第6話 202号室、主催者強制転移
「あらん、もう始めていたのね。ごめんあそばせ。我が家の天使を寝かせていたものだから」
食べ始めて数十分後、プラチナブロンドを靡かせてノルハーンが合流した。
藤色の着物は、柔らかな素材でこだわりを感じるが、腕に居座る唇の人形のせいでなんともいえないファッションに見える。
ノルハーンは膨らんだ布のバッグも提げており、おそらく目的は皓子と同じく持ち帰りだと予想できた。
「こんばんはノルハーンさん。世流さんも来ます?」
「あら、こんばんは、こっこ。ダーリンは、お仕事ついでにスーリを見てくださってるわよ。ちょっと今日は難しいみたい。でも、わたくしだけでも楽しんでおいでって言ってくださって……」
恍惚の吐息をこぼして、ノルハーンが身をくねらせる。
「私のダーリン、最高なのよ、こっこ~。聞いてえ~」
駆け寄ってそのまま座卓の皓子の正面に座り込むと、桃色吐息でノルハーンが語り出す。
皓子の右に陣取る水茂は退屈そうにあくびをして、左のアリヤはそろっと目線を外していた。飛鳥は笑いながらノルハーン用に新たに皿の準備をし始めた。
異世界から来たというノルハーンは、実におしゃべりだ。
元々、大人しく真面目な皇女として務めていたが、世界を渡って身一つになったことで色々吹っ切れた結果、とのことだ。
万屋荘女子会として、旦那との出会いを大分脚色して何度も語られたため、展開はすでに聞き飽きたほどである。
それでも目を煌めかせ生き生きと話すノルハーンを見るのは楽しいもので、ついつい、なあにと皓子は聞いてしまうのだ。
それに何より、ノルハーンが操る唇人形の動作も面白い。彼女の感情に合わせるかのように、次第に昂ぶると身振り手振りをしだすのである。本日もそれが見られるのか思えば、話は途中で遮られた。
飛鳥がさらなるとっておきを持ってきたのだ。
「これ、ノルハーンさんが好きだったと思ってさ。とっておいたんだ」
「あら! まあ! 良く覚えていたわね、
すっすっと指先で払うような仕草をしてから、ノルハーンが両手を組んで指先に口づけた。ノルハーンの国のお祈り作法らしい。
「えっけ……何?」
「ああ、御束くんは知らなかったっけ。ノルハーンさんのところの高級牛みたいなやつなんだ。俺、ちょっとだけ融通がきくから」
「融通? そういう仕事をされているんですか?」
「あー、いや、俺は何でも屋みたいな……まあ、ただのフリーター。中卒で高校認定もらったけど、あんまり出来が良くなくて」
途端、しまった、という顔をしたアリヤに、飛鳥は気にするなとでもいうかのように言った。
しかし皓子は知っている。出来が良くないというのは真っ赤な嘘であると。
本人がそう思っているだけで、飛鳥は割と万能な男だ。ただ、間が悪いだけで。
突っ込むのも野暮なので、湯気を立てる肉をつまむ。
料理上手な飛鳥が焼いた肉は、つけ合わせのサラダや自家製のタレと食べると絶品だ。また食べたいと思った物は遠慮無くタッパーに詰めこんでおく。
そうこうしている横で、飛鳥がアリヤに羨ましいと絡んでいる。
「高校生活、楽しい? こっこちゃんの話聞いてるとすげー羨ましくなるんだ。御束くんは充実してそうだ」
「いや、とくになんの変哲も無い感じです」
「そうかあ? 退屈?」
「まあ……普通ですね」
「そっかあ。じゃ、俺と異世界行ってみる? 一緒に行けたらだけどさ」
白い歯を見せて笑うと、飛鳥が「ようし、この日の記念に」ともったいぶった仕草で立ち上がり、台所に向かう。そうして戻ってくると、「じゃーん」と酒瓶を出した。ノルハーンと水茂がきゃあと嬉しそうな声を上げる。
そしてさらに、瓶を出す。こちらはジュースが入った瓶のようだ。荒い筆文字でリンゴジュースと書いている。
「未成年には、こっち……」
飛鳥は言いかけてはっと黙り込んだ。
「今日かよ」
そう言うと同時に、飛鳥が輝きだした。とん、とん、と慌てて飛鳥は瓶を机に置いた。
「ごめん! 片付け頼むわ、こっこちゃんたち! 畜生、まだろくに食えてない!」
「どんまい。いってらっしゃい翔くん」
「土産も頼むぞ、翔」
「いってらっしゃいませ、勇士殿」
口々に言って手を振る。
ますます光り輝いた飛鳥は、全身が白い光に覆われたかと思うと、消え失せた。
「は?」
ぽかんとしたアリヤに、皓子はつんつんとつついて声を掛けた。
「翔くん、よく召喚されるんだ。まあ、そのうち帰ってくるから」
「ええ……なにそれ」
皓子は言わずもがな、水茂もノルハーンも最早慣れた光景なので、早速飛鳥が用意した酒瓶に手を伸ばしている。なおも、困った様子のアリヤに、なるべく安心させるように笑いかけてみた。
「大丈夫大丈夫。これでええと、私の前では五十回目くらいだから」
「ずいぶん多いね?」
「月に一度あるかないかみたい。もうベテランと言ってもいいって前自分で言ってたねえ」
「でも、帰ってくるかどうかは心配じゃないの?」
自然な疑問だというように言うアリヤに、皓子は目を丸くした。
まだ会って間もないのに心配をするとは、やはり心根がいい人なのだろう。遊んでいるとのことだが、マロスの子だけはある。
「うん、もちろん心配もあるけど。大丈夫って信じているほうが、ずっと心に優しいから。それに、危なければ帰ってこれるからね」
「そう、なんだ」
「そうそう。佐藤原さんとかが捕捉してくれるの。いざとなったらばばちゃんも居るし」
「そっか」
「御束くんは、優しい人だね」
皓子がそう言えば、アリヤはちょっとばかり目を見開いて、やがて気まずそうに逸らした。
「いや、えっと。どうも」
「ふふ、うん」
「なんか、調子狂う。ここに居ると」
「素になれていいんじゃないかなあ」
「言うね、織本さん」
小さく忍び笑いをかみ殺していると、腹部にごつりと丸い物が当たる。水茂だ。
カワウソの姿のまま器用に両頬を膨らませて、皓子を見上げるとそのままぐりぐりと頭を押しつけてきた。
「わしも構うのじゃ、こっこ。
「あはは、そうだったねえ。うん、話そっか」
確かに。昔、将来嫁にしてやろうと言ったこの小さなカワウソに「男の子より女の子のほうがいっぱい話せて良いな」と答えたのは皓子だ。律儀に受け取って、化生の体を女性に定めた水茂は実に健気で可愛い友である。
「愛? 愛の気配? 私の愛のお話しちゃう?」
「私、ノルハーンさんのお話好きだから、また聞かせて。御束くんも初めて聞くだろうし」
「まあ、任せて! アリヤ、あなた好きな人はいますの? 私にはいますわよ。もちろんダーリン……!」
「え、ちょ」
慌てた風なアリヤに、にこ、と微笑むと、なにやら恨めしそうな視線が帰ってくる。それでもそういった質問には慣れているのか、当たり障りのない態度でアリヤは答え躱してみせた。
「好きになった人が、タイプですかね」
「まあ、そうなの。でもそういうタイプは流されやすいのではなくて? 私の故郷にもいましたわ。外面だけいい中身がしようもないフワフワな男。ですが、ダーリンは違いました。ああ、思い返すも蜜のような日々。私の愛、私の希望」
ぼろくその言いようである。
ノルハーンは外面の良い男に、あんまり良い感情を持たないようだ。
しようもない男と言いがかりをつけられたアリヤの口角はひくついている。
しかし、こんなものは序の口だ。これから怒濤の自分語りと旦那語りが始まることを皓子は知っている。
そっと拝む仕草をすると「織本さん?」と咎める声がアリヤから漏れた。一応フォローとして少しばかり口を挟むかと、皓子は声をかけた。
「御束くんは、中身もきっと良い男だよ、ノルハーンさん」
「まあっ、こっこったら! こういうタイプが好きなの? 私、心配だわ。良いこと? 男は顔ではないの。度量と、忍耐、そして細やかな愛情表現……そう、まさにダーリン! ダーリンこそ最高の男なの。ころっとだまされちゃ駄目よ。こっこはのんびりやさんですもの、取って食われて捨てられちゃうわ」
こういうとき水茂は口を挟まない。勢いよく話すノルハーンに絡むのは不味いと学習しているのだ。
構えと言ったというのに、そろりと皓子から離れてちゃっかり料理を口に運んでいる。
そしてまだノルハーンの語りは止まらない。
「聞いていますの? よろしくて?」
コップに注いだ酒を片手に、ノルハーンは皓子とアリヤに向かってめくるめく愛のメモリーを語り始めるのだった。
ノルハーンの語りが止められたのは、さらに一時間後。
佐藤原がスーツケース片手に現われてからであった。
チャイムをしてからそこそこに、誰が迎えに行くわけでもなくドアを開けて入ってきた佐藤原は、勝手知ったる我が家のように座卓に腰掛けてお辞儀をしてみせた。
「どうも、こんばんは。ご相伴にあずかりに来ましたが、飛鳥さんは不在で?」
相変わらず神経質そうな顔は、表情が分かりづらい。ほぼ無表情で感情の起伏に乏しい声は、まるで音声読み上げ用のロボットのようだ。
水茂は佐藤原とは最古参同士で顔なじみではあるのだが、どうにも苦手意識があるらしく、皓子を盾にしてちらっと顔を覗かせていた。
ほろ酔い気分のノルハーンが、佐藤原の疑問に「そうよ」と歌うように答えた。大分ご機嫌だ。反してアリヤはやや疲れた表情である。慣れの差だな、と皓子はノルハーンの言葉に説明を付け足した。
「ついさっき、召喚されちゃったんです」
「おや、そうですか。今回はどこでしょう。ちょっと見てみますか。可能ならば、通信して素材の調達が願えますし」
言いながら良いアイディアと思ったのだろう。佐藤原はスーツケースを開いた。
スーツケースの中身は、ぽっかりとした暗闇だ。
底も天井も隅も見えず、ただ暗闇が広がっている。そこに顔をつっこんだ佐藤原はやがて半透明の板を取り出した。
ちょっと大きな、大家部屋にもあるテレビ画面と同じくらいの板は佐藤原の手を離れるとぷかりと宙に浮かぶ。ついで、佐藤原が聞き取れない言語で話したかと思うと、落書きのような文字が躍り出して板が映像を映し出した。
それは広大な星空だ。
暗い空間に星の光が瞬き、銀河が形作られている。びゅんびゅんと画面の映像は移り変わり、やがて一つの星を画面一杯に映し出した。
「ふむ。すこしばかり遠出をされましたね。しかし運が良い。我が星雲群の近くですから、問題なく補足範囲です。さて、位置は……」
さらに惑星を拡大して、映像は地表に近づいていく。
地球に負けず劣らず、緑の星だ。いや、地球以上の緑の星だった。天高くそびえる木々が大地を覆い、それは奇妙にも様々な色に分けられていた。
さらに映像は細部を映すように動くと、派手に光の柱を上げる光景を捉えた。
「いましたね。この星は樹木が豊富ですから、適当に種子を持ちかえってもらいましょう」
一人で納得して言うと、佐藤原はまたスーツケースからポーチを取り出す。そして、光の柱の根元に向けて画面に放り投げた。
「早く帰ってきていただけるとありがたいですが。さて、いただきましょうか」
周囲を置き去りにした佐藤原は、丁寧な仕草で手を合わせ「いただきます」と言うと、何もおこらなかったかのように料理を口に入れ始めた。
「織本さん、今の」
「ね、すごい技術だよねえ。あ、御束くん、そのお肉滅茶苦茶美味しいよ。食べておいたら」
「え、ああ、うん……宇宙見えた……まじか……」
ぼんやりと噛みしめた風に言うアリヤの皿に、大箸を使って取り分ける。止める気も起きないのか、今もなお光景を映し続ける半透明の板に目線は釘付けであった。
皓子も最初、佐藤原の不思議な道具を見ているときはそうなった。気持ちはよく分かる。
しかしお肉は有限。
佐藤原はこう見えて、大変よく食べる。万屋荘で一番食欲旺盛と言っても過言ではない。今も速いペースで箸が皿と佐藤原の口を行き来しているのだ。
「はい。よかったら食べてね」
「む! こっこ、わしも! わしのもするのじゃ」
「はあい。お皿ちょうだい」
「宇宙……」
「ま! 星の方、たくさん取り過ぎですわよ! 私のお肉を狙わないでくださいまし!」
徐々に賑やかになる席で、主催者不在の焼き肉会は続行されるのであった。
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