第7話 102号室、煙騒ぎ
焼き肉会からおよそ一週間後。
アリヤはこの件からさらに万屋荘の理解を深めたようで、ひょこっと部屋から出てきては佐藤原を中心に交流を図るようになったらしい。
らしい、というのは、ゴミ出しをしていた佐藤原がこぼした話題から聞いたからである。
この宇宙人、地球のルールには従うとのことで、基本的にはごく普通の人間と同じ行動をするのだ。
たまに現れる異様な言動や道具を見ないふりさえすれば、ただの一般人にしか見えない。むしろ、マナーの悪い地球の人間よりも余程まともだった。
佐藤原が言うには、アリヤは宇宙に興味があるそうだ。
そういえば、マロスから息子はロケットとか宇宙基地とか好きでねえと言っていたのを皓子は思い出した。
(ああ、だからあのときちょっと感動したみたいだったのかあ)
あのぼんやりとした「宇宙……」という声は嬉しさもあった。
自分と同い年でもあるのに、なんだか子どもっぽさを感じてしまった。一大スペクタクルな宇宙の光景をみて童心に返ったのだろう。
気持ちはわからないでもない。皓子だって、佐藤原のあの映像はいつ見てもドキドキわくわくする。なお、皓子だけでなく他の住民にも好評なのは言わずもがなだ。
とにもかくにも、馴染みはじめてくれたようで良かった。
昨日だって、突然の強制転移から戻ってきた飛鳥から、お土産を分けてもらっているアリヤの姿を見た。
ちなみに、今回のお土産は歌う一輪のガーベラに似た花だった。
プリザーブドフラワーのように乾燥しており、水をやると鈴のような音色が流れ出す。寿命は一週間で、異世界でいうカゲロウ的存在らしい。また非常食にもなるとのことで、とりあえず密閉した瓶に入れて皓子は保存している。
歴代のお土産のなかでも可愛らしい部類で、インテリアとして置くのにも使える良いものだった。勉強机の棚を見上げれば、ちょこんと置いた花入りの瓶が見えた。
(これは、田ノ嶋さんが癒やしがほしいって前に言ってたからだろうなあ)
眺めながら、飛鳥の地道な努力に思いをはせてみる。
202号室の飛鳥翔は、102号室の田ノ嶋麻穂のことが好き。
このことは、田ノ嶋以外の住人が認知している情報である。
飛鳥の性格が人懐こく大変素直で、ことあるごとに住民に相談するせいだった。隠していないしオープンだが、いかんせん飛鳥のアピールは慎重で遠回し。そのせいで田ノ嶋には知られていない。
それがなぜかというと、飛鳥は変なところで自分に自信が無いのだ。コンプレックスがあると言ってもいい。
あちこちの世界に飛んでとんでもない数の冒険をこなしていても、現代日本での学歴がないことが気になるらしい。
曰く、「戦う力があっても、養う力はまた別」とのこと。この言葉には、既婚者である吉祥と世流が同意していた。
そしてさらに言うと、間が悪い。
肝心の場面で、飛鳥が召喚されたり田ノ嶋が招集されて仕事へ赴いたりとすれ違いが多いのだった。
皓子が飛鳥から相談を持ちかけられて早三年。進展があったとすれば、飛鳥が田ノ嶋の名前を呼べるようになって、家事の手伝いをするようになったことだろうか。
(翔くんが、御束くんみたいに慣れてたらもっと早く済んだのかも?)
想像してみたが、飛鳥が女性に慣れた様子で相手取る姿は、ハッキリ言って似合わない。とはいえ、アリヤのそんな姿を皓子が見たわけではないので、勝手な想像である。
そうこう考えていたからだろうか。ピンポン、と軽い音がした。
本日、吉祥は町内会に出ている。
春に行われる清掃活動と地区議員について話し合うと言っていた。田舎の町内会議は最終的に飲み会になることを皓子はここ数年で学んだ。酒気帯びた吉祥が夜に帰って「弱みを握ってきた」とあくどく笑うのも何度か目撃している。おそらく今夜もそんな様子を見ることになるだろう。
「はーい」
言いながら、皓子は玄関に向かってドアスコープを覗いた。西日が差す廊下に誰かが立っている。
(うん? 御束くんだ)
ドアの向こうに、アリヤが立っている。
白いシャツの上に藍色のカーディガン、灰色のズボンで、このあたりでは見ない学生服を着ていた。皓子の学校の女子が見たなら、学ランじゃないの格好良いと騒ぎそうである。
アリヤの表情はどこか困っているようで、不思議に思いながら皓子はドアを開けた。
「こんにちは」
「こんにちは、織本さん。ごめん、ちょっと今いい?」
申し訳なさそうに言うアリヤに、こくりと頷く。
「どうかした?」
「その、隣から大きな物音がして。外に出たらさ」
アリヤが長い指先をすっと動かした。指し示した先は、アリヤの隣室である102号室だ。靴を履いて玄関から見てみれば、皓子は、なるほど、と声に出てしまった。
田ノ嶋の部屋から、白い煙が漏れ出ていた。
さらにはその煙たい臭いが、じわじわと忍び寄ってきていた。
「ああ……田ノ嶋さん、またやっちゃったのかあ。わかった、行ってくるね」
「管理人さん、いないの?」
部屋のドアを閉めて出ると、アリヤが意外そうに聞いてきた。吉祥が対応するものと思っていたのだろう。
「うん。ちょっと出かけてるの。でも大丈夫大丈夫、お手伝いは慣れてるから。それに、これも前に何回かあったことだし」
軽く返して足を進めれば、アリヤも後ろから着いてきた。
102号室に近づくほど、煙たさが増してくる。中の田ノ嶋は大丈夫なのだろうか。
部屋の前に立ってチャイムを押そうとしたところで、また声を掛けられた。今度は階段の上からだ。
「いつ経験しても、不可思議な事象ですね」
抑揚の乏しい声は珍しく弾んでいる。声の方を向けば、黒いスーツに黒靴を着用した佐藤原が下りてきていた。
埋没した個性を狙ったとはいうものの、この全身黒ずくめで、ある種特徴的な声音をした佐藤原は逆に個性的のように皓子には思えた。
「織本管理人の呪いに私の技術、さらに未熟とはいえ神の守護がかかっている部屋をも無視するとは……田ノ嶋さんは逸材です」
うんうんと一人納得した風に頷いて、携帯していたスーツケースを床に置いて開ける。その中から試験管を取り出して佐藤原は採取を始めた。その自由な姿は実に楽しそうである。
「佐藤原さん、開けても大丈夫?」
皓子がたずねれば、佐藤原はグッと親指を立てて見せた。
ハンドサインもこなせる宇宙人は、今日はやけにテンションが高いらしい。その様子に心惹かれたのかアリヤは佐藤原に話しかけている。
「何に使うんですか」
「防護を無視する機能を調べるためのサンプルとして使います。彼女の技術はもっと他に使えるはずなんです」
「技術ってこの煙が? 魔法とか?」
「いえ、普通の調理技術だそうですが、私は常々別の物だとふんでいます」
そんな二人を尻目に、皓子は気を取り直してチャイムを押した。
今回は何度も押すこともなく、間もなくしてドアが開いた。
途端、もわりと白煙が塊となってあふれてきた。質量をもったかのように床に広がっていく様は、一体どうしてこんなことになるのか不思議でならない。佐藤原の言うとおり、ただの調理の副産物でできた煙だというのに。
やがて、咳き込みながら涙目の女性、田ノ嶋がよろよろと這い出てきた。
「た、大変失礼しております……」
さながらゾンビのように呻きつつ立ち上がる姿は、女性らしさをかなぐり捨てている。
しかし、アリヤがそこに居ることを確認するや否や、取り繕ってぴしりと姿勢を正した。そしてさらに、アリヤの隣に居て試験管を大事にスーツケースへとしまい込んだ佐藤原を見つけて身構えた。
「げえっ、悪の手先! 鬼上司!」
「本日はオフなので、違いますが」
「知ってるわよ」
佐藤原に毛を逆立てた猫みたく警戒している田ノ嶋は元気そうである。今回もまた体にはなんともなさそうで一安心だ。
「あの、田ノ嶋さん」
「あ、織本ちゃん! ごめんねえ! 久しぶりにご飯作ろうとしたら、変なの出ちゃって。煙が出たからとりあえず蓋をしたんだけどね」
田ノ嶋が出てきた後ろから、きゅうんきゅうんと鳴いている声は、おそらく田ノ嶋のマスコットなのだろう。耳を澄ませば、「こんなの料理じゃないきゅん」などと言っているのが聞こえた。何故か声は籠もっていた。
しかし田ノ嶋はそれを一切無視して、ほほ、と下手な笑いを浮かべながら続ける。
「いや~、あの花食べれるって飛鳥くんが言ってたじゃない? だから食べようと思ったんだけど」
「あー……」
あれをどうにか調理しようとしたのか。
曖昧な相槌を打てば、田ノ嶋は腕を組んで唸った。
「さすが異世界産よね。不思議だわ」
「まあ、地球産じゃないですしねえ」
とりあえず同意しておいた。後ろの何か言いたげなアリヤはひとまず置いておくことにした皓子であった。
その後、騒ぎを聞きつけた飛鳥が田ノ嶋の部屋に片付けに参上した。
飛鳥は田ノ嶋の部屋の惨状を見るやいなや、一目で状況把握したのか、防護マスクとエプロン、手袋を嵌めて果敢にもまだ煙渦巻く部屋へと突入していった。
(ばばちゃんが留守でよかった)
もし居合わせていたなら、「田ノ嶋ァ!」と青筋を立てて叱っていたことだろう。どちらにせよ報告案件ではあるが。
ただ、万屋荘は佐藤原も言っていた通り、特殊な呪いやら加護やら未知の技術やらが盛られた建造物である。そうそうに壊れることはない。
よって大体の場合、心配することは人的被害だけ。飛鳥も駆けつけたことだし、田ノ嶋も平気そうだからひとまず安心だ。
飛鳥による田ノ嶋部屋の清掃作業が始められるのを手伝い、ある程度片付いたところで皓子たちは解放された。
そう、皓子だけではなく、アリヤも手伝ってくれたのだ。
なお、佐藤原は田ノ嶋の拒否により帰された。その際に、無理に付き合わず帰ってもいいよと声を掛けたのだが、「ここまで来たら、なんか面白いから」とアリヤは付き合ってくれたのだった。田ノ嶋は拝んでいた。
部屋から出て、皓子は結局最後まで付きあってくれたアリヤを仰ぎ見た。
「御束くん、ありがとうね」
「ああ、うん。どういたしまして」
きょと、と目を瞬かせたアリヤは軽くうなずいた。
あたりはすっかり夕暮れて、夜を迎え始めている。結構な時間を過ごしてしまったようだ。皓子と違って付きあう必要もなかったのに、無報酬というのはなんだか申し訳がない気持ちになる。どうしたものかと考えて、あ、と皓子は声を上げた。
「そうだ。ちょっと待ってて」
「うん?」
ぱたぱたと小走りに大家部屋に戻って、冷蔵庫の冷凍室を探る。ちょうど良く買っておいたものがあったのだ。
それを取って、また部屋を出て、待っていたアリヤの元に駆け寄った。
「御束くん、これ。私のとっておき」
息を弾ませて、はい、と手渡す。
渡したのはなんの変哲も無いカップアイスである。といっても、高校生のお小遣いにしてはリッチなアイスで、皓子は頑張った自分を甘やかす用にと取っておいていたのだ。
付きあわせた罪悪感もあり、自分の気もすまないからと皓子は持ち出すことを選んだのだった。
「え? 別に、俺そんなつもりで手伝ったわけじゃ」
「いいの。私の気が済まないだけだからねえ。報告してくれて、手伝ってくれてありがとう」
遠慮する手に、そのまま押しつける。躊躇いがちに骨張った手がカップアイスを手に取ったのを見て、皓子はにこりと笑った。
「それ、すごく美味しいんだあ。私のおすすめだよ」
「え、と、どうも」
「じゃあ、またね」
渡した満足感でにこにこしながら、皓子は軽く手を振って部屋へと戻った。動かす足も軽やかな気分だ。
家のドアを開けるときにちらりと伺えば、アリヤが神妙に手元を見下ろしてたたずんでいる姿が見えた。
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