第20話 東条さんとデート(1)


 とうとう、この日が来てしまった。


 東条さんと会う約束をした土曜日の到来である。


「はぁ…結局なにしていいのか、全然思いつかなかった。」


 約束の時間は朝の10時。双方が知っている場所、ということでアストラル社の前で待ち合わせすることになっている。


 そして、現在の時間は朝9時だ。会社には相変わらずテスターたちが出入りしているため、邪魔にならないように建物の外に配置されたベンチに腰かけている。


何時ぞやの警備員を観察していた日に使用したベンチだ。ちょっと早く到着しすぎた感はあるが、家に居ても特にすることは無かったし、習い事に行く体裁の隠蔽工作として、早めに出る必要があったのだ。仕方がない。


「東条さんは…さすがにまだ来てないか…?」


 周囲を見るが、それらしい姿はない。


 仕方がないので、メッセージアプリで待ち合わせ場所に到着した旨だけを伝え、待つことにした。


「…そういや、初めて東条さんが声をかけてくれたのも、この場所だったっけ。」


 思えば、まだ出会ったばかりとはいえ、俺は彼女のこと、全然知らないのだ。


 まぁ、この日までに積極的に関わる勇気を持てなかったせいでもあるのだが。


 彼女が俺を気にかけてくれている理由や、どの学校に行ってるとか、下の名前すらも分からず、今日会うこの日だって、成り行きで決まったようなもので。あの日、この場所で声をかけてくれた理由もわからずじまいだ。


 だが…不思議と悪い気はしなかった。


(まぁ、理由は分からないが、可愛い子が時間を作ると言ってくれたんだ。悪い思いをする男なんて、そうそういないだろう。……今日、知りたいことも含めて、色々話ができたらいいな。)


 待っている間に、おでかけプランでも練っておく必要があるだろう。幸い、まだ時間はある。


 そんなことを考えていると、すぐにスマホが振動する。大概、アプリからメッセージを受信したときにこうなるから、東条さんから返信があったのかもしれない。


「約束は10時だし、『分かりました、時間までお待ちください』とか、そういう返事かな……?」


 そう思ってスマホを見返すと、「私もそろそろ到着します!」と書かれていた。


「え…!?」


 慌てて時間を確認し直すが、時間は9時3分である。約束の時間よりもずっと早い。


「ど、どうしよう…」


 と言っている間にも東条さんらしき人が、キョロキョロと周囲を見回しながら会社の敷地内に入ってきた姿が確認できた。お互い、到着が早すぎである。


「あ、あれ…?東条さん…?」


 目視できる先にいた彼女らしき人に対し、疑問符が浮かんだのは、印象がいつもと違って見えたからだ。


 長い黒髪は下ろしたままのスタイルだが、装いはシャツとスカートでシンプルにまとめていて、小さなバッグを持っている。メガネはかけていないように見えたので、一瞬別人かと思った。


 思わずベンチから立ち上がって注視してしまう。


 距離がまだ少し離れているので、俺の声が聞こえたわけではないだろうが、不自然に勢いよく立ち上がって注視している人がいれば、自然と目はそちらに向く。人を探しているときなら尚更である。


 東条さんらしき人は俺の姿を認めると、手を振って走ってきた。


「優斗さん…!」


 声をかけてきた。ということは、見紛うことなき東条さんだ。今日はメガネなしスタイル…きれいに切り揃えられた前髪が、大きな目を際立たせており、これはこれで可愛い。口が裂けてもそんなこと言えないが。


 なんだか、心臓の音がうるさい。


「ど、どうも…あのあの―」「お待たせしてしまい、ごめんなさい。」


 間髪入れずペコっとお辞儀してくる。どうやら待たせたと思っているようだ。


「…い…いえ、そもそも、約束は10時でしたし…俺が、早く到着しすぎたんです。」


(彼女がこんなに早く来るなんて、それこそ想定外である。いつも通り、気さくに話そうと思ったが、慌てすぎて思わず敬語に逆戻りしてしまった。)


「そ、そうですか……」「…」


 互いに何を話して良いかもわからずな状況で、黙って向かい合って下を向いていると、他のβテスターと思わしき通行人から、ニヤニヤとした視線を向けられた。


「あ…と、東条さん。行きましょうか。ひとまず、いったんここから、離れましょう!」


「そ、そうですね…!」



 ⚜⚜⚜⚜



 正直、どこに向かっているのかも分からない。頭の中も真っ白で、俺がなんでこんなに慌てているのかすら、自分で自分を理解できていない。


(なんでこんなに緊張してるんだろう。)


 二人で歩いたのは初めてじゃないのに。


 会社から出て歩き始める。


 彼女が肩を並べて、同じ歩幅で歩いてくれている。気づかれないように、少しだけ歩くペースを落とした。


 今は目的もなく歩いているだけだが、いずれ違和感を感じた彼女は行先を訪ねてくるだろう。その前に何かを決めなきゃいけない。


 10分ほど歩いていると、ショッピングセンターが見えてきた。家族と何度か来たこともある場所である。藁にもすがりたい気持ちだったので、今はそんな普通のショッピングセンターでも救いの神に見えた。


「と、東条さん、あそこ、入りましょう。」


「……(コクコク)」


 半ばゴーレム言語化した俺と、頷くだけと化した東条さんは、ショッピングセンターに入る。


 土曜日ということもあり、人がそれなりに多いが、今はこのざわつきだって救いに感じる。黙っていたって、不自然に思われないから。


「あぁ、そうだ。東条さん…お、おなか減りませんか?ここ、美味しいラーメンがフードコートにあって…」


「い、いえ…朝食は……食べてきたので。」


「あ、そうですよね。はは。」


「…」「…」


 なにやってんだよ自分。


 もっとしっかりしろと自身へ叱咤し、心の声で言い聞かせるが、言葉が出てこない。


「………ゆ、優斗さん。その……」


 珍しく、東条さんから話題を振ってくれた。


「は、はい!」


「その、カバー…テニスラケット、ですよね。……家から、持ってきてくれたんですか?」


「え、えぇまぁ。その、色々あって……。」


「…っ」


 東条さんは、しきりに自身のスカートに目をや手をやって、ふるふると首を振っている。


「ゆ、優斗さん。その、今日は、テニスは、すみません。」


 そう言って頭を下げてきた。


(もしかして、俺がテニスを一緒にやるつもりだったと勘違いさせてしまった!?まーずい!)


 かと言って、習い事サボって家族にナイショで来ましたなんて言えない。


 ラケットカバーを抱え、俺も頭を下げる。


「あ、いえ。その、これは……そう!鞄です。こういう形の!」


「え…?」


「テニスラケットカバー型の、カバン。だから、落ち込まないでください!」


「……。でも、その、カバーの中、ちゃんとラケットが入っているように見えます。やっぱりテニスを誘ってくださるご予定だったのかと――」


「いえいえ!あー……まぁ、そこはほら。あれです。そういう、趣味です。カバーをみたら、それに合う形のものを入れたくなるんです。だから、気にしないでください。ほら、きちんと財布も入ります!ハンカチだって…!」


 俺はラケットカバーに財布なりハンカチなりをぶち込み、むりやりカバーのファスナーを閉めた。


「ほらね、これで…できた!」


 パンパンになった不定形のラケットカバーをこれ見よがしに肩へかけてみせる。必死になっているときにキチンと喋れるようになったのは、俺の進歩かもしれない。


「えぇっ……。」


 いったい何が『できた』のかは分からないが、うまく誤魔化せたと思うしかない。


 東条さんはしばらく俺の行動を見てフリーズしていたが、やがて眉を八の字にしながらも笑う。


「(………クスクス)」


 口元に手をあてて、お上品に笑うような女性を、同年代で見たことがなかった俺は、そんなちょっとした仕草にも『特別』を感じ、ぼ~っと、見つめてしまう。


「……?優斗さん?」


(見惚れてしまった!やべ)


「っは……!?いえ、そ、そうだ。あ、あぁ!東条さん、それなら、カフェでも、どうですか!?」


「(…コク)わかりました。」


(雨宮さんから、バイト代、前借しててよかった…。)



 ⚜⚜⚜⚜



 ショッピングモール内に店舗を構えた人気のコーヒーショップ…通称、ズタボロバッカスにやってきた。フードコートに隣接しているので、自由に席を選べそうだ。


 PCを持ち込んで、画面と睨めっこしているお兄さんやお姉さん。雑談している奥様、リラックス&リフレッシュしている人たちなど、まだ朝だが、そこそこの人がいる。


「東条さん、実はこの店……コーヒーだけじゃなくて、デザートのような飲み物も置いているんですよ。軽食も美味しいです。オススメはハムチーズです。はは。」


「そうなんですね。…教えてくださり、ありがとうございます。」


(てか、そんなこと知ってて当然だろー!俺!しっかりしろー!慌てすぎだぁ!)


 ズタボロバッカスは、ズタボロにされた海賊姿のおっさんの顔が、満面の笑みを浮かべたデザインがトレードマークのコーヒーショップだ。コーヒーやカフェインが苦手な人でも気軽に通えるようにするためか、甘い飲み物や美味しい軽食が豊富に揃えられている。


 日本大手クラスのチェーン店であり、名前を知らない人はいない。誰でも知っているような場所にきて『ここはこういうところなんだよ』と説明しているようなものである。


 そんな俺のやっちまった感はどこ吹く風、東条さんは目を輝かせ、列に並ぶ。


「ここ…名前だけは、知っていました。……とっても楽しみです。」


「だけ……って、東条さん、もしかして、利用は初めて…?」


「(……コクコク)」


 頷いているが、目線の先はカウンター上部に埋め込まれたメニューに注がれている。とても興味を示してもらえたようだ。


 

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