第7話 うまくいかないのが世の中なんて割り切りたくないからだよ。
俺とハゲが修道女をさらい、スラム地区のボロ宿に逃げ込んだタイミングで、視野が暗転し、意識がぼんやりとする。
「……くん。……優斗くん。」
次第に意識がハッキリとしたときには、白く清潔感のある天井と、見覚えのあるキツネ目のお兄さんが顔を覗かせていた。
「ううん……あれ、ここは……それに、
「どうやら、意識が戻ったようだね。お察しの通り、
雨宮さんは、そう言って体を起こすのを手伝ってくれた。時計の針は16時を指している。視界はブレブレだし、思考がスロー。まるで寝起きのようだ。VRダイブとは意外と疲れるものなのか。
「…少し頭がぼんやりとしますが、それ以外は問題ないようです。」
徐々に明晰になり、視野が整ってきた。分身するほどぼやけて見えていた雨宮さんは、やがて一人に見える。
「そうか。…サブジェクティブ・カニッツァシステムの同期現象に、数十秒程度のロスかノイズがあるかもしれないね。君は、モニターから直近の波形を取っておいてくれ。」
雨宮さんは側で控えていた白衣の男に、よく分からない言葉を使って指示を出す。
「はい、かしこまりました。」
白衣の男も、雨宮さんの指示に従い、俺の後ろにあったモニターと睨めっこを始めた。
「ところで、雨宮さんはどうして俺のところに?」
周囲の人たちはまだダイブしているようで、起こされたのは俺だけだったようだ。
「17時に起こすって約束していたからね。他のみんなには、この後もダイブするか、すぐに帰ってもらうか選んでもらう予定。だけど、優斗くんには、ちょっとした提案があって少し早めに起きてもらったんだ。覚えているかな?少しだけ残ってもらうって話。予定より時間を詰めちゃったのは、ゴメン。」
「提案…?俺に?…そういえば。」
(ゲームダイブ前に、俺に少し話があるって言っていたような気がする。)
「分かりました。どうすればいいですか?」
雨宮さんが笑顔で頷くと、入り口に顔を向ける。
「ここじゃなんだし、君はダイブしたばかりで疲れているだろう。平静を保つにも時間は必要だ。少し社内で休憩するといい。……そうだ、飲み物と軽食は会社から出すから、良かったら食べて行ってよ。それで、落ち着いたら話をしよう。気分が悪かったら、後日でも問題ないからね。」
「いえ、問題ありません。ありがとうございます。」
「それなら、良かった。……そうだ、先に出来上がったセキュリティカードを渡しておこう。君専用のものだから、なくさないようにね。」
優しい声と共に、俺の顔写真付きセキュリティカードを首からかけて、背中をさすってくれた。それだけでなんだか胸があったかい気持ちになった。
社員証と書かれた真新しいカードのデザインは無駄にスタイリッシュだった。
⚜⚜⚜⚜
雨宮さんが会社の食堂へと案内してくれた。
「ここが食堂の『ひとつ』さ。ゆっくりしていって。」
とてつもなく大きなエリアで、観葉植物なども配備されており、清潔感がある。スタッフと思わしき人が数人休憩しているようだが、十分にスペースが確保されているので、話の内容を聞かれる心配はなさそうだ。
中途半端な時間にも関わらず、厨房にはスタッフが常駐しており、せわしなく料理を作っている。いい匂いが食欲を刺激した。
(そういえば、昨日から、ほとんど食べてなかった気がする。)
「なんでも頼むといい。そのカードで会計される仕組みだけど、君の分は私が支払うようにしてあるから、安心していいよ。」
「このカード、会社を通るためのものじゃ…?」
雨宮さんがクスっと笑うと、自身のカードを持ち上げる。
「もちろん。それも機能のひとつ。他にも食堂の会計、交通機関との連携で、交通費をカードで管理もできる。わが社が提供しているセキュリティカードシステムだよ。これひとつとっても、様々な会社へ提供させてもらっている。経費を計算する部署からは絶賛してもらっているよ。タスクが浮くし、管理が楽だからね。」
「う~ん。話は難しいのですが、タダで食べられるんですか?」
「君に限っては、そうだね。だから安心して、なんでも食べるといいよ。ちなみにオススメはカレーだ。専務がカレー好きでね。本格的なスパイスを使ったものが食べたいと言うもんだから、わざわざルートを構築してメニューに加えたんだよ。」
促されるまま席に座る。席にはタッチパッドがセットされており、料理の画像が所狭しと配列されていた。どうやらこれを押せば、注文の料理が届く仕組みのようだ。
「すごい…寿司、ピザ、チキン、ハッシュドポテト!そしてデザートのケーキまで…なんでもある…!」
「気に入ってもらえたかな?」
「は、はい…!」
雨宮さんはそれを聞いて、満足そうに優しい笑みを見せた。
せっかくなので、俺はオススメされたカレーを選び、二人でゆっくりと雑談しながら食事を楽しんだ。
カレーの味は、おそらく専門店に匹敵するほどに美味しかった。専門店に行ったことがないから、推測するしかないが。今まで食べた中で一番スパイシーで、口に運ぶ度に食欲が掻き立てられるような味わいだったのは間違いない。
話の中で、キャラ作成のAIが言うことを聞いてくれなかったこと、気が付いたらモヒカンになってゲームが始まったこと、俺が牢獄にすぐぶち込まれたことなどをたくさん話した。
「ぷ……あははははは!!やっぱり君は面白いな。私が見込んだ通りだ。く…わはははは!」
「そ、そんな笑わなくても……。結構、大変だったんですよ…?」
「ごめん、ごめん…!はぁ…笑った、笑った。そうだね、君が言う通りなら、その子(AI)はおかしな挙動をしている。あとでチェックを入れてみよう。報告してくれて、ありがとうね。」
「は、はい!…よろしくお願いいたします。」
⚜⚜⚜⚜
食事もそこそこに、時計の針が17時30分を回ったころ、雨宮さんが、唐突に提案を出してくれた。
「ところで、優斗くん。……君さえよければなんだけど、うちで働いてみる気はない?」
「え…ええ!?」
またもやイタズラに成功したような笑みを浮かべ、話を続ける雨宮さん。
「あぁ、働くといっても、君は学生だし、勉学もある。だから形式としてはアルバイトになる。基本的には土日、いつでも来てくれていい。忙しい週については、出勤は必須じゃないから、そこも安心していい。食費も交通費も気にしなくていい。どうかな?」
(すごい高待遇…でもどうして俺なんだろう…それに、あんまり難しいことはできないし。)
「…とてもうれしいのですが、難しいことはできないかもしれません。」
「大丈夫、やってもらうことは、今日と同じだからね。」
「…今日と、同じ?」
「っそ。今日と同じで、ゲームにダイブしてもらう。しばらくはそれだけでいいよ。」
「えっと、俺はテストプレイを続けていけば良いんでしょうか。それなら、できそうですけど……。」
「うん、商談成立だね。今回からお給料もキッチリ出すし、交通費と食費ついては卒業までは私の社員カードから払い出されるように、取り計らっておこう。あと……住み込みでバイトしたいときは、何時でも声をかけてね。この後は事務処理があるけど、それは別の人が担当するよ…何か質問はある?」
「あの…。どうして、俺なんかを、こんなに優しくしてくれるんですか。」
雨宮さんは、優しい表情のまま、しばらく思案している。
沈黙が続くが、やがて口を開いた。
「…秘密だよ。でも、悪いことをたくらんでいるわけじゃない。それだけは信用してほしいかな。」
「それは、見ればわかりますけど…。でも、俺は雨宮さんに何もできていません……。」
雨宮さんが笑顔のまま答えてくれた。
「大丈夫、もう既に今日は楽しい話をいっぱい聞かせてくれたじゃないか。それだけで十分だよ。」
「っ…。」
俺の頬から自然と涙がこぼれる。
ずっと自分の居場所がない気がしていた。ずっと自分が自分じゃない気がしていた。
ほんの少し ほんの少しだけだけど、『自分で選び取った道』に光が差してきたようだった。
そう思うだけで…。
「あれ……。」
急に涙が止まらなくなった。
「優斗くん。……ほら、これで拭いて。」
雨宮さんがハンカチを渡してくれた。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。俺…。」
「うん。大丈夫。…これから、きっとよくなるから。ね?」
「…はい。うっうう……。」
「よしよし、落ち着いたら、会社の前まで送ってあげよう。」
それからしばらくの間、涙が止まらなかった。
雨宮さんは、ずっとそばで肩を優しく叩いてくれていた。
⚜⚜⚜⚜
会社から出る頃には、日もすっかり沈み切っていた。時刻は19時30分。
事務の方に手伝ってもらい、提出しなくてはならない書類は残っているものの、アルバイトの仮契約自体は無事に終わった。俺は今日からアストラルの社員ということになる。
(なんだか実感が無い…けど。)
鞄から見える社員証が嘘ではないことを示してくれる。
(そういえば、最初から『社員証』だったな。)
テスターだけならセキュリティカードの発行で済む。わざわざ社員証を作る必要はない。お兄さんは、俺が受けてくれるって信じていてくれたのかもしれない。
(俺も雨宮さんに応えたい。まずは書類を揃えるところからだけど…。)
振込に必要な口座はアプリでかんたんに申請できたし、必要な書類も揃えられそうだが、親の同意書だけは絶対に得られないだろう。なので、しばらくは秘密でバイトする形になる。全部が全部、うまく進めばよかったんだけど。
「うーん。前途多難。今日はそろそろ、家に戻るかな?」
22時くらいまでは、習い事を延長したと言い訳ができることを考えると、少しばかりの時間的猶予がある。
「ん?あの子は…?」
会社から出たタイミングで、見覚えのある少女が退屈そうにベンチに座っている姿を目撃した。
(俺が警備員さんを観察していたベンチだ。そして座っている子は、ダイブ前に別室へと別れた子だ。)
少女は退屈そうに足をブラブラさせていたが、俺の存在を認めると、慌てて立ち上がり手を振ってくれた。
「あっ…優斗さん…!」
メガネをかけている目立たなさそうな子、今は俯いていないので、顔立ちが幾分かわかる。長い黒髪をなびかせ、メガネの中からは、クッキリした目元が印象的、少し口角の上がった小さな口から、機嫌は良さそうである。同い年くらいだと思うが、制服じゃないから学校は分からない。シンプルなシャツにスカートと、当たり障りのない服装だが、顔立ちが良いのでとても似合って見える。
少しだけ印象が違って見えたのは気のせいだろうか。
(俺、あの子に名前なんか教えたっけかな。あ、ノートに名前書いてたっけ。いや、そんなことより…。)
「えっと、何をしていたんですか?」
「優斗さん…待ってました。」
「俺を…?なぜ?」
「……っ。」
「…。」
そこから会話に発展しなかった。
仕方がないので、何か提案してみる。まだ時間は余っているから、大丈夫だと思うけど。
「コンビニでアイスでも買って、駅まで一緒に帰る…?」
「(コク)…。」
少女は一度頷くと、俺の横に立った。どうやら一緒に歩いていく意思があるようだ。
道中、一度だけ会話ができた。内容はもちろんフルダイブゲームについて。
「あのゲーム、凄かったね。」
「…うん。」
「NPCは実際に生きているみたいだったし、牢屋の石畳なんて、実際に踏んでいるみたいに冷たくて。」
「ろう…や。……え?」
「君はどこでログインしたの?」
「……それが、わからなくて。私も、優斗さんに聞きたくて。……っ。」
「ヴァルザック騎士団が統治しているレーンの町ってところみたいだけど。知っている?」
「いえ……。」
「そっかぁ。やっぱり、テスター空間と言えど、想定よりもずっと広い世界なのかもしれないね。」
「…。」
それからたいした会話もなく、コンビニに到着し、各々で好きなアイスを買って食べた。
駅に到着する前に、彼女からスマホを差し出された。
「あの、優斗さん。これを…!」
「…ん?」
彼女が両手で差し出したスマホの画面には、通話アプリの友達登録画面が表示されている。
「もしかして…友達になってくれるの?」
「(コクコク……)」
「…ありがとう。」
"ピロン"
「これからよろし―」「…っ」
登録を確認するや否や、彼女は駅の階段を駆け上がっていってしまった。何故なのか。
「う~ん…。まぁいいか。」
(そういえば、名前なんだろう?)
友達の枠に新たに加わった個所には、デフォルトアイコンに『
(東条さんか…。)
新しい仕事、新しい友達……激動の日であった。
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