モラル0のモヒカンサモナー

陣内亀助

第1話 モラル100のいい子ちゃん。


 金曜の夕暮れ時、騒音を運ぶ鉄の箱は、今日も人でごった返していた。


 Trrrr…


「ドァ~を閉めます。ご注意くださ~い。」


 独特なアナウンスを最後に、唯一の逃げ道が塞がる。やがて、側面から強い重力を受け始めた。


 窓の外を流れていく景色は、高層ビル群、ショッピングモール、マンション、住宅街…どれもこれも、どこか無機質で、色あせて見える。


「見て~!たっくん、夕日なまら綺麗なんだけど!ニニバの帰りに見れるなんて嬉しい!」


「おお、そうだな!…記念に撮っとくか?」


 隣でカップルらしき二人組がそんな会話を繰り広げている。ピンク色のキャリーバッグと黒色のキャリーバッグをお供させていることから、この辺りの人ではないのだろう。


 綺麗な西日は、観光客たちを喜ばせるが、今の俺にはどちらの風景も、目を背けたくなるほどに、ただただ眩しいだけの存在でしかなかった。


 せめてもの抵抗でため息をつきながら、カップルが視界に入ってこないよう窓の外をぼんやりと眺め、つり革を握りしめる。


(なんて顔してんだよ。今から予備校だってのに…。)


 窓に映る自分の顔は、疲れでくすんでいる。控えめに言ってヒドイ。


 そんな光景を見ているうちに、俺の心はますます重くなっていった。


 どこを見ても気分が悪い。


 窓から目を背けるために、ふと周囲を見渡す。


 スマホをいじっている人もいれば、目を閉じている人もいた。みんな俯いていて、なんだか葬式のように見える。誰もが、窮屈な空間に閉じ込められて、きっと息苦しさを感じているんだろう。俺もその一人だ。


 そんな日常を余儀なくされる、犠牲者の一人だった。


 ⚜⚜⚜⚜


 俺の名前は末包優斗すえかね ゆうと


 親の指示に従って動くだけの普通の高校2年。朝は学校に行き、授業を受ける。成績は悪くない。むしろ良い方だ。でも、それは別に勉強が好きだからじゃない。ただ、親に怒られたくないから、言われた通りに勉強しているだけだ。学んだことが活かされたと感じたことなど一度もない。身についたのは精々、我慢強さくらいだろう。


 昼休みは、クラスメイトと当たり障りのない会話を交わす。友達と呼べる存在はいるにはいるけど、心の底から打ち解けられる相手などいない。当たり障りのない会話を提供しつつ、相手が話したいときは聞き流しては相槌を打つだけ。そんな既定路線の作業を楽しいと思ったことは一度もない。


 放課後は、親に無理やり入れさせられた予備校に行く。授業は、正直言って退屈だ。すでに学校で習った内容ばかりだし、先生の対応も事務的で面白くない。周りの受講生たちは、みんな必死にメモを取っているけど、俺はただぼんやりと窓の外を眺めている。親の言い付けに逆らったことは一度もない。


 夜は、家に帰ってまず確定で母と父からお小言を言われる。


 その後は夕食を食べ、また勉強をする。そして、寝る。


 毎日、毎日、同じことの繰り返し。まるで、プログラムされたAIみたいだ。


 このままでいいんだろうか?心の奥底で、そんな疑問が渦巻いている。


 でも、どうすればいいのか、わからない。何がしたいのかも分からない。


 俺は、ただ、親が怖くて、言う通りに生きてきただけだ。

 自分の意思で何かを決めたことなんて、一度もない。そんなチャンスをもらったことさえ。


 このままで俺は、本当に生きていると言えるのだろうか?


 窓の外を流れる景色は、いつもと同じ、代わり映えのないものだ。


 ふと疑問を持った、今日このときから、自分の中に渦巻いている、いつもと違う何かを感じていた。


 ⚜⚜⚜⚜


 目的の駅に到着すると、乗客たちが一斉に動き出す。俺もその流れに逆らうように、ゆっくりと電車を降りた。駅構内はさらに混雑しており、人波に押されながらも負けじと出口へと向かった。


(ちょっとだけ間に合わないかもな…。かと言ってすることもない。)


 そんなことを考えつつも歩みのペースは変わらない。どうせ学習内容は知っているし、後から入っても講師は何も言わないからだ。


 改札を出ると、珍しくチラシ配りの女性が立っていた。いつもこの場所は誰かが歌ったり座ったりしていて、人が立っていればよく目立つから、ビラ配りの人は良い場所をチョイスしたと思う。その場所であれば1時間もあれば配り終えるだろうさ。


「どうぞ~。よろしくお願いいたしま~す!」


「…どうも。」


 断るのも面倒だったので受け取る。内容はゲームのテスター募集についてだった。


「VRMMO Boundless Realm『バウンドレス・レルム』βテスター募集中!超高性能AIを搭載した技術をいち早く体験しよう!今なら豪華特典付き!」というキャッチコピーが大きく書かれている。


(ふーん…)


 VRMMO、つまりバーチャルリアリティー式の多人数同時接続型のゲームだ。AIを搭載していると書かれていることから、最近流行りの高性能NPCと会話できたりするのだろう。


 VR技術が当たり前になってきた昨今で、軍用技術を流用したと噂の、超高性能なAIを織り交ぜた仕組みとなれば話題にもなる。ゲーム事情に疎い俺ですら、このゲームの存在は知っているくらいだ。


 ネット上の記事や、友達との会話の中でも頻繁に出てくることから、世間の期待値も相応に高いと見える。


 仮想現実の中で、まるで現実のようにゲームをプレイできる最新技術と、人との違いを見つける方が難しいほどの噂を引っさげたAIを搭載したとなれば、このβテストの応募は困難を極めることとなるだろう。


 下の項目を読み上げると、募集人数は千人程度と書かれていた。VR機材を会社側で用意すると考えると、とんでもない投資額であり、会社側も本気であるという熱量が伝わってくる。


(興味はあるけど…習い事もあるしなぁ…。俺には関係ないかぁ。)


 チラシの写真には、剣と魔法の世界で冒険を楽しむプレイヤー(βテスト中だから運営だろうけど)たちの姿が映し出されていた。


(どうせ今日は予備校だ。見に行くだけなら…いや、無理だな。言い付けが優先だ…。)


 俺はチラシをカバンへ乱雑に突っ込み、重たい足取りで予備校に向かった。


 予備校に着くと、いつものように、退屈な授業が始まった。先生が話す内容も、周りの生徒たちの必死な姿も、相変わらず、すべてが灰色に見えた。俺はただ、時計の針が進むのを待つだけだ。


 授業が終わると、俺は足早に予備校を後にした。早く家に帰って、布団に潜り込みたい。そんなことばかり考えていた。


 ⚜⚜⚜⚜


 22時40分


 「ただいま帰りました…。」


 家に着くと、案の定、母と父が待ち構えていた。母はチラっと時計を確認すると、腕を組みながら、見える方の人差し指をヒステリックにトントンと上下させている。


(あ~あ~、イライラしている。今日のお小言は特にヒドいだろうな…。)


「あら、お帰りなさい。 今日はいつもより10分遅いじゃない。何かあったかしら?」


 わざとらしい母の言葉から便乗するように、食事を済ませ、雑誌を読んでいた父も、読みかけの面を裏にして机に置き、話に乗っかる。


「優斗。予備校はきちんと通ったのか?」


「そうよ、せっかく良い高校に入学できたんだから、手を抜いちゃダメよ!」


「通ったから、遅くなったんです。」


 こうして母と父は連携プレイして俺を叩きのめすのが常套手段なのだ。いつもは黙って聞き流すところだが、何故だか、今日の俺は言い返してしまった。


 気に食わないなという表情を見せた父は、公明のように次の一手を繰り出す。


「そういえばこの前の模試の結果はどうだったんだ?」


(うげ、今その話するのかよ)


「えっと、それは――」


 弁明が終わる前に母から追撃が入る。


「清水先生から電話があったけど、ちょっと芳しくなかったみたいね?」


「もしかして、寄り道でもしてきたんじゃないか。友達と無駄話でも?それとも…ゲームセンターにでも行ってたのか?ダメじゃないか。」


「それで下がってたのね。そんなことしてる暇があったら、一秒でも多く勉強しなさいよ!」


 俺は弁明を重ねるという悪手を取ってしまう。


「寄り道はしていません。宿題は今からやりますし、成績は…普通に比べたら良いはずです!」


 そう言って、部屋に逃げようとするが母が引き留める。どうやら立て続けの反抗が逆鱗に触れたようだ。


「待ちなさい!優斗!宿題は『今から』やるんじゃないの!宿題は事前に『済ませておく』ものなの。時間をどう使っていればそうなるの?」


(他ならない、母である貴方が時間をそう使わせているというのに!)


 いつもなら我慢が効くが、この日に限っては、俺もなんだかむしゃくしゃしていた。


「言い付けを全て守っているから、宿題をする時間が捻出できなかったのですよ!今だって――」


「おだまりなさい!」


 バシッ


「…!」


 機嫌が悪いとは思っていたが、俺の頬が熱くなるまで、俺は状況を正しく把握できていなかった。


(頬を叩かれた…?)


 どうやら母は手まで出すようになってしまったらしい。見かねた父は、少し顔をしかめて言う。


「優子…その辺りにしておきなさい。さすがにやりすぎだ。……優斗、成績が良いと自負できるなら、一度も落とすことなく高校生活を終えることだ。いいな?」


 父は一部始終を全て見届けたうえで、どっちつかずな返答しかしなかった。


「…。」


 返す言葉もうんざりして出てこない。


 母も、やってしまったという表情を見せるが、すぐに怖い顔を貼り付けて腕を組みなおす。


「……お父さんがそう言っているわよ、なんとか言ったらどうなの?」


 これ以上反抗しても時間の無駄だ。もう何を言っても理解を示してはくれないだろう。


 沈黙を守っていると、父が追い払うように宣告する。


「…これ以上は時間の無駄だ。今日はもう部屋に戻っていいぞ。」


 自分の心の声と、父の発した言葉の一部がかみ合って、さらに嫌な気分が倍増した。


 無事、裁判長の父から許しを得て、俺は牢獄という名の部屋に戻った。当然夜ご飯は罰として抜きになった。


 お腹もすかなかったから、別にいい。


「ただいま…。」


 部屋で誰かが出迎えてくれるわけでもないが、そう言っておくことで精神を安定化させるのだ。


 電気をつけると、暗い部屋に光が差し込んだ。勉強机にベッド、我ながら無機質な牢獄だと思う。


(俺は何か間違っていたのだろうか?)


 朝から晩まで言い付けに従い、勉強を続け、顔色ばかり伺い、『努力』という名の万能な聞こえの良い言葉を使われることを恐れ、やりたくもないことを必死で頑張ってきた。


 その仕打ちがこれだ。


「うう…どうして…。こんな扱い。また、努力が足りなかったのか…。」


 最初の内は母と父が喜んでくれることが純粋に嬉しくて、勉強や習い事を頑張った。次第に基準が高くなっていき、それが当たり前になって、軋轢が生まれ始めた。今ではどうしようもないほどに家族関係が崩壊し、こんな毎日だ。今日は特にひどかった。


 背後から、恐怖という鞭の音を響かせる奴隷商人の元、自分ができる以上の嫌がらせを押し付けられ、できなければ罰則が下る。やれ「あなたのことを思って」やれ「将来のため」……言い訳も許さず、逃げ道も存在せず、その要求基準は人間の欲望を現したかのように際限なく膨れ上がるばかり。


 自分にできることと言えば、ただただ嵐が過ぎるのを待つくらい。


 そこに効率的な生産性も良好な関係など生まれるはずもなく。誰も得をしない。


 それは、普通のことなんだろうか。


 鞄をその辺に放り投げ、ベッドにダイブする。


「はぁ……俺、なにやってんだろう。」


(明日もどうせこれの繰り返しだ…)


 もうたくさんだ。


 『いい子』でいることも、言い付けに従うのも、顔色を気にして発言するのも、すべてを受け止めて諦めてしまっている自分自身の表情にさえ 全部 全部…!!


 本当に本当に、うんざりだ…!


(誰か助けてほしい…)


 ほんのひと時でもいい。自分が自分らしく自由でいられる場所が欲しい。


 この下らない繰り返しから抜け出したい。


 一筋の涙が零れ落ちる。


 涙を拭くためにティッシュを取ろうとベッドから立った。


「いてっ…!」


 勢い余って鞄を足の小指で蹴飛ばしてしまう。


 痛みに耐えつつも、慌てて散らばった教科書やら文房具等、中身を戻そうとすると、夕暮れ時にもらったチラシがくしゃくしゃになった状態で出てきた。


「これ…駅前でもらったチラシだ。」


 半ば無意識だったが、気がつけば手を伸ばし、シワシワになったチラシを丁寧に伸ばしていた。


『VRMMO Boundless Realm『バウンドレス・レルム』βテスター募集中!超高性能AIを搭載した技術をいち早く体験しよう!今なら豪華特典付き!』


 大きくプリントされた画像たちが、涙でかすんだ目に入る。


(みんな、笑っている。楽しそうだな…。)


 どうしてだろうか。紙に印刷された世界が、とても魅力的に思えたのだ。


「特典ってなんだろう…?クリアファイルとかかな?」


 ありきたりな妄想を膨らませつつも、募集要項などを読み込んでみた。


 なんでもいいから、気を紛らわしたかったのかもしれない。


「学生と、社会人で募集条件が違うんだ…」


 年齢毎に細かい条件などが記載されており、10代の募集には親の同伴か、一定の成績が見込める証明が必要なようだ。社会的に見れば当然のポーズかもしれないが、夢のない話である。


「これは……」


 【未成年に関する募集条件】

 ・土日の朝10時~22時の間で参加できる方

 ・一定の成績が担保できている方は、保護者の同伴は必須ではございません。

 ※必要書類:学生証、直近の成績の……


「土日か…それに、俺なら親同伴が不要。これなら、いけるかもしれない。」


 土日も習い事で、両親からの嫌がらせとしか思えないスケジュールで埋まってはいるものの、空き時間を捏造するのは平日に比べて容易い。今までほぼサボらずに通っていた実績も担保できている以上、習い事の先生たちは俺を疑うことなどしないだろう。


(バレたら…もしかしたら監禁されるレベルで両親からの監視が厳しくなるかもしれない。)


 だけど……。


 『ここではないどこか』に行きたくて、自らの意志でリスクをとってみるなんて、俺はどうかしちゃったのかもしれない。


 それでも、自分の意志で何かをやってみたい。


 そうと決まれば、すぐに寝て早く起きなければならない。


(いってみよう…。挑戦は無料だ。)


 なんでもよかったのかもしれない。浅くても、単純でも、朝を迎える目的を自分で作った。


 何かを自ら決めている人からしてみれば、鼻で笑い飛ばすほどの、小さな出来事だ。


 それでもこれは、小さな反逆であり、仕返しのつもりで起こす行動だ。


 心が少しだけ軽くなった気がした。


 ⚜⚜⚜⚜

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