしたからである。周囲の景色を置き去りにして移り変わるような、あの現象だ。

 そして気づけば、立派なログハウス前に車は停まり、あれよあれよと皓子は中へと通された。


「皓子!」


 縁日に飾られるようなポップな白い犬のお面をした男、大門が名前を呼ぶ。

 玄関から入って直ぐ。落ち着いた風合いの木材で作られた吹き抜けのリビングには、シックな色調の家具が配置されている。その中のソファで長い足を組んでいた大門が立ち上がり、にわかに近寄ってきた。


「契約通りにお連れしましたよ」


 営業スマイルを浮かべた矢間がスーツポケットからタブレットを取り出して動かしている。


「はい。確かに」


 何を確認したのか、ますます笑みを深めて矢間は一礼をした。


「さ、お嬢様。お部屋にお通ししましょうね」

「では私の方も準備をいたしましょうか」


 まだ声が思うように出ない。

 皓子が大門を見ても、あの犬の仮面からは何も読み取れない。ただ満足そうにうなずいていることから、おそらくも何も父がやらかしたのだろうとわかった。

 矢間が背を押して、リビング横にあるドアの一つを開けて進む。

 他に四部屋あるようで、同じようなドアがある。もしかするとこの三人の部屋なのかもしれない。

 皓子がそう思っていた矢先に、宇江下が別のドアを開けて入っていった。


「来たばかりで疲れたはずだ。ひとまず休みなさい」

「こちらでございます」


 通された先は、ホテルで見るようなシングルベッドが置かれた寝室だった。

 壁に窓はついているが、開閉することが出来ないはめ殺しの窓だ。内装はログハウスから一変して、白とベージュのナチュラル系のインテリアが配置されている。

 ここだけモデルルームみたいに完成されており、人の使った形跡を感じない。

 矢間はテキパキと部屋の家具を示して皓子に説明をすると、「ではごゆっくり」とドアを閉めた。

 そこで、ようやく、よろよろと自由に動き始めることが出来た。


(ぜんぜんゆっくり出来ないし、素敵な部屋ではあるけれど、落ち着かない)


 そもそも本人の意思を無視して連れてきたということが一番よろしくない。万屋荘へ連絡も出来ないまま、何処かも知れない場所に来てしまった。

 車の中で荷物は取り上げられており、皓子が連絡を取るには鞄の中にある携帯端末のみだ。さっとではあったが、リビングを観察したときには、固定電話は見当たらなかった。


(こんなとき、ばばちゃんから無理にでも術を教えてもらっていればよかった)


 吉祥は、前世で使っていた術を現在でもある程度行使することができる。召喚術だとか連絡術だとか便利なもので、あれこれ都合良く使っている吉祥によく強請ったものだった。

 だが、決まって、皓子には早いと言われたり、過ぎたものだと言われたりする。

 なんでも、悪魔の術を人間が気軽に使うと人格に影響が出ることもあるかららしい。死後も拘束されたくなければ使わないほうが吉だという。では吉祥はと聞いたが、伝手とコネでどうにかするとのたまっていた。

 どうにかなるのか不明だが、吉祥を思えば大丈夫そうという感想ばかりである。


(焦っても仕方ない。とりあえず、落ち着いて、冷静に……)


 深く息を吸って吐く。

 リビングに戻ったとしても、大門たちがいるだろう。すぐに出て行くことは難しい。

 恐る恐る、皓子はベージュのベッドに腰掛けてみた。一つ一つが金が掛かっているように見えた。触った感触も、沈み方も、皓子の部屋にあるベッドとまったく違う。


(あの人、何がしたいんだろう)


 大門の姿を思い浮かべて目を閉じる。

 あの犬の面からしてよく分からない。何か特殊な事情でもあるのかもしれない。


(駄目だ。全然わかんないなあ)


 皓子は仰向けに倒れて、息を吐いた。

 そうして、ぼんやりと見上げる。

 穏やかな色合いに塗られた天井には、お洒落なランプが吊り下げられていた。やはり皓子の趣味とは微妙にずれた部屋は、絶妙に居心地が悪かった。




 食事をしよう。

 そう誘いを受けた夕方。

 皓子は再び矢間の案内で部屋を出ることが出来た。リビングの北寄りに配置された大きめのダイニングテーブルにはすでにパーティーのような大皿料理が並べられている。

 テーブルに並んだ椅子は四脚。

 椅子を引かれて座らされた対面には大門がいて、皓子に向かってうかがうように声をかけてきた。矢間は席につかないらしい。皓子の後ろあたりに立って、待機をしている。


「……その、好きなものがあればいいのだが」

「食べないのですか?」

「ああ、僕はいいんだ。皓子が食べている姿を見たい。それに、面を取らねばならないだろう」

「面?」


 自分の食事風景が見たいと言われて微妙な気持ちになりながらも、面を取ることを拒否する言葉に聞き返す。

 皓子の記憶違いでなければ、万屋荘に訪れたときに外していたはずだ。


「しなければならない理由が?」


 答えが返ってくると期待はしないが問いかけてみる。だが、意外にも大門は真面目に返答をしてくれた。


「皓子、君が好きなものだろう。好きなものを見ながらの食事のほうが楽しいはずだ」

「好きなもの……?」


 はて、と首を傾げれば、途端、大門は目に見えてうろたえた。


「違うのか? 昔、婆さんにひどく強請ったと聞いたんだが。矢間、嘘を言ったのか」

「まさか。金額分は正確に働いておりますよ。そういう契約ですので」

「そうか……皓子、なら、ええと……猫やハムスターもあるんだが、それはどうだ?」


 どうと聞かれても困る。皓子は困惑した声を上げそうになりながらも、首を振った。


「あの、お面が特別好きな年でもないので……」

「そう、か……そうなのか……いや、そうだな」


 肩を落とした大門はおもむろに面を取ってテーブルに置いた。表情はややしおれた風で、落ちた視線は落胆を露わにしている。


(私が好きなものと思ったから、身につけていたってこと? 私がいつのころの話?)


 うつむきがちな大門の様子を観察しながら、皓子は脱力するような心地を覚えた。

 なんと言葉にすればいいのだろう。大門がしていたことは、正直に言うのなら、遅すぎる。お面一つではしゃぐような年ではない。

 ただ、吉祥が一人で皓子を育てている間に赴いて、一緒に暮らすよう努力していてくれたのなら。もっと違った気持ちになったのかもしれない。

 皓子の好感度を考えての装備だったと分かっても、結果はなんともいえない残念感を抱かせただけだった。

 腹立ちや苛々とした気持ちよりも、ただただ、何故今になってという疑問ばかりが起きる。

 そう思っていたら、大門はポツポツと話し出した。


「急に連れてこられても、暴れたりなじったりしないのは、婆さんの躾か。預けて正解だったわけだ……僕じゃ、きっとうまくできなかった」

「ばばちゃんは、すごいんです」


 むっとして言う。黒い瞳と目が合った。

 父とは容姿が似ていないと思ったが、この目の色は似ているなと思えた。黒々とした目は皓子を見て、まぶしそうに目を細めた。


「そうだな。君は立派に育った。在りし日のひかりを見ているようだ」


(……知らないお母さんの話をされても)


 皓子の気まずさに気づいたのか、大門は怜悧な美貌に華やいだ笑みを浮かべて食事を促した。


「さあ、食べなさい。初めて一緒の食事とするには少々豪勢さが足りないが、味は保証しよう」


 反抗するのはありなのだろうか。見返しても、微笑ましそうに皓子を見て「食べないのか」と言うばかり。

 後ろの矢間も「怪しいものは入っておりませんとも。選りすぐりの食材を使ったものですからね」と自慢げに言う。


(なんか、こう、ずれているのよねえ……)


 皓子が期待しているものを微妙に掠めて外れていくような。

 気遣って、好意を伝えようとする気持ちは否定するようなものではない。

 大門が皓子に対して何も思っていないと言われるより、嬉しいのは確かだった。けれど、やり方とタイミングのせいで受け入れがたい気持ちにならざるをえないのだ。


「その目。ひかりもよく僕をそうして宥めてくれた。懐かしい」


 それは呆れられていたのでは。

 皓子はよく知らない母の姿を容易に想像できた。

 ふふ、と照れくさそうな大門が食事を取り分けて皓子に差し出す。恐る恐る取り分けられた皿を受け取って目の前に置く。


「食事の後は、洋服のプレゼントも用意してある。喜んでくれるといいんだが……」

「どうも、ありがとうございます」

「きっと似合うと思う。いや、今の服装が似合わないというわけではないから誤解しないでくれ」

「はあ」


(誘拐? でいいんだよね? わかんなくなりそう……)


 皓子が食事を口にするのを躊躇っていれば、大門が先に食べ始めた。それを見て、皓子もカラトリーを手にとって目の前の食事をとることにした。

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