第2話 モラル50の悪い子ちゃん。


 土曜の朝10時


 結果から言えば、親や習い事の先生の目を欺くのは難しくなかった。


 欺くと言っても学生証、筆記道具とテストの結果など、成績を証明できる物の一部と、習い事に必要な道具を持って、いつものように家から出るだけ。持ち出すものが変わらなければ、疑われることなどない。


 ちなみに今日はテニスのお稽古が予定されていた日だったので、怪しまれないように、ラケットと着替えをカバーに入れて持っている。不自然に膨らんでいるが、問題はない。βテスターの応募に必要ないものを会場へ持ち込むのはどうなんだ、という懸案事項はあるが。


 習い事の先生には先んじて電話し、「他の習い事と並行していく」と言い訳をするだけで済んだ。家の事情に踏み込むような物好きなんてそうそういないだろう。俺が通う先生も他人行儀を擬人化したような性格だったから、誤魔化すのは楽だった。


 面倒な点をあげるとすれば、習い事に向かうフリをするために、道具を持ち歩く必要があるところだろうか。


 そんな涙ぐましい努力の元、家を出ていつもとは違う電車に乗り継ぎ、βテスターを募集しているというゲーム会社までやってきたのだ。



 ⚜⚜⚜⚜



「すげぇ……。」


 首都のど真ん中。広大な敷地を贅沢に買い取った庭園付き高層ビルを構えるAAAクラスのパブリッシャー「Astral Co., Ltd.(アストラル)」は噂通りの規模だった。入口付近には噴水やベンチがあり、鉄を無理やり捻じ曲げたようにしか見えない抽象的なアートまで点在していたのだ。


 普段であれば、そんな異次元空間、入りづらいことこの上ないが、今日は俺と同じ目的をもった人たちが一緒だ。人、人…人だらけである。


 βテスター志望であろう人たちの背中に続き、無事に庭園まで侵入。


 皆は点在しているアート群や、丁寧に植えられた花たちを指し「おしゃれ」だの「やっぱり金持ち企業は違う」などとそれぞれ好き勝手に感想を述べている。


「はぁ~…すんごいなぁ~……このねじねじはなんだ?」


 規模に圧倒され、アートを鑑賞しつつ歩いていると、彼らたちとはぐれたようだ。


「……あれ?ここどこ?」


 会社の庭園程度で迷子になるとは恥ずかしい。だがそれくらい広いのだから仕方がない。


 少しウロウロして、ようやく入口らしき場所までやってきた。人はいないが、警備員が立っている。


 訝しげに見てくる警備員にくしゃくしゃの跡が残ったチラシを渡すと、幾分か軟化した態度を見せた強面のお兄さんが一言。


「ここは関係者用の出入り口です。テスター募集の入り口は向こうですよ。」


 親切にも受付会場まで案内してくれたので、礼を言って別れる。


「とうとう、ここまで来てしまった…」


 受付会場に到着。


 ここにも訳の分からないアートがあり、滝のような壁まであった。社長はネジネジアートが大好きらしい。もはや、あまり驚かなくなるというか、目が慣れてしまった。今日だけは俺もセレブの目だ。毎日見ていたらそのデザイン性に何かしらの発見を見出せるかもしれないが、俺がここに来ることは、おそらくこれっきりだろう。なんてたって…


「すごい人の数…。」


 この場所も相変わらず、見渡す限り、人、人、人……月曜の朝の病院でももう少し空いていると思えるほどの数だったから。


(これ、全員βテスター希望者なのかな?)


 老若男女、家族連れ、友達同士、客層の幅はとても広い印象を受けた。とてもじゃないが、受かる気がしない。


 臨時で雇ったと思われる人の案内で、番号を受け取る。


 オシャレ度1万パーセントなロビーでは想定以上の人が番号を取って順番待ちをしていた。受付会場とロビーは分かれているのに、どちらも満員御礼。とんでもない人気っぷりである。


 スタッフは次々と番号を読み上げ、人が流れていく。VR技術があるのに、そこはアナログなんだなと思いつつも、俺もその末席に加わった。


 隣で座っている男は膝をゆすっていたが、それに反して俺はウキウキしていた。


(なんか、楽しいな。)


 なんてことない退屈な作業だが、待つことでさえ、なぜだかとても楽しいと感じた。


 βテストに受かるかどうかも分からない。だけど、俺は自分の意志でここまでこれたこと(ただ会社に向かっただけだが)が嬉しかったし、それが楽しいと思えた。自分で初めて、何かを決めたような気持ちになれたからだろうか。


「2351番さ~ん。」


(呼ばれた…!)


 βテスターの希望者はこんな大人数だ。


 だから結果はあまり期待しないことにしていたのだが。



 ⚜⚜⚜⚜



 名前を告げると、綺麗な女性に案内された。


(近くにいるだけで良い匂いがする)


 一流企業となると、匂いまで一流なんだ。


 でも、そう思うこと自体、キモがられるだろうか。


 でもいい匂いなのだから仕方がない。お姉さんはきっと許してくれる。


 しょうもない葛藤を脳内で展開するくらいには待たされた。


 更に何時間か待って、ようやく俺の番がきた。


 ここまで時間がかかったのも仕方がないのかも。何故なら、まるで企業のソレとも思えるほどの、しっかりとした面接形式でテスターを絞るようだったから。しかも、一人一人、個室に通している徹底ぶりだ。


 この時点で、目算で3割程度が面接を受けずに帰ってしまったと思う。


 俺もプレッシャーがかかって、ちょっとだけ帰りたいとは思ったが、せっかく自分で決めたことくらい、最後までやろうという気持ちで面接に挑んだ。我慢して待つこと自体は苦でもなかったし。


「次の方、どうぞ!」



 ⚜⚜⚜⚜



 面接室に入ると、優しそうな表情をしたメガネの長髪お兄さんが出迎えてくれた。さすがにお兄さんまでいい匂いはしなかった。


「いらっしゃい。どうぞ、くつろいで。」


 俺が学生であることをすぐ見抜いたのか、三割増しの優しい笑みで席に促されたので、ひとまず自己紹介して座ることにする。


「はい、失礼します。黒沢高校2年の末包優斗すえかね ゆうとです。よろしくお願いいたします……。」


「自己紹介ありがとう。私は雨宮 哲人あまみや てつとだ。Boundless Realm《バウンドレス レルム》におけるAI開発のロードマップ策定、ディレクション、およびナラティブデザインを担当するリードアーキテクトで、KPI達成に向けたQCマネジメント、セクション別AIプロダクトのROI評価に基づくQCを統括するチーフオブザーバーも兼務している。よろしくね。優斗くん。ちなみに今日はもう時間がないから、君の面接を終えたら退席させてもらうつもりだよ。聞きたいことがあれば、この時間内でお願いね。」


 何やら長ったらしい攻撃呪文か何かが聞こえてきたが、よくわからないので頷いておく。ついでに謝罪しておけばいいだろう。


 我ながら完璧な処世術だ。


「はい、よろしくお願いいたします。すみません。」


「ふむ…?」


 優しい声で席に促され、言われるがままに座る。


「荷物…テニスラケットとカバーはそこに置いてていいよ。」


「あ、ありがとうございます。」


「……ところで優斗くん。少し、頬が腫れてるみたいだけど、何かあった?ケガでもしているの?もしかして、会社に来てからケガした?」


「あ、いえ。これは、会社外で起こったことです。なので、ご心配には…あ、やっぱり、なんでもありません。すみません。」


「ふーん……。」


 それ以降、沈黙が続いた。


 雨宮お兄さんと向かい合うが、どちらも話を切り出さない。お兄さんはニコニコしたままこちらを見据え続けて、何も言わないし何もしない。一体何を考えているのかもわからない。しいてわかることと言えば、そのキツネのような細い目で、俺の顔、着ている服、体格、そして持ち物…全体を俯瞰的に見ていたことくらい。


 俺も失礼がないように、ずっと待ち続ける。もしかしたらもう何か始まっているのかもしれないのだ。俺の培ってきた我慢強さを舐めないでほしい。これは我慢アピールのチャンスだ。だんまり大会なら負けたことがないことを教えてやろう。


 やがてお兄さんは「なるほど…?」と感慨深げに唸った。その次に発せられる言葉から、このキツネ兄さんが只者ではないことが分かった。


「君、お父さんかお母さんに内緒でここに来たの?」


「…!?」


 なんだろう、超能力者って本当にいるんだな。さすが一流企業だ。何も言っていないのに、俺の一世一代の逃避行動を見抜くとは。


「はい、そうです。……私は雨宮さんのように超能力は使えませんが、応募させていただきました。自分の意志でここまで頑張って電車で来ました。」


「ぷ…あははは!なんだい、その返し!あははは!!」


 優しそうな表情を張り付けていた顔は一瞬で瓦解し、腹をかかえて笑い出した。


「いえ…だって…あ、すみません。やっぱり、なんでもありません。」


「あははは!!はぁ……久しぶりに笑ったよ。あぁ、まずは…どうして分かったか、きっと知りたいだろう。けど、そんな話をするために時間を作っているわけじゃないし、君だって気分のいいものじゃないはずだ。ともかく、本題を進めようか。私は質問を重ねるのは好きじゃない。だからひとつだけ聞かせて欲しいけど、いいかな?」


「はい、よろしくお願いいたします。」


 キツネのような目は鋭く開かれたり。


「…優斗くんは、どうしてβテスターに応募したんだい?」


 超能力者でも分からないことはあるようだ。ここは真摯に向き合うべきだろう。だがなんて言えばいいのかわからない。このクソ忙しそうな人間に向かって、赤裸々に昨日感じたことを長ったらしく語るのか。いや、それは絶対に間違いだ。きっとうんざりしてしまうだろう。俺も思い出してうんざりするし、相手の気分をむやみに下げたくない。それに恥ずかしい。


 ない知恵を振り絞って出てきた答えは……


「…。」


 なんと、『出てこない。』が出てきたのだ。


 これには雨宮お兄さんもガッカリに違いない。


 だが、予想に反して、このお兄さん。興味をそそるように俺を見つめている。


「へぇ……興味深い。」


 メガネをくいっと引き上げ、まるで研究対象のように。


 俺は実験モルモットじゃないんだけど。


「すみません。」


 辛うじて出てきた言葉が謝罪とはなんとも情けない。だがお兄さんは怒ることなく頷いてくれた。


「うん、いいんだよ。沈黙も立派な回答のひとつだと私は思う。むしろ……」


 なぜか肯定までしてくれた。


 やがて、お兄さんは言葉を切って席を立ち、ゆっくりとした動作で背後にある大きな窓に向かい、語り始めた。その仕草は陰謀をくわだてるボス風味が漂う。


「優斗くん。私はね、今日は数十人と面接したよ。受け入れられる度合いが高そうな言葉が飛び交い、煌びやかな経歴が列挙されていく時間。デバッガーを自称する者もいれば、うちの会社がどれほど素晴らしいかを語り続ける者もいた。製品の情報を誰よりも知っていると豪語し、実際に披露してみせる者まで。……他にも、考え付く限り全てのパターンがやってきた。」


「…。」


 経験上、大人が何か難しい言葉を並べているときは黙っておくのが吉だと俺は知っている。質問したり、何か口をはさんだり、理解を示したりしてもだめだ。厄介なお母さんを通して俺は学んでいる。


「――つまり、君は想定外の変数だ。ほんの気まぐれだったけど、反対を押し切って今日、面接官の一人として参加してよかった。」


「…!?」


 なぜか褒められた気がする。面接とはかくあるべきなのか。


 俺はテニスラケットと着替えくらいしか持ってないのだが。


 俺が面接官なら、今頃、君はテニスプレイヤーなのかどうか、スマッシュやカーブはできるのかどうかなどを聞いていることだろう。やはりこの男、デキる。


 やがてデキる男は振り返ると、ニコやかな笑みを送った。


「……うん。決めたよ。君、合格。正式にプレイヤーに推薦しよう。」


「!?!?」


 これといった会話をすることなく、座っているだけで合格してしまった。しかもたったひとつの質問しかしていない。


 こんなことってあるんだろうか。いや、雨宮さんが適当っていう線もある。


 むしろ早く仕事を済ますために適当にクジか何かで事前に合格者を決めているに違いない。そのほうが幾分か納得できるというか、腑に落ちる。それくらいには判断基準が意味不明だ。


「ありがとう…ございます?」


「良いんだよ。…あ、そうだ。今後のやり取りだけど、君への通知とβ開始日は、私が直接優斗くんに携帯で連絡する形を取ろう。それでいいかい?」


 なぜ?と首元まで疑問が来ていたが、手紙だと母と父にすぐバレるじゃないか。と自分の頭の回転の遅さを実感した。


 この男は一瞬で俺の事情と背景を読み取ったに違いない。恐ろしい。お兄さんは恐ろしい。俺は覚えた。


「はい、よろしくお願いいたします。」


 もう俺は「よろしくお願いいたします」という鳴き声しかできない生き物と思われないか心配になってきた。だがそれ以外に言うことがない。


 雨宮お兄さんの連絡先を交換し、この日は帰った。


 後から知ったことだが、このお兄さん。某ゲーム雑誌でよくインタビューを受けている有名人であることがわかった。


 というのも、帰りに寄ったコンビニで、プレイする最新VRゲームの情報を収集しようとしたところ、表紙の一部にお兄さんが映っていたのだ。


 買うとバレそうなので、数分の立ち読みで済ませて帰路についた。


(すごい人の連絡先、もらっちゃったのか)


 ⚜⚜⚜⚜


 次の週の水曜日には、俺のスマホへ連絡が入った(ご丁寧に、雨宮お兄さんは塾の講師という体で連絡をしてきた)


 『優斗くんへ 土日のいずれか 朝10時に 講師:雨宮』


 しかも、のぞき見されることを前提とした、濁した文章だった。


 だがスマホは見られる心配はない。父と母は厳しいが、現状はそこまではしてこない。というのを伝えるのを忘れていた。それにしても…


 用意周到なお兄さんは恐ろしい…


(絶対に怒らせないようにしよう。)


 そう心に刻んだ。

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