第3話 モラル25の不審者


 次の週の土曜日 朝9時


 俺は雨宮さんの指定する時間にゲーム会社のアストラルへ向かった。先週、あの強面の警備員さんに散々怪しまれながら、なんとか受付までたどり着いたことを思い出す。


(今回はスムーズにいくといいけど…)


 やや混雑した電車を乗り継いで現地に到着すると、先週ほどではないにしても大勢の人が会社周りに集っており、中ではオンラインテレビ局からインタビューを受けている一般の人までいた。


 インタビューの内容は、βテスト開始前ということもあり、話題性だけしか取り上げる要素がないためか、毒にも薬にもならないような話に興じている。


「では、テスターの抽選のために応募用のアカウントを600個も用意したということですか?」


 アナウンサーが大げさに驚き声を張り上げ、周囲からの注意を集めようとする。それに対して、照れながらも両手を後ろに組んだ男性は頷いて答えた。


「えぇ、アカウントの用意はさすがに骨が折れましたよ。妻にはそんなテストのために私との約束を台無しにしたのかとローキックをぶちかまされまして。こっちの骨は本当に折れるかと思いましたよ。」


「それは大変でしたね!!」


(…そっか、社会人は抽選で応募する方法もあったんだ)


 βテスターの募集方法は多岐にわたるようだ。有名ストリーマーの応募なら、さほど苦労しないだろうし、物量戦法で応募する方法もある。中でも面接して受ける形式は敷居の高いものだった。


 そんなことを考えつつも、俺はアナウンサーに目をつけられないよう、そそくさと集団の合間をすり抜けていく。


(よし、第一関門突破だ!)


 だが、本当の試練はここからであった。嫌な予感がする。


 会社の出入り口に目をやると、案の定、あの時の強面の警備員さんが立っていた。奴は目ざとく、こちらに気づくと、鋭い視線を向けてきた。ハンターの目だ。


(あの時は従業員用出入り口の見張りだったのに、今日は正面入り口の警備か…?)


 俺のことをすっかり忘れ去っていたようで、また性懲りもなく訝しげに遠方から俺を見つめてきている。なにやらインカムで呟きながら、俺の動きを目で追っているのが分かる。


 俺は慌ててポケットから、しわくちゃになったチラシを取り出し、警備員さんに接近。接近戦を試みる。


 俺は受かったのだ。気分は水戸の偉い人だぞ。


 警備員さんは俺の武装(しわくちゃのチラシ)を一瞥すると、「あ、あの時の小僧…!」と言わんばかりのハっとした表情を見せ、対峙する姿勢を見せた。


 俺は渾身の一撃をみまうが如く、そのチラシを警備員さんがよく見える位置までもっていく。


 彼の目が丸く輝く。驚いているようだ。


(これで分かっただろう。お前は、もはや、これまでだ。いいから黙ってここを通すがよい!)


 心の中で警備員さんにとどめをさし、もう通っていいだろうと進もうとすると、手で止められた。


 彼を見れば、無言で首をゆっくりと横に振ったのだった。


(こいつ、できる…!!)


 しかしながらこのチラシは誰でも手に入るシロモノなので、よく考えたらこれだけじゃ受かったと伝えるには不十分だったかもしれない。


 このガーディアンは大手門のように鉄壁な守りを体得しているようだ。


 仕方がないので、卓越したコミュニケーション能力でその場を切り抜けられるか試みる。


「俺、ゲーム、受かりました。あなた、ここ、通す。よろしいか。」


 心なしか、ゴーレムのような会話になってしまった気がするが気のせいだ。緊張とは人のパフォーマンスを著しく落とすものなのだ。俺は悪くない。


「そういった虚偽の申請が、昨日から断続的に続いており、今週に入って340件も発生しました。お手数ですが、受かったのであれば書面で通知が届いているはずなので、そちらを提出していただけますか?」


 だが警備員さんの反撃も素晴らしいものだった。


 こうなっては最終兵器を出さずにはいられまい。


「っふん…。」


 俺は口の端を吊り上げ、スマホを取り出し、先週のSMSのやり取りを素早く開いた。


 対峙していた彼はただならぬ気配を感じ取り、唾を飲み込む。


 俺は頷き、雨宮お兄さんとのやり取りが綴られたスマホの画面を力強く映し出した。気分は水戸の偉い人である。


(ひれ伏せ…!)


 彼も恐る恐る、その画面を覗き見る。もしや重役の関係者か?一体どんなことが書かれているんだ?と言わんばかり。


 『優斗くんへ 土日のいずれか 朝10時に 講師:雨宮』


 警備員さんは文字を読み終わると、俺とスマホを交互に見て、無言で首をゆっくりと横に振った。『驚かすんじゃねえよ。塾の講師とのやり取りじゃねえか。』と言わんばかりに目を丸くしている。


(しまった。このメッセージじゃ警備員さんは虚偽の申請だって思うじゃないか!!)


 もはやこれまで。


 俺の大冒険はここに幕を下ろした。


 なので、今日のスケジュールは警備員さんの観察日記に変更だ。


 俺は会社の入口付近のベンチに座り、βテスターがどんどん会社に入っていく光景を眺めた。他にすることもなかったから仕方がないのだ。俺の後ろで受付を待っている人もいるので、一旦の退却である。


 βテスターの合格者と思われる人たちが、こっちを見てひそひそ話を繰り広げ、笑っている。俺の後ろに並んでいた人たちだ。


「ねぇ見て、あの子。テスターのフリでもしようとしてたんじゃないの?」「うっそー!まとめサイトでもそういう人が続出って書いてたよね!本物じゃーん!」「人の迷惑考えてほしいよなぁ~。」「…。」


 受かったであろうβテスターたちが言いたい放題言ってビルに入っていくぞ。


 もしゲーム内で出会うことがあれば、正式サービスで色々してやると心の復讐ノートに誓った。



 ⚜⚜⚜⚜



 10時25分


 約束の時間からそろそろ30分もオーバーしてしまう。βテスターたちは一通り会社へ集まったようで、会社の出入りがほとんどなくなり、警備員さんの動きも見栄えのないものに変わっていった。あれだけ張り切って誘導していた会社の守護者は、俺同様にすることがないのか、今や動かない石像と見分けがつかなくなった。


(もう帰ろうかな…。)


 警備員さん銅像のようにがピクリとも動かない以上、観察日記もバッドエンドでおしまいだ。


「あのう…。」


「…?」


 観察に気を取られすぎて、ベンチに座っていた俺の目の前に人が現れたのに、まったく気が付かなかった。一生の不覚。


「あの…!…その…大丈夫ですか…?」


「……。」


 声をかけてくれた子は長髪の黒髪で、メガネをかけている目立たなさそうな子だった。俯き加減から、顔はよく見えないが同い年くらいな気がする。とてもか細い声。放っておけば、風にさらわれてしまいそうな繊細な雰囲気をしていた。


「…。」


 それにしても出会い頭に、大丈夫なのかと声をかけるなんて、なかなかのご挨拶をするじゃないか。俺はそんなにおかしなことはしていない。縁もゆかりもない会社の前で座って、これまた縁もゆかりもない警備員さんを眺めているだけだぞ。


「大丈夫だと思います。」


「…そうですか。」


 女の子は残念そうな表情をした。


 大丈夫じゃない方がよかったのだろうか。ここは気をつかって腹痛でも訴えてみるか。


「その…見えていた、ので。心配で……。」


 一体なにが見えていたというのだろう。俺は何もしていない。もしや心眼でも持っていて、この先起こる出来事でも見得ているのだろうか。もしくは霊的なオーラを感じ取れるとでもいうのか。その言葉から真意を推し量るにはあまりにも難しい。だが、俺は当たり障りのない返事をさせたらクラスでも文字通りのトップクラスである。どんな言葉も冷静に受け止めて、そして必殺の一言で締めくくってみせるのだ。


「そうなんですね。」


「…はい。私も、忘れちゃって。」


 それだけ言うと俺の横に座った。特に断る理由もないので放置しておくことにした。


(はて。忘れた…?何を…?)


 俺は手元のノートに目線をやる。警備員のここ1時間分程度の行動をつぶさに記録した偉大なる書籍である。もしかして、彼女も警備員の観察をしたくて…?だけどノートがないのか。


(なるほどな…)


「よかったら、どうぞ。」


 俺は偉大なる書籍を、俯く少女に手渡した。これで君も仲間だ。


「へ…?あ、ありがとう?……???」


 少女はノートを受け取り、内容を読み込んでは顔をしかめている。現実に頭に疑問符をつけられる機能があれば、3つは堅いだろう。


(やはり、素人には、偉大なる書籍の内容を理解するのは難しかったか。もう習い事でも受けなおしに行こうかな。せめてもの情けだ。それは記念にくれてやろう。)


 撤収を検討し始めたその時だった。


 トゥルルルル……!


 けたたましくスマホが自己主張し始めた。俺は慌てて画面を見ると、雨宮さんからの着信であることがわかった。時間は10時30分を回っていた。急いで出る。


「はい、末包です。」


「優斗くん?雨宮だけど、今どこにいるの?」


「アストラルの下です。入場に紙の通知が必要なようで…。」


 束の間の沈黙が続き「あちゃ~…そうだった」という声が小さく聞こえた。


「ごめん、優斗くん、今すぐそっちに降りる。お手数かけちゃうけど、待っててくれる?こっちの不手際で本当にごめんね!!」


「いえ、こちらこそお手数をかけてしまい、すみません。」


 5分も待たずに髪の長い優しそうなお兄さんが割と必死な様子で入口から出てきた。キョロキョロ見まわし、こちらの存在を認めると大きく手を振って走ってきた。目立つ位置にベンチがあってよかった。


「優斗くん!ごめ~ん!!」


 この発言をした相手が美少女だったら、俺は『人生で叶えたいシチュエーションベスト10』の一つをたった今クリアしたことになるのだが、現実は厳しい。


「いえ、俺も今来たところです。」


 せめて気分だけでも美少女と待ち合わせるシチュエーションを作るべく、そんな言葉を申し上げる。


「え、今来たの!?」


「あ、いえ…そう言ったほうが良いかと思いまして。すみません、本当は10時からここにいます。」


「そっか…やっぱり待たせちゃってたか。原因は……。」


 雨宮お兄さんは、ニコニコした表情を崩し、警備員さんに目線を移す。


 当然、奴は「あっやべぇ!あいつ嘘ついてなかったああ!」と言いたげに後ずさりをした。その姿はまさに強敵が現れた時のかませ犬そのものであり、目を見張るものがあった。こんな綺麗な後ずさりは人生において、そう何度も見れるものじゃない。だが、彼は仕事をしただけなので、このあたりで助け舟を出してあげるべきだろう。


「あの、雨宮さん。警備員さんの仕事は完璧でした。対して、俺は雨宮さんに配慮してもらったのにも関わらず、ちゃんと警備員さんと事前に話をつけていませんでした。規定と違うことをしたのに、何が必要であるかを事前に雨宮さんに確認をとれませんでした。もっと言えば、すぐに雨宮さんに電話するべきだったかもしれませんが、忙しいかもと思って勇気がでませんでした。なので、俺の責任です。時間をとってしまって、すみません。」


 久しぶりにこんなに言葉を発したかもしれない。だけど、なぜかは分からないけど、この人に対してだけは、誠実でありたいと思ったのだ。それに、至らないところを謝るのは得意だ。もしかしたら一番得意といってもいい。


 雨宮お兄さんのキョトンとした顔が俺の方に向けられる。


「君は、私たちの不手際に対して怒っていないのかい…?」


 雨宮お兄さんからの発言は、俺にとっては趣旨を理解しかねる内容だったが、質問内容に答えることくらいであればできる。


「はい、怒っていません。むしろ申し訳なく思っています。」


「……そうか…君は謝ってくれたが、君の理屈を汲み取って考えれば一番最初に提案をした私にこそ非がある。本当に申し訳なかったね。この埋め合わせは必ずさせてもらうよ。」


「本当に気にしないでください。」


 雨宮のお兄さんはニコニコ顔に戻って頷くと、横で座る少女に目をやった


「それと……君は、優斗くんの知り合いかい?」


「…っ」


 少女は雨宮お兄さんの注目を受けるや否や、ビクっと体を震わせ、何かを言おうとしているようだが、うまく言葉が出てこないようだ。俺はその気持ちがなぜだか痛いほどわかった。初対面の相手って緊張するものなのだ。


 代わりといっちゃなんだが、代弁しておいた。


「知り合いです。」


「そうか…なら、君も一緒に来るといい。私の権限で通してあげよう。」


 やりたい放題じゃないか。雨宮お兄さん。俺の知り合いってだけで通すのもどうなんだ。ついでに言うとさっき知り合ったばっかりだけど。


「ほら、もう時間がない。急いで!」


 弁明する間もなく、雨宮お兄さんは俺たちを社内に案内する。警備員はすれ違い時に頭を深く下げ、俺たちが歩く道を譲ってくれた。



 ⚜⚜⚜⚜



 見覚えのあるネジネジアートのコーナーを抜け、ロビーを過ぎる。


 先ほど知り合った少女は、特に何も発言することなく、俯き気味で俺たちの後ろをついてきていた。


 ミュータントでも閉じ込めていそうなほどの堅牢なセキュリティを数回潜り抜けると、今までとは違う、大型のエレベーターに入った。


「もうすぐだよ。」


 雨宮お兄さんがエレベーターのボタンを押す。僅かながら体が軽くなるような感覚がした。ゆっくりとした下降が始まり、まるで水中を漂っているかのような浮遊感に包まれる。この感覚が苦手な人って割と多いのだとか。


(なんだか、ドキドキするな)


 エレベーターが稼働して10秒程度経過したとき、唐突に雨宮お兄さんは俺たちの後ろを指す。


「二人とも、振り返って見てご覧。」


 言う通り振り返ってみると、窓の外の景色は、真っ黒な壁から突如一変した。


 真っ黒だった窓の世界は、眩しくも輝かしい人工的な光に変化し、現実とは思えないほどに整然とした空間が広がったのだ。


 その空間はドーム状で構成されており、野球場ほどの広さがありそうだ。俺たちが乗ったエレベーターが丁度、建物の中央部にあたる。そのため、ガラス張りの箱から建物全体の開放的な構造が一望できたのだ。


 建物全体が白を基調とした作りで、先進技術を詰め込んだ機械のようなものがたくさん見える。それらは最新鋭の技術を惜しみなく注ぎ込んだとしか思えないほど洗練されたデザインなのは、素人目に見ても容易に判断ができた。


 流線形の構造物が中心と成し、俺たちを歓迎するかのように視界いっぱいに広がり、迎えてくれる。それは、まるで近未来的な医療現場に突如放り出されたような錯覚すら感じさせてくれた。


「す、すごい……。」


 思わず声に出さずにはいられなかった。雨宮お兄さんはいたずらに成功した子供のような、満足そうな表情を浮かべ、俺たちの背後から自信たっぷりに伝える。


「私たちは、君たちが思い描く理想、君たちが求めるものを、君たちと同じ方向を向いて、常に思い描いている。ここで私たちが行っている仕事が尊いものであること。娯楽とは本質的に必要であることを是非知ってほしい。」


 下降するにつれて、その空間はさらに広がりを見せ、地下空間にも関わらず、噴水や木々が点在している様子も確認できた。研究者らしき人たちが行き交い、マグカップ片手に意見交換する様も伺えた。


「私たちアストラルの技術形態が…とりわけ非現実的世界の構築環境が、みんなの『希望』や『欲望』…そして抑圧に触れて、どのように機能し、そして、どう変化していくか。考えるだけでも毎日が発見の連続だ。その大きな可能性と課題に皆、仕事を介して共通のビジョンを持っている。君たちも今日から、その仲間の一人ってわけさ。」


 お兄さんが言っていることは意味が分からないので、俺はすぐに半分程度を頭の外に放り出した。多分、世界の役に立ちたいみたいなことを言っているんだと思う。


 やがて、八角形を大量に内包した筒状の空間を前にしてエレベーターが停止する。


「ようこそ、アストラル開発室へ。」


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