第45話 臨界点
「修行をつけてほしいと。まあ、当然じゃな。正直に言えば足手まといじゃ」
全く容赦のない物言いだが、ぐうの音もでない。
「無茶ぶりだとはわかっている。でも、今は何でもできることはしたいんだ。頼む、力を貸してほしい」
こちらを品定めするように眺められるが、俺は真正面からそれを受け止める。
「ふむ、何があったかは知らんが吹っ切れたようじゃな。じゃが、手っ取り早く強くなる手段などない」
それは当たり前だ。そんな都合のいい話などない。魔法は日々の鍛錬によるものが大きい。それでも、この仮面やローブ然り、何か潜在能力を引き出す手段などがあってもおかしくはないと思ったんだが……。とにかくこのまま引き下がるわけには行かない。
「実践的な稽古でも構わない。何か改善できるところを教えてくれるだけでもいいんだ」
「ふ、必死じゃな。戦うまでもない。お前の弱点は、魔力の解放に制限をかけておることじゃ。無意識のうちにな。幼子の時分からそうしてきたと言ったところか。それが解放できたなら稽古をつけてやってもよい」
俺は全力で魔力を開放してきたつもりだった。だが、言われてみれば完全に解放して戦ったのは学生時代、カルラと戦った時くらいかもしれない。
「魔力解放……それを外したら普通なら魔力切れで倒れるんじゃないか?」
「それは未熟なだけじゃ。全力で解放した状態でつくる魔法と、抑えたままつくる魔法では質が全く違う。そして、魔法を具現化した後にどれだけそれを低コストで維持するかが肝じゃ。それはかなりコツがいるがの」
あの日以来、俺は無意識的に魔力を開放することを恐れていたのだろう。それにしても、ツクヨミは案外面倒見がいいらしい。こんな状況だからかもしれないが。
「試してみたい。今すぐやってみても構わないか?」
「落ち着け。解放した状態を保つのは最初かなりの苦痛が伴う。死ぬか廃人になる覚悟があるならば試してもよい。魔力と感情はお前の想像より強く結びついているんじゃ。お前は生きてきてどれほど自らの感情を押さえつけてきた?それらすべてと向き合う覚悟はあるか?」
これまでのすべての感情。確かにそこまでの覚悟はなかった。だが、やるしかない。怖くないと言えば嘘になる。でもここで逃げたところで何もならない。カンナを止める。どうやってやるのかはわからなくても、とにかく諦めることだけはしたくなかった。
「覚悟はできてる。やらせてくれ」
「ふ、ずいぶんとやる気じゃの。外へ行くぞ」
バベルから少し離れた開けた地点に俺たちはいた。朝日を受けてその塔がつくる巨大な影は俺たちから見て反対側をを真っ暗に染め上げている。かつてプレイヤーと呼ばれた者たちだけが訪れることができたこの島は、季節など関係ないように適温に保たれ、豊富な植物が繁茂した特殊な土地だ。そんないわばジャングルのような中にあって、この場所はそう言った障害の一切ない整然さがあった。
「手順じゃが、まずは魔力の干渉範囲を思い切り広げろ。その後は、魔法をうみだしてもらう。その広げた魔力をすべて使ってひとつの魔法を結晶化させるようなイメージじゃ。どれだけ多くの範囲から魔素を集めて魔法を作ることができるか。それが魔法の質を向上させるからの」
「わかった。だが、以前に試したときは感情に飲まれて人を……殺しかけた。コントロールできるように努力するが、巻き込んでしまったなら申し訳ない。先に謝っておく」
「粋がるなよ。わしに傷一つでも与えられたなら大したものじゃ。思い切りやれ。何なら、殺すつもりでも構わん」
その余裕を少しでも崩せたなら確かに大金星だろうな。だが、少しくらいは目にものを見せてやりたいと黒い感情も沸きつつ、俺は魔力を解き放った。
「いくぞ」
まずはいつも魔法を使うくらいの範囲、そしてもっと深くから。すべてを出し尽くしても構わない。すべてをさらけ出す。俺には失うものなんてないのだから。取り返したいものしかないのだから。鼓動が高鳴り、呼吸が早まる。これ以上はだめだと本能が告げ、体も拒否反応を起こす。体の各部位が緊張して固まり、息も苦しくなる。いつもならここでやめてしまうだろう。だが、今はそれを乗り越え、俺の身体が設定した限界を超えなくてはならない。諦めるわけには行かない。
「ふむ……範囲はなかなか広いな。じゃが、魔力量はまばら。その程度か?」
「まだ……だ!」
感情が溢れてくる。それは俺が目を背けて蓋をしようとしてきた負の感情だ。目に入ってくる情報から連想される様々な想い。親父……母さん……この目の前の女が殺したも同然だ。憎い。殺してやりたい。やりたくもないことをいくつもやらされた。築き上げていたものを奪われた。何人も何人も殺した……見て見ぬふりをしてきたその罪悪感、憎しみ、怒り、悲しみと悔しさ。入り交じったそれらに飲まれてはいけないとわかっていても、制御なんてできなかった。涙と嗚咽が止まらない。
「お前の、お前らのせいで皆……死んだんだ!許せない。許せるわけがない。死ね。死ねええ。返せ。俺の全部、返せよ!」
考えるより先に言葉が口をついて零れていた。そして叫んでいた。壊したくて仕方がなかった。
「ァあああああ!
空中の闇が凝固して形を成し、雨のように降り注いだ。それは地面を穿ち、俺の身体をも傷つけながら周囲を壊していく。何もかも壊したかった。ツクヨミはそれを魔法の傘により余裕で防いでいる。
「殺す……お前を!」
「もっとじゃ。解放しろ。絶望し泣き叫び、己の醜さを晒せ」
「うるさい……うるさい!」
体の感覚が分からなくなる。自分というものが崩れていく。なにもかもうるさかった。降り注ぐ闇だけじゃない。これは俺の心のざわめきだ。どれが発している声で、どれが心の声なのか区別がつかない。ざらざらとした恐怖に乗っ取られていく。理性がストップをかける。もうこれ以上、醜態をさらすなと。
「おい、やめるのか?その程度か?お前の覚悟とやらは。とんだ茶番じゃな」
理性が働かなくなる。意識が飛びそうだ。なにもかも感情に任せてしまっていいのか?ダメなはずだ。そんな問答が頭の中で飛び交う。もうどうでもいい。すべて。抗うのも面倒だ。すべてさらけ出せばいい。しがらみ全部かなぐり捨ててやる。殺したっていいじゃないか。こんな奴。俺はぐちゃぐちゃに魔法を放った。自分でも何をしているのかよくわからない。苦しくて、痛くて、もがいても足掻いても這い上がれない沼に引きずり込まれているみたいだった。息ができない。呼吸の仕方がわからない。自分が生きているのか、死んでいるのかも。
「何の面白みもないの。吐け。全部吐き出せ。それもぶち壊してやる」
なんで俺がこんな苦しまなくちゃいけない?なんで俺が蔑まれなくてはいけない?落ちこぼれ?出来損ない?お前らと何が違う?死ね。全員死ねばいい。殺してやりたい。痛い。悲しい。寂しい。でも誰も助けてくれない。誰も愛してなんかくれない。全員が敵だ。最後には見捨てる。カンナですら。なんで俺を助けたんだ。最後に殺すなら、最初から何もしないでくれたらよかったんだ。期待だけさせて突き落とすなら、そんなものいらなかった。ぜんぶ嘘だったんだ。何もかも。あの日々はまやかしだった。
「ダァクトリシュゥウラァ!!」
俺は槍を振り回した。目の前で飄々と身を躱すコイツも敵だ。たくさんの罪を俺に押し付けて、自分は高みの見物。偉そうなやつだ。ここで殺す。家族の仇を……いや、家族なんてどうでもいい。アイツらもどうせ俺の事より世間体だのが大事だった。
「どうじゃ気分は?最悪じゃろ?」
コイツをぶち殺したいのに、すべての攻撃が容易に受け止められる。なんで何もうまくいかない。何もかもうまくいかない。俺はただ……幸せになりたかった。愛されたかっただけなのに。全部こわれていく。全部。でも、一番いやだったのは……こんな自分だ。みじめで弱くて大嫌いだ。わかっている。すべて自分の責任だと。逃げてきただけなのだと。弱さから目を背けていたのだと。嫌いで嫌いで許せない。何もできない自分が憎い。それでも死にたくない。自分を殺してやればいいだけなのに、矛盾している。自分が憎くてたまらないはずなのに。
「殺してくれ。俺を、解放してくれよぉォ!」
「本当は生きたいくせに強がるなよ餓鬼が。受け入れろ。弱い自分すらな。この世に善悪などない。アイデンティティを作りたいからお前がレッテルを貼って遊んどるだけじゃ」
善悪。自分。そんなものないというのか?なら確かに感じているこれらは何なんだ?この怒りも憎しみも、苦しみすべてが悪ではないというのか?でたらめを言っているだけだ。綺麗ごとを言っているだけだ。大嫌いだ。綺麗ごとなんて。
「
「少しばかり威力が上がってきたの。わしには通用せんがな。
巨大な炎を纏った仏がツクヨミの背後から現れ、俺の放った隕石も数多の釘もすべてが消えうせた。まだだ。まだ魔力はある。全部だ。すべて出し切って、ぶち殺して、俺も死んだっていい。そうだ。もう、同じだ。死んでいるのと変わらない。これだけ苦しいなら。だったらなんだってできる。
「そうじゃ、全てを出し切れ。死ぬ気でこい」
声がかすれるまで叫んでいた。そして、そのとき。魔力を解放しつくした、そういう実感があった。俺は世界と溶け合った。自分というものがなかった。すべての感覚はただ世界を揺らしていた。あふれるのは万能感で、苦しみはすべて俺であって、もはや俺でなかった。すべてが客観的な現象でもあって、すべてが俺自身だった。
「おめでとうございます。マスターはアーティファクトを扱えるようになりました」
頭に響いたのはソフィアの声だった。直後にイメージと名前が頭に流れ込んでくる。
「
「ほう?やるではないか。そこまでたどり着くとはの」
もはや、憎しみも何もかもどうでもよくなっていた。今はすべてがなぜだか心地よいのだから。ようやくスタートライン。バベルはこちらに影を落としつつあった。
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