第56話 Everything Everywhere All at Once

 わしが駆けつけたときには既に遅かった。皇帝と女帝の姿はない。残るのは降りしきる大雨だけじゃった。わしが指示をしておいた合図じゃ。この周囲だけを巨大な雨雲が包んでおる。明らかに意図された不自然な形じゃった。


「お母さん……。むざむざ死にに来ちゃったんだ」


 わしと目を合わせることもなく淡々と告げる。ずぶぬれになった娘は、塵となって天に上る青と緑の魔素を見つめておった。じゃが、その魔素の揺らぎは平静でない心持を示しておる。まったく馬鹿な娘じゃ。


「死にたいのはお前じゃろ?」


「私は死なないよ?たとえお母さんであっても殺せない。お父さんでも無理だった


「ふん。スサノオあやつなぞと比するな。お前は死ぬんじゃよ、今日ここでな」


「じゃあ、試してみてよ」


 娘はこちらを向いて腕を広げる。自分を差し出すように。


「草薙之炎刀:焔火」


 刀に当たった雨はすぐに蒸発し、ゆらゆらと白い蒸気が立ち煙る。わしは娘の胸に刀を突き立てた。容赦なく。微塵の躊躇もなく。その身からは魔力があふれ、喉元からは呻きを発した。体が秩序のない魔素へと変わって雨に溶けていく。わしは刀を引き抜いた。傷口からは魔力がとめどなく流れていく。


「いっつつ……。言った、でしょ?私は、死なないって」


「不死……か」


 普通なら形を保てずに崩壊するはずのその身体は、膨大な魔力を垂れ流してもなお崩れることなくその秩序を保持しておった。この世界で長らく生きてきたが、こんな現象は見聞きしたこともない。涅槃の長年に及ぶ研究でもたどり着けなかった境地。それを齢20年と幾ばくかの小娘が……。まあ、思い当たることがないではない。この娘はわしが生んだのじゃから。


 その幼子はあまりに早熟じゃった。生後そう時を置かずして、何度か出会ってきた希少な存在、”転生者”なのじゃとわかった。しかも今までに出会った誰とも違う。そう確信できる何かがあった。単に強いだとか知識があるというだけではない何か。本人は必死に隠そうとしておったし、殆どの者もそれに気づくことはなかったじゃろう。しかし、表の無邪気さとは裏腹に抱えておるそれは、わしの目にはあまりにも不気味じゃった。


「お前は、何者じゃ?いつからこのリインバースにおる?」


「へっへへ……さすがのお母さんでもわからないよね。私はこのゲームの通常プレイには存在してはいけないイレギュラー。だけどこのリインバースが生まれたときから存在しているの。おかしいでしょ?皮肉だよね。そんな私がゲームのバグを正す修正者フィクサーなんだからさ」


 自虐的な笑み。あまりにも不似合いなその笑顔が、抱えたその歪みを示している。


「なんで設計者かみさまは私に人格なんてものを付与したんだろうね。とっても非合理的だよ。遊び心ってやつ?本当に迷惑だよね。こんな、自己なんて言う無意味なものを抱えてずっとずっと生きていかなくちゃいけないんだから」


「設計者の意図など知らん。むしろ意図があるのかどうかもな。お前の意志はどこにある?その役割を果たすためにわしを殺すのか?何をもってバグとする?何をもって正とするんじゃ?もはやこのリインバースは神の手を離れて独立しておるというのに、お主はなぜその役目を続ける?」


「わからないよ。そんなこと。私はただ死ねるのかどうかずっと試しているだけ。死ねない間はこの世界にバグがあるっていうことなの。これは逃れられない運命。バグがある間、胸の中が搔きむしられるの。言うんだ、『バグを排除しろ』ってね。これはプログラムされたもの。変えられない真理コード。そうやっていくつもの世界から異分子を消してきた。消した瞬間に訪れる一瞬の安寧を求めてね。でもそのあとすぐに私は死んで別の世界に行く。そしてまたバグを探す。そうやってずっと、生きてきたの。意志なんて関係ない。その世界で過ごす時間が長くなるにつれてこの胸の痛みは激しくなる。それを避けるためにはこの役目を続けるしかないんだよ。わからないでしょ?どれだけ痛いのか。狂ってしまいたいけれど狂えない、この苦しみなんて」


「ああ、お前の痛みなんぞわからんな。じゃが、それは誰だって同じじゃろ。お前だってわしの心の内を知ることができないようにな」


「違う!お母さんたちには共感できる人がいる。他人の経験を自分と重ねて感情を昇華できる。でも。私は独りぼっちなの。同じ境遇の人間なんてこの世にいないんだから」


「いいや、同じじゃよ。お互いに相手の心をわかった気になっているだけじゃ。思い込みじゃよ。本当は分かち合えない虚構にすぎん。あえて言えばその虚構を信仰しているだけ。その虚構によって繋がりを創り出し、安心感を得ているんじゃ。お前も虚構をつくればいい。そして妄信すればいい。それがお前の求めているものじゃ」


「そんなこと……できない!虚構を無理矢理信じるなんて」


「お前が死にたいのも、楽になりたいからじゃろ?論理的に考えろ。楽になれるなら生きていても死んでいても構わんはずじゃ。じゃが、”死”に安寧を見出している。それは本当か?死んだ後の方が苦しくない保証があるのか?わからんじゃろうが。ならば安寧を感じながら永劫を生きる方がよっぽど良い」


「えらそうに……!死ね。死んじゃえ……!それが無理だから私はこんなに苦しんでるのに!さっさと死んでよ。私のひとときの安寧のためにね!神殺しの槍ロンギヌス!」


 零れていた魔力は止まり、傷は完治していた。神々しく光る槍を携えて向かってくるその姿は、なんとも虚しかった。おとなしく殺されてやるわけにはいかない。こんなバカ娘には。


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