帝国暗殺部隊の落ちこぼれは“大河の殺人鬼”へと堕ちる

帝国暗殺部隊の落ちこぼれは“大河の殺人鬼”へと堕ちる

　暗殺者は歓喜した。

　心の底から湧き上がるその強い衝動に身を駆られて、剣を振るった。

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　百年前、世界各地で現れ始めた異形の怪物達を、人々は“殲獣（せんじゅう）”と呼んだ。　

　殲獣は世界を破壊し、人類を脅かす怪物として人々の生活に深く入り込んだ。

　世界中に突如現れた“殲獣”へ立ち向かう為、人々は種族問わず手を取り合った。

　数十年を経て、殲獣の力を掌握した気になった各種族の王達は戦争を起こした。

　戦争の末、王達は、最も人口の多い人族の王を皇帝に立てた。大陸のほぼ全域を占める帝国の誕生により戦争は終結した。

　人族の王もとい皇帝はお飾りに過ぎなかった。亜種族達は帝都へ集い、王を傀儡とした。

　亜種族が人族を軽視し、人族が亜種族を毛嫌い所以である。

　亜種族達は人口の多い人族の反乱を危惧した。そして、人族を利用して人族を抑えることを考えついたのだ。

　暗殺部隊を創設することによって。

　暗殺部隊は、治安の乱れた帝国中から志願兵として集まった人族の少年少女達から、素質のあるものが選抜して秘密裏に編成された。

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　彼はそんな帝国の暗殺部隊の精鋭であった。実戦任務を課されない訓練兵だった頃までは。

　彼が訓練兵時代に高く評価されていたのは、感情の起伏の小ささ故だった。淡々と訓練をこなし、各種族の伝統的な武術を統合して新たに生まれた、帝国拳法や帝国剣術の対人訓練では、冷静に相手をいなした。

　殲獣（せんじゅう）らが数多存在する森での訓練でもその冷静さを失わなかった。殲獣達に遅れをとらず、確実に殺した。

　実戦任務を割り振られる直前、彼に与えられたランクは最精鋭の称号であるナンバー1 であった。

　彼にとって初めての殺人は、死刑囚の死刑執行であった。より実戦的な暗殺任務を与えられる前に、暗殺部訓練兵のすべての者がこの任務を課される。

　彼は死刑囚を斬った。訓練通りに、急所である首を斬って、一太刀で息の根を止めた。

　　彼にとっても、また暗殺部隊司令部にとっても予想外であった事実は、彼のこの初任務で明らかになった。

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　俺には“感情”というものが理解できなかった。

　喜怒哀楽は理解できた。理解できなかったのは、もっと強烈なものだ。

　人々に理論を捨てさせてまで、獣のように突き動かす、強烈な“感情”が何なのか分からなかった。

　暗殺部隊に所属するつもりなどなかった。俺だけではない。この部隊の殆どの者は騙され、監禁されるような形でここにいた。無論脱走の意思を見せれば機密保持のため即刻処される。

　それなのに皆、故郷に帰りたいと言いながら泣きながら脱走した。

　俺には分からなかった。一体何が連中をそこまで突き動かすのか。

　あの日、初めて人を殺して途方もない衝撃に打ちのめされるまでは。

　初めて感じた“感情”はあまりにも強烈だった。俺は焦がれた。その強烈な熱を心の底から欲した。それはもはや“快楽”と言えた。

　暗殺部訓練兵を終えた者に与えられる初任務は、死刑執行だ。そこで初めて実際に人を殺した。

　生まれて初めて感じた強い衝撃。腹の底から湧き上がってくる衝動。何が起きたのかは分からなかった。

　斬って呆然と、今始末したも（・）の（・）を眺めた。泣き喚き命を必死に乞うていたそ（・）れ（・）は、苦悶の表情のまま動かなかった。

　視察に来ていた司令部は、訝しそうな顔をしていた。冷徹で優秀だと聞いていたランク第一位の少年の様子が不自然だったからだろう。

　しかし、そんなことはどうでもどうでもよかった。“快楽”に身を任せ、俺は動かなくなった人の死体（それ）に、剣を振り下ろした。

　鮮やかな赭（あか）が散った。

　何を成しても満たされなかった。孤児として生きた幼少期も、暗殺部隊に配属され最精鋭の称号を受けても。

　……今初めて心からの悦びを感じた。これか。人々を突き動かしていたのは。この熱に浮かされ連中は愚行を繰り返したのだ。この鮮やかで熱い衝動に駆られて……。

　暗殺者に求められるのは引き際の良さである。任務を確実に遂行し、司令者や依頼者を悟らせないことが必要とされた。

　司令部にとって俺の行動はいかに愚かしく写ったことか。

　訝しげな眼差しは、失望のそれへと変わった。

　獣に成り下がった俺の評価は転落していった。主要な任務は与えられることはなく、ランクはナンバー8まで落ちた。

　あの“快楽”は生者に対しては湧き上がらなかった。自ら赭を散らせ、殺めた者に対してのみ湧き上がった。俺は淡々と任務をこなしながらも熱に浮かされ、その“快楽”を味わい続けた。

　すべてを捨て暗殺部隊から抜けることを決めたのは、帝国西部の大河への任務を与えられたときだ。

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　西部から帝都へ行くためには、大河を渡る必要があった。西部からは多くの若者が帝都を目指し大河を渡る。

　標的は、ある冒険者の男だった。西部を視察に来ていた、傀儡の皇帝の末娘。彼女と連れの近衛騎士団がドラゴン３体に襲われているところを、その冒険者は助けたのだ。

　その噂はひと月も経たず帝都にで広まった。

　亜種族達が危惧したのは、数だけは多い人族が巷では“勇者”などと持て囃されるその冒険者を中心に結束して反乱を起こすことだった。

　大河付近の村の酒場で、標的に近づいた。

　その任務では、あらかじめ標的と交流する必要があった。

　戦闘狂でない強者とまともに戦うのは得策ではない。戦闘狂であればつけいる隙が生まれるが、只の強者にはいかに油断させる状況を作り出すかに重きが置かれた。

　俺は都への旅を始めたばかりの、卑屈で痩躯な文官志望を演じた。勇者と揶揄されるだけあって善良なその男は、保護すべき相手（おれ）に共に帝都へ行こうと言った。

　俺は大河の渡船で、その男に対殲獣用の強力な麻酔薬を酒に混ぜて飲ませた。眠った男を船室の外に連れ出して斬った。あの鮮やかな赭が舞う。待ち焦がれた熱。心を満たす、快楽。

「お前達が常に感じているものが、俺も欲しいよ……」

　死体は大河に蹴落とそうとした。俺は確かに殺したはずだった。

　殺める直前に微かに湧いた“感情”というものが邪魔をしたのか、はたまた麻酔薬の影響か、その男は俺が蹴落とす直前まで生き絶えていなかったのだ。

　男は俺を睨め付けた。もはや善良な男のそれではなかった。

　嗚呼。どんな“熱”がお前にそんな表情（かお）をさせるのか。俺はさらに焦がれた。

「……刺客、だったのか……初めから裏切りるつもりだったのか……！」

　あの“勇者”と呼ばれた冒険者の顔が、悲痛な色一色に染まった。まだ何かを語りかけるかのように俺の目を見るそいつの目を一瞥して、大河に蹴り落とした。

　大河の激流が麗しい赭に染まった。

　その時、その瞬間の“感情”は通常の任務で標的を殺したときとは比較にならなかった。

　あの飢餓のような快楽よりも、あの地鳴りのような衝撃よりも……さらに強烈な“熱”。

　“感情”とはこれほどまでに快いものであったのか。

　もう帝都には……あの暗殺部隊には帰らない。1人で生きていく為の術ならば既に過分に身につけた。　

　人族が人口の大部分を占める帝国西部からは、数多くの冒険者が帝都へと旅立ち、大河を渡る。

　この大河で、無垢な冒険者に近づき、馴れ合い、そして殺す。

　“快楽”を味わい続ける。もはや理論など捨てた。俺は獣に身を下げ、身を焦がす衝動に委ねる。

　より強烈な“快楽”を来たすであろう者は、おそらく俺と対極にある者。

　奈落へ放り出されたかのように絶望に染まるその者を殺したとき、その者が感じているであろう“感情”にさらに焦がれる。

　その極上の“感情”を俺も……。

　赭に焦がれた。淀んだ空虚な世界は終わった。

　善良な勇者には保護すべき弱者として。

　幼稚で間抜けな少年には博識の冒険者として。

　強気で生意気な少女には怪しく刺激的な強者として。

　近づき、演じる。そしてそいつが最も絶望するやり方で裏切り、殺す。鮮やかな赭を散らす。

　この熱に身を任せ、人を殺し続けよう。

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　殺人鬼は決意した。

　こうして、帝国暗殺部隊の落ちこぼれは“大河の殺人鬼”へとその身を堕とした。